目を開くと、灰色の空と、そこから降ってくる灰色が見えた。
雪が降っている。
「往人さーん」
声がした。
そちらに振り向くと、丸めた雪玉を抱えてはしゃいでる少女がいる。
彼女の名前は、たしか。
「……何やってんだ観鈴」
「何やってんだ、じゃなくて、ほら、雪だよ雪」
観鈴は、雪玉を抱えたまま、こっちへと近づいてくる。
「言われなくてもわかる。雪なんてそこら中にあるだろ」
「でも、わたしの町じゃ、めったに雪なんて降らないから、珍しくて」
わたしの町……彼女の町。
夏の間の、わずかな期間しかいなかった町。
確かに、あの町はずっと夏であるような気がする。
そんなわけはないことはわかっている。
ただ、自分はあの町の夏の姿しか知らないから、他の姿を想像できないだけだ。
観鈴は丸めた雪玉を地面に置き、ころころと転がしている。
雪だるまでも作るつもりだろうか。
「おっきな、雪だるま、作ろうね」
「作ろうね、って、俺も手伝わす気か」
「二人で作れば、二人ぶんおっきな雪だるまが作れるよ」
「そんな寒いこと、ごめんだ」
ただこうしているだけでも寒いのだ。
この上、雪をいじりまわすような真似をしたら、凍傷にかかりかねない。
「雪は冷たいけど、動いてれば暖かくなるよ」
「そりゃ、お前は子供だからな」
「往人さんだって、まだ大人じゃないでしょ?」
そう言われて、はっきりと反論は出来ない。
自分は大人か子供か、と聞かれたら、どう答えればいいだろう。
どちらでもない気がする。
「ともかく、俺はそんなこと嫌だ」
「楽しいよ」
無邪気に笑いながら、そう言う。
観鈴は本気で楽しいと思っているようだが、俺にはどうもそうは思えない。
「大体、雪だるまなんて、作ったってそのうち溶けてなくなっちまうだろ。
そんなもん、なんでわざわざ作らなきゃならないんだ?」
「いつか、溶けて消えちゃうから。だから、今作るんだよ」
雪玉を地面に置く。
振り向き、俺に背を向け歩いていく。
「あ?」
「限られた時間の中にしかいることはできないけれど、
限られた季節の中にしかいることはできないけれど、
その中で見えた景色は、その中で過ごした瞬間は、その中で感じた思いは。
きっと、いつまでも、思い出の中に残っていくと、思うから」
そう言って、こちらに振りかえる。
「何を、言っている?」
「雪だるまの話。ねえ往人さん、雪って、なんで降るの?」
「そりゃ……」
問われて、考えこむ。
上手く説明できるほどには、知ってない。
「そりゃ、降るから降るんだ。そう言う風に出来てるんだ」
「うん。そう。ただ、降るの。わたしの考えなんか関係なく。
でも、その雪にふれようとすることは、その雪で雪だるまを作ろうとすることは、
その雪を綺麗だと思うことは、わたしの意思」
「……」
この少女は、何を言っているのだろう。
こんなことを言う少女だっただろうか。
それよりも。
「なんで、お前がここにいる?」
そうだ。
なぜだ。
俺たちは、あの町で、別れたはずなのに。
「往人さんが、わたしのことを思い出してくれたから、かな?」
ふと、少女が遠ざかっていくような気がした。
「おい……」
「じゃあね、往人さん。……またいつか、会おうね」
少女は消える。
手を伸ばす。届くように、と。
それが届かないことは、もう知っている。
*
「むぎゅっ」
「おわっ、生きてるぞこいつっ」
その、けたたましい声で目を覚ます。
まず、思ったこと。
寒い。
腹が減った。
頭いてえ。
それから思ったこと。
なんだこいつらは?
