12月22日、はれ。午後、ところにより曇り。
「あら、おでかけ?」
私が自宅の廊下を歩いていると、おかあさんがそう尋ねてきた。
立ち止まり、その問いに答える。
「……はい。お友達と、遊んできます」
「そう。あまり遅くならないようにね。今日は、寒くなりそうだし」
「はい。わかりました。いってきます」
「はい。いってらっしゃい。みちるちゃん」
そう言って、彼女は微笑みながら私を見送ってくれる。
その笑顔を見ていると。
……悲しくなる。
「……あ」
「なに?」
「今日、は」
「え? 今日、なにかあったかしら?」
「……いえ。なんでもないです」
わかっていたことだ。
今日、この家に。
遠野美凪の誕生日を祝う人はいない。
*
町を歩いていると、変わった組み合わせを見かけた。
1人は私の友達、みちる。
もう1人は時々お世話になる、霧島診療所のお医者さん。
二人は、なにやら話をしているようだった。
近づいて話に加わろうと思ったけれど、その前にみちるはどこかへと走り去ってしまった。どうやら、私が近づいていることには気付かなかったらしい。
どんな話をしていたのか気になったので、私は霧島さんに話を聞いてみる事にした。
「どうも。こんにちは」
「ん? ああ、遠野さんか。こんにちは。奇遇だな」
「はい。本日はお日柄もよろしく……」
「うむ。天気はいいが、少し肌寒いな。佳乃に風邪をひかないよう注意させなければ」
「健康一番、ですね」
「まったくだ。さきほどの子も、あんな格好でまったく寒そうな素振りも見せず、健康でいい。ただ、見ているこっちが少し寒くなってしまうのが難点だが」
「そうですね。あ、そういえば」
「なにかね?」
「その、その子となにかお話をしているように見えたのですが」
「ん? ああ、そういえば、彼女は君の知り合いだったか。たしか、一緒にいるのを見たことがあるような」
「はい。友達……親友です」
「そうか。友達はいいものだな。えーと、じゃなくて何を話していたか、か。ふむ。まあ、ちょっとしたことなんだがな」
「はい」
「どのあたりを探せばお金が落ちているのか、と言うことを聞かれた」
「……はぁ」
「まあなにか欲しいものでもあるんだろう。家庭の事情も知らない私が、親にねだれ、とか言うわけにはいかないから、とりあえず自動販売機の下などが狙い目だと教えておいた」
「そう、ですか」
「ん? なにか心当たりでも?」
「……いえ。あんまり」
思い違いとか。
自意識過剰とかじゃ、たぶん、無いと思う。
あの子が何がしたいのか、なんとなく、わかる。
でも。
「……よく、わかりません」
「そうか。まああのくらいの年齢なら、色々したいことも欲しいものもあるだろうしな」
「はい。そうですね」
あの子が、私に秘密でそれをしているというのなら、私は、知らないでいようと思う。
「では……これで」
「ああ。風邪など引かないように。お母さんにも、そう言っておいてくれ」
「はい。では、さようなら」
振りかえり、その場から立ち去ろうとする。
その私に、声がかかった。
「ああ、そうだ、言い忘れていた」
「え?」
特別なことば、というものは、ある。
「たしか今日だったな。美凪さん、誕生日おめでとう」
「……はい、ありがとうございます」
それは、私を、こんなにもどきどきさせる。
*
いつもの場所にやってきた。
私と、あの子のお気に入りの場所。
今はもう、誰にも使われていない駅。
そこに設置されている自動販売機の下を覗きこんで、何かががさごそと動いている。
ときどき、「にょわー」とか「うにゅー」とかいう声が聞こえてくる。
面白いから、しばらく見ていることにしてみた。
すると、みちるは自動販売機の下に入れていた手を引き出して、その手を天高くかかげ、
「やったーっ! ごひゃくえんはっけーんっ! って、これはへんぞうウォンだーっ!」
騒いでいた。
みちるは変造ウォンを大空に向かって投げ捨て、悔しそうにしている。
面白そうなので、話し掛けてみることにした。
「……これみちるさんや。一体なにをしているのかね?」
「え? にょわわっ、美凪、いつの間にっ!?」
「……ふふふ。私はいつでもあなたの側にいるのですよ」
「にゅう。美凪、なんかおはようからお休みまで暮らしを見つめるひゃくじゅうのおうみたいだ」
「……百獣の王……えらい?」
「うん。美凪はとってもえらいよー」
「……えへん。あ、ところでみちる。自動販売機の下で何をしていたの?」
わかってるけど、一応聞いてみる。
すると、みちるは慌てた様子で、
「な、なんのことー、みちるはなんにも探してなんかいないよー」
と、言ってきた。
……この子の嘘は、いつだって不器用だ。
「それで、みちるは何円くらいいるの?」
「えーと、300円くらいかな? ……あ、じゃなくてっ、みちるはお金を探してなんかいないんだよっ」
「そう。わかった」
「なにがわかったの?」
「それは秘密です」
「うにゅー、あ、美凪ごめんね。みちる、もうちょっと探し物しなきゃいけないの」
「うん。がんばってね」
「うん。がんばるよー」
さっき、「探し物なんかしていない」って言ったような気がするけど。まあ、聞かなかったことにしておいた。
みちるは元気よく走り出していき、すぐにその姿は見えなくなった。
残された私は、駅にあるベンチに座って、お財布の中を見てみた。
細かいお金は……ちょうど300円ある。
うん、これでいい。
さっきみちるが下を覗いていた自動販売機に近づいていって、その下の、少しわかりづらいところにそれを置いておく。
