友達からよく、「葵は色々損をしている」って言われます。
 私も、多少はそう思います。
 たとえば、あの先輩を振り向かせるにはどうすれば良いか、何てことは私にはわかりません。
 でもいいんです。
 私は、私のできることを精一杯やるだけです。
 そう。
 愛とは自らの力で奪い取るものです。

「ハーイヒロユキ!」
「おおレミィ。これから部活か?」
「Yes!」

 先輩は、同級生のパツキンと話をしています。
 どうも、会話は弾んでいるようです。
 ……。
 私はパツキンの胸と、自分のそれを見比べました。
 ……。
 あれは敵です(きっぱり)。
 先輩が去った後、私はこそこそとパツキンの後を付けました。
 あの胴着は弓道部。相手は飛び道具を使うようです。
 飛び道具を使われるからには、長距離戦では不利。
 気付かれずに、ある程度の距離まで近づく必要があります。
 と。

「Hey! そこに隠れているのは誰?」

 パツキンは私の隠れているほうに弓を向け、警告を発します。
 気付かれた?
 私は慎重にパツキンの様子をうかがいます。
 その目は、明らかに尋常ではなく。
 まさに……「狩猟者」と呼ぶに相応しい瞳でした。
 突然風を切る音が聞こえたかと思うと、足元に矢が刺さりました。
 危なかった……反射的に一歩後ずさらなければ、矢が刺さっていたのは地面でなく私だったでしょう。

「手応えが無い……なかなかやるようネ」

 パツキンは弓矢を構え直し、こちらを伺っています。
 けして、間合いを詰めようとはしません。
 なかなか慎重なようです。パツキンのくせに。
 このままではらちがあきません。私はあえて、自分から姿を表しました。
 即座に、地面を踏み込み、間合いを一気に詰めます。パツキンはぎりりと絞った弓を放とうとしました。
 しかし、その矢が放たれることはありませんでした。
 矢は、弓から離れる前に、私の手に握られて止まっていました。
 パツキンは、驚愕の表情で私を見ます。

「……遅いですよ」
「……Suprise……」

 パツキンが次のセリフを言い終える前に、私の右ハイキックがパツキンの頭を捕らえました。
 崩れ落ちるパツキン。ヤバ過ぎる角度の首。意識を失ったようです。
 すべては一瞬のこと。
 ひょっとしたら、パツキンは私の顔をはっきりと確認できなかった可能性さえあります。
 呼吸を整え、私はその場から歩み去ります。
 まずは、一人。

「おー委員長。これから委員会か?」
「ああ藤田くんか。うん、そうやよ」
「重そうな書類だな……大丈夫か?」
「心配せんでも平気や」
「そか」
「うん。おおきに」

 私は驚愕しました。
 先輩が女性と話をしている。
 それ自体は問題ありません(いや多少はあるのですが)。
  しかし、相手は関西人です。
  関西人。
  関東の人間ではけして越えられない壁。
  私は、体から流れる冷や汗を止めることができませんでした。
  もしかしたらあの関西人は。
  大阪パンチやナニワンキックを使ってくるかもしれないのです。
  その技の恐ろしさは、民名書房の本を読んで知っています。
  ……。
  駄目です、とても勝てる気がしません。
  戦う前から負けを認めるのはとても苦しいものがあります。
  しかし、時には引くことも勇気だと思うのです。
  関西人は私の前を通りすぎ、重い書類を抱えたまま、階段の方へと向かっていきます。
  私のことなど、眼中に無い様子です。
  それを見ながら私は。
  ゆっくりとその後を付いていきました。
  これは、格闘家として、いえ、人として許されないことかもしれません。

 ―階段を下ろうとする関西人の背中に手を置き、

  でもしかたがないんです。

―中国拳法の『寸打』の技術を使い、

 これも、愛のためなんです。

―関西人を、そっと押しました。

 関西人は落ちました。
 書類はばらまかれ、関西人は色んな所が曲がってはいけない方向になったりしつつ、ときどき痙攣しながら「お花畑が……」とか言っています。
 いたたまれなくなった私は、その場から逃げ出しました。
 人を愛するって、なんて辛いことなんでしょう。

