この話は「葵ちゃんふぁいと」の続きです。
そちらから読んで下さるとありがたいです。

『天』

 その薄紫色の髪の少女の背にその一文字が浮かび上がり、後に残るのは無残にもボロクズのようになったマルタ(実験用捕虜)が1人。
 少女はふっ、と笑う。無邪気そのものの笑顔。しかし、そこには見るものを戦慄させる何かがあった。
 近くで一部始終を見守っていた、眼鏡をかけた少女―歳は薄紫の髪の少女と同程度だろう―が、やや興奮して言う。

「す、すごいわ! 姫川さん。発動が更に0.7秒短縮!。移動距離も申し分ないし、これなら見てからジャンプじゃかわせないわ!」
「そうですね、森本さん……確かに私の『瞬獄殺』は早くなりました……でも、まだです。まだ、これくらいじゃ駄目です。もっと、もっと完成度を上げないと……」

 ぐっと拳をにぎり、天を見上げる少女……姫川琴音。彼女が思うのはただ一つ。それは、復讐。

「まだ、あの人。松原葵には……通じません」

 姫川琴音が松原葵に敗れ去ってから、すでに数ヶ月が経っていた。
 その時の傷は実はそれほど深くはなく、すでに完治している。しかし、体の傷は治っても、心はそうはいかない。
 確かに、不意打ち気味ではあった。しかし、相手はこちらが素人だと思って油断していた所もあった。
 だから『瞬獄殺』を発動させることも可能だった。
 だが、そこに敗因があった。
 瞬獄殺が発動した時に、自分は勝った、と思ってしまった。まだ勝負は終わっていないのに。相手が勝ち誇った時、すでにそいつは敗北している、という言葉もあるというのに。
 結果は。
 瞬獄殺はかわされた。無残なものだ。必死で体得した技も、破られてしまえば何の意味も無い。
 長い安寧の時間を過ぎるうち、自分の中の殺意の波動が弱まっていたと言うことだろうか。
 そんなことでは、とても『真・琴音』を名乗ることは出来やしない。
 敗北。
 その二文字は少女の胸に突き刺さった。それを引き抜くには、手段は一つしかない。
 復讐。
 そのために、力を付ける必要があった。
 そう。
 そこには、プロフィールに「嫌いなこと:暴力的なこと」と書いてしまうようなイルカ好きの優しい少女はいなかった。
 いるのは。
 1人の、復讐に燃えるイヤボーンしそうな女子だった。

 ……どうでもいいが、止めろよ森本さん。

「ふっ!」

 気合一閃。サンドバックを蹴る。
 ぎしぎし……。大きなサンドバックが揺れ、結び付けていた木が軋む。
 松原葵は今日もトレーニングに励んでいた。
 今回は先輩が葵シナリオを進めなかったようなのでちょいと暇ではあるが、しかし自分には格闘技がある。
 確かに孤独が辛い時もあったが、それすらも修行と思うことで乗り越えることが出来た。
 それに今は目標がある。
 1人は古くからの目標、綾香さん。
 そしてもう一人は、新たな標的、セリオさん。
 ああ、いちおー坂下さんもね。うん。
 ともかく。
 そんなこんなで、今日も修行に励む葵。
 しかし。
 その日は、なぜか修行に没頭することが出来なかった。
 なんだろう……胸騒ぎがする。
 不思議な胸騒ぎ……これが恋の予感だったら面白いのだが、現実はそうは行かなかった。
 がさ。
 森の中から聞こえる音。即座に警戒体勢に入る。足音からおそらく人間、しかも若い女性であろう事が推測されるが、誰かまではわからない。
 警戒しながら、近づいていく。
 そこには……少女が倒れていた。目立つ外傷は無い。しかし、酷く衰弱しているように見える。葵はその人物が知った顔であることに気付き、慌てて駆け寄る。

「さ、坂下さん! 一体どうしたんですか?」

 彼女は、葵の先輩、坂下であった。坂下は、息も絶え絶えと言った風に、葵に話しかけた。

「い、いきなりこれなんて……な、なんか扱いが悪いわ……」
「しっかりして下さい坂下さん! あなたならこれぐらいがお似合いです!」
「い、いくらシナリオが無いからって……セリオみたく、私もCDがでないのかしら……」
「そりゃあ無理ってもんですよ! 身の程をわきまえて下さい!」

 葵は口調こそ心配していたが、セリフは全然心配してなかった。

「ぐ……葵……気を付けて、あなたを狙っている奴がいるわ」
「え? それはどういうことなんです? なんか喋った途端にどこからか弾丸が飛んできて口封じされちゃいそうですから聞かない方がいいかもしれませんがあえて聞くと一体誰が?」
「そ、それは……」