あとは、あの子が帰ってくるのを待っていよう。
少し、時間が流れた。
みちるは、まだ帰ってこない。
ふと、空を見上げる。
何時の間にか、空は薄暗く曇っていた。
そして、その中をひらひらと舞う、白く小さな欠片が見えた。
「……雪?」
そう呟く。
この町の、この時期に、雪が降るなんて、本当に珍しい。
そっと、手を伸ばしてみた。
でもそれは、私の手に触れる前にとけて消えてしまう。
積もることなく消えていく、小さなそらのかけらたち。
それは、とても悲しい風景だった。
それは、まるで。
「うーにゅーうー」
その唸り声で思考は中断された。
声の聞こえた方向を見ると、そこにはしょんぼり顔のみちるがとぼとぼと歩いていた。
どうやら、目当てのものは見つからなかったようだ。
「おかえり、みちる」
「ただいまぁ」
「……みちる、元気ない?」
「えっ、ううんっ、そんなことないよっ」
本当に、わかりやすい。
「……さがしものなら……」
「えっ?」
「そこの、自動販売機の下なんか、ねらいめかも」
「でも、そこはもう探したし……」
「もういちど、がんばってみると……すてきなことが」
「え? そうかなあ。うん。わかった。もいっかい探してみる」
そう言って、みちるはとことこと自動販売機のところへと歩いていった。
基本的に、みちるはとっても素直。
ちょっと素直すぎて、知らない人についていったらたいへん。
だから「ゆうかいま」には気をつけましょう、と後で言っておこう。
そんなことを考えていると、
「あ、やったーっ、300円みっけーっ」
「おめでとうございます。ぱちぱちぱち。しかるのち、進呈」
「わーい、おこめけんも手にいれたー。もうばっちりだぞーっ」
「喜んでいただけて、なにより」
「よっし、美凪、みちるもういちど出かけて来るねーっ」
「はい。いってらっしゃい」
そう言って、みちるは、今度は元気よく駆け出していった。
私は、それを見送る。
今度はたぶん、さっきよりも早く帰ってくると思う。
だから、私はそれを待つ。
こんどは、あんまりさびしくない。
思ったとおり、みちるは結構早く帰ってきた。
「美凪ー、ただいまーっ」
「はい。またまたおかえりなさい」
みちるは、後ろ手に何かを持っている。
と、言っても、みちるの小さな体ではそれを隠しきれなくて、それが小さな白い箱であることはわかっているのだけど、言わないでおく。
「へへー」
「……みちる、ごきげん?」
「うんっ。ねーねー美凪、今日ってなんの日だか、わかる?」
わざと、とぼける。
「……さあ。なんの日だったっけ?」「あはは、もー美凪ってば、こんな大切な日を忘れちゃだめだってば」
大切な日。
生まれてきたことを。
生んでくれたことを。
祝福し、感謝する、大切な日。
「じゃじゃーん、今日は、美凪の誕生日なんだよーっ、とゆーわけでっ、しんてーいっ」
「……ありがとう、みちる。開けても、いい?」
「うん。もちろんだよっ」
そっと、白い箱を開く。
中には、小さな、ショートケーキがひとつ。
どこで買ったのかわからないけど、あのお金ではこれだけしか買えなかったんだろう。
「ケーキ、ね。おいしそうです……」
「うん。きっとおいしいよ」
「でも、みちるの分はないの?」
「え? にょ、にょわ……えーと、みちるはね、」
みちるは笑う。
この子は、いつもそうやって。
「えっと、うん。もー食べちゃったの。えとね、あんまり美味しそうだったから」
優しく、嘘をつく。
「そうなの。みちるのくいしんぼさん」
「うー、美凪、それはちょっとひどいってば」
「……あ、ごめんなさい」
「わ、あやまらなくてもいいけど。それより、ね、早く食べて」
「はい。食べましょう」
二人で駅のベンチに座り、ケーキについてきたフォークで食べ始めようとする。
ふと横を見ると、みちるがじーっとケーキを見ていた。
「みちる?」
「え? なに美凪」
「……食べたいの?」
「えっ、そ、そんなことないよ」
「食べたい?」
「う、えーと、その、ちょっと」
ちょっといじわるすると、みちるはもじもじとそう言った。
私は、くす、と笑って、
「それじゃあ、一緒に食べましょう」
「え? いいの?」
「はい。みちるに食べてもらえるのなら、ケーキさんも本望というものです」
「うにゅにゅ……うん。じゃあ、一緒に食べよっ」
そう言って、みちるはフォークで、私はいつも持ち歩いているお箸(ご飯を食べるのに便利です)を使って、二人でケーキを食べ始めた。
みちるは、はぐはぐと美味しそうにケーキを食べている。
私も、ケーキを食べていたけれど、それよりもみちるがケーキを食べているのを見ている時間の方が長かったかもしれない。
「にょわ? 美凪、みちるの顔になんかついてる?」
「はい。生クリームが」
「え? ほんと」
「はい。ここに」
「あ、ありがとー」
私は、そんなみちるを見る。
みちるは、私が見ていることに気付いて、にこっと笑って、
「えへへ。おいしいね、美凪」
そう言って、笑った。
その幸せそうな笑い顔を見て、私は。
みちるの頭を、そっと抱きかかえた。
「にょわわっ。……美凪? その、クリームが服についちゃうよ?」
「そんなの、いいです。だから、もうちょっとだけ……」
抱きかかえた腕から、みちるの温もりが伝わってくる。
それは、冷たい私の体に染み入るようだった。
「もう少しだけ……こうさせて下さい」
「……うん」
今が。
この温もりが。
この夢が。
いつかとけてしまうものだとしても。
私は、まだ、この嘘の中にいたい。