(後で知ったことですが、あの関西人は大阪出身ではなく神戸出身だったらしいです。そうと知っていれば、正面から立ち向かっても良かったのですが)

 その後も。
 私の前に数々の強敵が立ちふさがりました。
 魔女、貧乏人、五月蝿い女、ロボ、超能力者。
 特に、超能力者は「殺意の波動」まで使う強敵でしたが、相手の決め技「瞬獄殺」をジャンプで躱し、そのまま連続技を叩き込むことで、何とか勝利することが出来ました。
 もし、恐れてガードしていたら、ガードを無視する「瞬獄殺」にやられていたでしょう。
 愛は人を強くします。
 残るは、最大の強敵とも言える、先輩の幼なじみ。犬チックな女だけです。
 噂では700キロ級の白熊を素手で撲殺するという剛の者。
 生半可な気持ちでは望めません。
 私は、先輩の後をつけていきました。

「あ、浩之じゃない」
「ん? ああ綾香か」
「何してんの?」
「何しているっつーか、家に帰ってるんだが」
「ふーん。ねえ、ちょっとどっかによってかない?」

 何ということでしょう。
 私の尊敬している綾香さん。
 よもや、あなたを倒さなければならなくなるなんて。
 運命は過酷です。
 しかし、私はそこから逃げるわけにはいきません。
 今まで(やや強制的に)犠牲になって下さった方々のためにも、私は最後まで戦い抜く義務があるのです。
 決意を固め、踏み出そうとしたその時。

「ほら、セリオもなんか言いなさいよ」
「……何を言えば良いのでしょうか?」
「浩之を誘惑するようなことよ」
「おめーセリオに変なこと吹き込んでんじゃねーよ」
「……誘惑とは、どのようにすれば良いのでしょうか?」

 綾香さんとなれなれしくしているあの女。
 一体誰でしょうか?

「んーとね。こうやって腕を組んでみたりとか」
「……はい」
「その際、ここをこうしてね」
「だから、やめろって」
「ちょっと、黙ってなさいって。今セリオの教育上大変重要なことを教えているんだから」
「教育上大変よろしくないと思うんだが」

 ああ! あの女!
 綾香さんに、あんなことを!
 ああ! そんなことまで!
 そんな、そんな。
 綾香さんは、綾香さんは!


 
 私の中に黒い炎が点火したような気がしました。
 ターゲット、変更です。

 綾香お嬢様の行動は、ときどき突飛で、私はリアクションに困ってしまうことがあります。
 結局、綾香お嬢様と藤田さんはそれぞれのお家へお帰りになる事となり、私は研究所へと帰るため、お二人と別れました。
 この前は遅れてしまい、マルチさんにご迷惑をかけてしまったので、今日は遅れないよう、充分な余裕を持っています。
 と。
 妙な「気配」を感じました。
 周りを見回しても、そこはいつもと変わらぬ商店街。特に変わったことはありません。
 …感覚系の誤差で処理できる程度の数値です。
 しかし、私はそれが気になりました。
 念のため、診断プログラムを感覚系に走らせ。
 その結果が叩き出された、数瞬後。

 人の流れが、一瞬途絶えました。
 この時を逃してはいけません。
 私は隠れていた物陰から飛び出し、変な耳の女との間合いを詰め、最速のタイミングで最高の右ハイキックを打ち込みました。
 しかし。
 まるで私が飛び出してくるのがあらかじめわかっていたかのように、私の右ハイは完全にブロックされました。
 この女…かなりできるようです。
 時間がありません。周囲の人が騒ぎ始める前にすべてを終わらせないと。
 サツに出てこられると少々厄介です。

 危ない所でした。
 もし、あの数値をただの誤差として放っておいたなら、私は今ごろ撃破されていたでしょう。
 彼女の蹴りは、当たり所によっては私を行動不能に陥れてあまりあるものだったからです。
 彼女はなおも私に攻め入ります。
 私は、どうしたら良いのでしょうか?
 綾香お嬢様の言葉が圧縮されたログの中から蘇ります。