 口を開こうとする坂下。
 しかしその瞬間、坂下が目に見えない力に叩かれたかのようにのけぞった。

「ぐふぅ!」
「ああっ! しっかりして下さい坂下さんっ! パントマイムお上手ですねっ!」
「今日のために……特訓しておいたから……」
「しっかり!」
「……か、」
「か?」
「……かゆ、うま」

 坂下は、糸が切れた人形のように倒れこむ。
 葵は慌てて脈を調べる。大丈夫。生きてはいるようだ。

「……一体、誰がこんな事を?」

 葵は明後日の方向を見据える。
 良く見れば地面には坂下の書いた「姫川琴音、生年月日10月9日、星座:天秤座、血液型:B、好きなものイルカ、きらいなこと:暴力的なこと、特技:絵を描くこと、声優:氷上恭子」の文字が読み取れたと言うかそこまでかける余力があるんだったら素直に喋れよ坂下と言う感じだったのだが、葵は気付きやしなかった。

「坂下さん……あなたの敵は、必ず取ってあげます」

 葵は倒れた坂下に向かいそういう。坂下は「あの……まだ死んでないけど」と弱々しく言うがあっさり無視する。
 きびすを返し、歩き出す。
 敵はおそらくこの学校の生徒。しかも、坂下さんをここまで痛みつけられるほどの力を持つ人。そんな人物はかぎられている。
 決意を胸に秘め、葵は歩きはじめた。

 取り残された坂下が「せ、せめて保健室に連れてって」と弱々しく囁いたがすでに葵はそこから去っていた。

「というワケで私としてはあなたが怪しいと思うのですが、どうでしょうか姫川さん」
「え? いきなりなんですか? えっと」
「松原です。松原葵」
「松原、さん。なぜ私が怪しいと?」

 時は放課後。すでに帰り支度に着こうとしていた姫川琴音を捕まえ、松原葵は話しはじめた。

「まず、この学校でガイシャにあれだけの被害を与えることの出来る人物をピックアップしました」
「が、がいしゃ?」
「私の知りうる限り、この学校で怪しいのは、LFとかQOHでもない限り3年の来栖川先輩の魔術、2年の宮内先輩の弓術、神岸先輩の熊術、保科先輩の関西風ツッコミ。そして私と、あなた。姫川さんの超能力です」
「まあ、LFとかQOHとかなら皆さん戦えますものね。でも」
「そして、ガイシャの状況を観察しました。矢の跡は見られませんでしたし、周囲にはエクトプラズムは漂ってませんでした。熊の毛は確認されなかったし、ツッコミ後も無かった。つまり、残るはあなただけなのです!」
「あの、あなたの知らない強い人がいるかもしれないんじゃ……」

 葵ははた、と気付いた顔をして。

「……そうですね。それもそうです。ああ、そっか。そっちも調べなきゃ。ああ、すみません姫川さん引き止めちゃって」
「いえ。いいですけど」

 そう言い、くるりと背を向け歩み去ろうとする葵。
 その、無防備そのものな背中を見ながら、 琴音の表情が変わっていった。
 そう、眠らせておいた『殺意の波動』を開放したのだ。

(ふふふ……油断していますね松原さん。それがあなたの命取りです)

 体勢を立て直し、瞬獄殺の構えに入ろうとする。
 しかし。

「ところで姫川さん。なぜ私が強い人を探していると知っているのですか?」
「え?」

 葵は振り返り、琴音に聞きました。

「私は、ただあなたが怪しいんじゃないかと言っただけ。それだけなのに、なぜそんなことが解ったんですか?」
「それは……」
「教えてくれませんか? 小さい頃「刑事コロンボ」が好きだったせいか、そういうことが気になると夜も眠れないんですよ……」

 琴音はごくり、とつばを飲みこみ、

「い、いや、あの。えっと、そう! 台本です。うっかり台本を読んで知ったつもりになってたんですよ!」 

 琴音はとっさに機転を利かす。 

「……その台本っていうのは、これですか?」

 ばっ。
 葵は台本を見せる。そこには「葵、坂下の顔にヒゲを書いた犯人を捜す」と書くいてある。葵が偽の記述をしておいたのだ。

「……とぼけないでください。もうとっくにバレてるんですよ」

 ゴゴゴゴゴゴゴ。
 二人は見つめあう。

「さあ。どうしたんです? あなたの技を見せて下さいよ」
「……ふっ」

 琴音は笑い、

「とっくに見せてますよっ!」

 琴音がそういった途端、机や椅子、鞄など周囲にあった物体が浮かび上がり、葵に襲い掛かった。殺意の波動は超能力をもパワーアップさせていたのだ!

「ちぃっ!」

 必死にさばく葵。
 そんな葵を見ながら、琴音は呟く。

「最初は、こんな能力なんて無ければいいと思っていました。人を傷付けてしまう能力なんて、いらなかった。
 でも、先輩と会って私は変わったんです。
 そう! 自分に自信を持って、能力を制御して、そして思いのまま使ってしまえば問題ナシ!
 私は自分に、自分の能力に自信を持つことが出来たんです……でも、あなたはそれを打ち砕いた。
 だから、私はあなたを倒さなければいけないんです……殺意の波動を使ってでも!」

 大人しく聞いている葵。

「さあ、松原さん……あなたを殺します」

 琴音の裏には、ちょうど彼女の髪を黒くして偽善者にしてみたような女性の影が、見えたような気がした。
 一歩、葵の方に踏み出し。
 ぞっ。
 突然、強い寒気を感じた。
 見ると葵は。
 手を無造作に振り下ろし、襲い掛かる物体を打ち落としている。いや、すでにそれらの勢いはすっかり失われている。葵の闘気が、琴音の超能力を打ち消しているのだ。

「そうですか……」
「え?」
「今は……琴音シナリオだったんですね」
「そうです。それが?」
「今までは……坂下さんを痛めつけただけなら、3割は許してあげようと思っていました。でも、そういうことなら……容赦はしません」
「あの。それはちょっと」

 琴音は、はははと笑う。葵がマジ怖かった。まあ、色々ある。
 必死に話を逸らそうとする。

「そ、そんなこと今は関係無いでしょう? とにかく、鍛え上げた私の「殺意の波動」で、あなたを倒しますっ」
「やれるものならば、本当に出来ると思っているのならば……やって見て下さい」

 戦いが始まった。

(……先手、必勝!)

 琴音はみずからの殺意の波動を開放させる。周囲が暗転し、瞳がキュピーンと輝く。瞬獄殺を発動させるつもりだ。
 ガード不能。しかも見てからジャンプではかわせない。ゲームバランス無視の強さだ。
 発動。目にも留まらぬ早さで葵へと接近する。
 そして。

『天』

「……滅殺、です」

 すべては一瞬であった。特訓と同じ。足元に転がるズタボロの短髪の少女。あっけないものだ。逆に拍子抜けしてしまう。これほど容易い相手であったなら、策を弄することもなかった。
 まあいい。
 
「勝った……勝ちました。これで、もう思い残すことなく先輩とラブラブで思春期っぽく甘酸っぱい青春のメモリアルをアルバムに残せます」

 勝ち誇り、喜ぶ琴音。しかし。

「誰に……勝ったと言うのですか?」
「!?」

 声。驚いてその方向を見る。
 そこにいるのは、無傷の、松原葵。

「そ、そんな! 確かに手応えはあったのに!」
「よく見てみて下さい」

 言われ、自分が技を決めた相手を確認する。
 そこにいるのは確かに松原葵に見える。
 ……いや、違う。

「この人は……確か、ロボットのマルチさん!?」
「そう。耳のアレを外して青のポスターカラーを頭からかぶってますが、確かにマルチさんです。このたびは私の身代わりとなって下さいました。人間に仕えるのがメイドロボの仕事とのことで、喜んで引き受けてくれましたよ」

 葵はきっぱりと言うが、実際はマルチはただ近くを通りがかっただけである。哀れ。

「……まさか、あちこちで「似てる」て言われているのを逆手に取るなんて!」
「プライドでは勝負には勝てないのですよ」

 葵は言う。その目は確かに非情の戦士のもの。
 そして、ゆっくりと琴音へと向かい。

「さあ、覚悟して下さい」

 瞬獄殺にはコンボゲージを3本使う。
 すでに一回使っていた琴音に、最早余力は残っていなかった。

 勝負の後は爽やかなもの。
 葵は再びサンドバックに向かっていた。
 途中、坂下がシャレにならなくやばい事になっていたので、さすがにしかるべき医療施設に運び込んだが。
 たしか、「あんぶれら社」とか書いてあった気がする。次会う時はゾンビになっているかもしれない。
 いや、もしかしたらタイラントかも。
 T―ウィルスに感染した坂下と戦う様を想像し、葵はまたわくわくするのだった。どうも戦闘民族っぽい。

 一方。
 勝負に敗れた姫川琴音。
 しかし、その目には諦めはない。
 彼女の手には一冊の本。題名は「ToHeartVisualFanbook」。

「……勝てる。これなら、松原さんに!」

 新たなる闘志を燃やす琴音。
 そう、二人の戦いは始まったばかりなのだ。

(続く(嘘))

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