『いい? いざってときのための護身術を教えるからね』

 今が、その時です。

 今まで防御一辺倒だった変な耳の女が、突然攻撃姿勢に入って来ました。
 焦りもありますが、チャンスでもあります。
 攻撃の後は、わずかながら隙が出来るもの。
 その隙さえ突けば、この堅い防御を打ち砕けようと言うものです。
 変な耳の女は、右ハイキックを打ち、それを私がスルーすると、とたんに姿勢を直して左後ろ回し蹴り、という風に、回転しながら蹴りを打ち込んできます。
 これは……「疾風迅雷脚」!? すごい。なにがすごいかって、スカートでこの技を繰り出してくる辺りがすごい。
 私も人のことは言えませんが。あ、白。
 しかし、私は勝利を確信しました。
 この技は、最早完全に見切っています。全段ブロッキングすることさえ出来ます。
 蹴りが終わり、わずかな隙が出来、私がそこを狙おうとすると。
 変な耳の女は、体をぐっと沈め、そこから全身を使ったアッパーカットを打ってきました。
 なんとかブロッキング。しかし、打撃はそこで終りではなく、アッパーカットはもう一発、さらに一発と襲い掛かってきました。
 これは、まさか「九頭龍烈破」!?
 焦りのあまり、ブロッキング失敗、残りの技を連続で叩き込まれ。
 最後は「神龍拳」により、私は天高く舞いました。

 私は近くの店舗に突っ込みました。
 ライフゲージはゼロ。指一本動きません。
 完敗です。
 変な耳の女は、ゆっくりと近づいてきます。
 ……。
 私は覚悟を決めました。私は敗者です。
 でも、敗者には敗者の誇りというものがあります。
 けして、目を逸らすことはしません。
 変な耳の女は、私の方に手を伸ばし、私は覚悟しながらそれを見。
 予想に反して、変な耳の女は私に手を貸し、立ち上げてくれました。

「……情けは無用です」
「いえ。情けではありません」
「じゃあ、何故?」
「あなたは強い。でも、もっと強くなれる」
「え?」
「強くなって下さい。私はいつでも待っています」

 変な耳の女は、優しく微笑み、私に肩を貸してくれました。

「歩けますか?」
「あ、いえ、はい。もう大丈夫です!」

 私は、慌ててその人から離れました。
 さっきは指一本動けなかったのですが、なんか回復したみたいです。

「あの、いきなり襲いかかっちゃたりしてすみませんでしたっ!」
「問題ありません」

 ああ、なんて優しい人なんでしょう。
 まるで、海のようです。

「あの…」
「はい?」
「あなたの…お名前は?」
「はい。HMX13型、セリオとお呼び下さい」
「セリオ、さん」

 私は、その場から駆け出しました。
 赤く染まった顔を、セリオさんに見られたくなかったからです。
 しばらく離れてから、後ろを振り向くと、セリオさんの姿は見えなくなっていました。
 私はその場に立ち尽くし…セリオさんに殴られた場所を押さえました。
 すでに痛みはなく、むしろ心地良ささえ感じました。
 意識せずに、言葉が口から漏れます。

「セリオ……お姉様」

 次の日。

「…なあ綾香」
「なに?」
「あれは、一体どういう事なんだろう?」
「…私が聞きたいわよ」

 俺の目の前には、セリオ、そして葵ちゃん。
 あまり想定していなかった組み合わせだ。
 なんだか知らないが、葵ちゃんはセリオになついている。
 うーむ? 一体二人に何があったんだろう?
 ……そういえば、俺の知り合いの女の子のうち、ここにいる子とあかり以外、みんな病院入りしていた。
 幸いみんな後遺症が残るほどのことはなかったけど、なぜか「あお」という言葉を聞くと、恐れおののいたような表情をする。
 ……。
 世の中って、ミステリアスだな。
 それ以上考え無い方が良いような気がした。

おわり。

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