目の前にいるどことなくぼおーとしたような少女と、どことなくいけすかないツラをした少年の二人組。
歳は、高校生ぐらいだろうか。
もひとつ、不可解なことがある。
俺は、その少女の方の鼻っ柱を掴んでいた。
「気をつけろ名雪っ、鼻を掴まれるって事は、目をつぶされかねないってことだぞっ!」
「祐一、見てないで助けてよっ」
「名雪。鼻が掴まれているせいで声がヘンだ。なかなかバカっぽくていいぞ」
「そんな事言ってないでっ」
事態がよく飲みこめない。
周囲を見まわすと、一面の雪景色。
建物からすると、多分駅前かどこかか。
俺は、そこに設置されてるベンチに座り込んでいた。
そう言えば、ちょっと休憩するつもりでここに座った気が、おぼろげながらにする。
体を動かすと、どさっ、という音がして、俺の頭から雪が滑り落ちる。
こんなに積もるほど寝てたのか。
むしろ、寒さと空腹で気を失っていたのかもしれない。
「おいあんたっ」
「あん?」
いけすかないガキの方が話しかけてくる。
「名雪の鼻を掴んだことは、まあ、名雪のマヌケ声が聞けたからいいとして」
「祐一……」
「いや、じゃなくてな。とにかく、その手を離しやがれっ」
「……あ?」
言われて気付く。
俺は、少女の鼻を掴んだままだった。
見ると、少女はなんだか涙目になっている。さすがに悪い気もしたので俺は手を放す。
「うー。びっくりしたよー」
「名雪、鼻が赤いぞ」
「えっ、本当?」
「ああ。暗い夜道もぴかぴかに照らしかねないぐらい真っ赤だ」
「うー。わたしトナカイさんじゃないよー」
二人は、そんなやり取りをしている。
どうやら知り合いのようだが。
つーか。
「お前ら、新手の漫才師か?」
「違うわっ。どこをどうしたら、俺たちが漫才師に見えるっ」
「いや、なんかそう思ったんだがな」
「え? わたしたち、面白かったのかな」
「喜んでどうする名雪」
なんつーか、面白いやつらだ。
「それよりも、だ」
「んだよ」
「あんた見かけない顔だが、何者だ?」
「祐一、初対面の人に、そんな態度じゃダメだよ」
「いいんだよ。こんな目付き悪くて片目隠して黒いヤツは、絶対ろくなもんじゃねえって。むしろスジモンだろ、こいつは」
「……本人の前で、随分と好き勝手に言ってくれるじゃねえか」
どうも、このガキはいちいちカンに触る。
やったろか。
「なんだ、その『やったろか』って顔は」
「そのまんまだ。やんのかこのガキ」
「なんだとコラ」
「祐一、ダメだってば。えっと、ごめんなさい」
突っかかってくるガキをいさめ、少女は俺に頭を下げてくる。
彼女に非は無いと思うのだが。
「まあ、許してやろう」
「な「祐一は黙ってて」
言葉を途中で遮られ、ガキは機嫌悪そうにこっちを睨む。
「えと、祐一が色々言っちゃったのは謝ります」
「いや、元はといえば俺があんたの鼻を掴んだのが悪いんだし」
少女の後ろでガキがそうだそうだ、と小声で言うが、少女にむぅ、とした顔を向けられて黙りこむ。
「でも、こんなところで眠ってたら、風邪引いちゃうと思いますよ」
「あ?……ああ、そうだな」
そう言われて、眠っている間に見た夢のことを思い出す。
観鈴が、あの夏の町で出会った少女が出てきた、気がする。
なんで今更彼女の夢を見るのか。
そもそも、夢に見るほど印象に残っていたのか。
ほんの僅かな間、一緒に暮らした、ただそれだけなのに。
考えても仕方ない。思考を途中で打ち切り、目の前の少女を見る。
「忠告ありがとよ。まあ、なんとか生きてるみたいだし、こんな寒い町からはとっととおさらばするつもりだ」
「そうだそうだ。とっとと行っちまえ」
「祐一ってば。もう」
なぜ、このガキはこんなに気に食わないのか。
この町を去る前に、このガキと決着をつける必要があるような気がする。
「そう言うがなあ名雪。なんか、こいつとは相容れない気がするんだ」
向こうも同じようなことを考えていたらしい。
「そうだな。俺もそう思う。いっちょ白黒つけるか?」
「んだおっさんやる気か?」
「誰がおっさんだクソガキ。目上の人間との付き合い方ってもんを教えてやろうか?」
「何が目上だ。ただ長く生きてるだけじゃねえか」
「もおっ、ふたりともっ! ケンカは止めてっ!」
思いがけず大きな声に、俺たちは振り向く。
二人してその声の主である少女の方を見ると、少女は何時の間に作ったのか、幾つかの雪玉をその手に持っていた。
「ケンカはダメ。やるんなら、スポーツでしようよ」
「「スポーツ?」」
「うん。雪合戦」
「雪合戦てスポーツか?」
「んだガキ。怖気ついて逃げる気か?」
「何寝言言ってんだオッサン。あんたが相手じゃ、弱いものいじめにならねえか心配したんだよ」
「ほほぉ。吠えるじゃねえか」
睨みあう俺たち。
その俺たちの手に、少女はぽいぽいと雪玉を渡していく。
「周りの人の迷惑にならないようにね。じゃあ、始めっ」
その合図を聞くか聞かないか、という時点で、俺たちは動き始めていた。
……。
数時間後。
そこには、疲れ果てた二人の男が地面に倒れこんでいた。
言うまでも無く、俺とガキだ。
「二人とも、頑張ったねー。見てるこっちが寒いぐらいだよ」
「へっ、これ、ぐら、い、大し、たこと、ねえぜ、まだま、だイ、ケるっての」
「は、ガキ、息が、あが、ってんじゃ、ねえ、か」
「そりゃ、おっさん、も、だろ」
二人とも、ぶつけ合った雪玉により、服はびしょ濡れになっている。
だが、心に中にはなにか晴れ渡るようなものがあった。
「まあ……なかなかやるじゃねえか、ガキ」
「おっさんもな」
「ふふ、男の子は、これだからいいよね」
倒れつつ、にやりと笑い会う俺たち。
微笑ましげに見ている少女。
面白そうに見ているギャラリー。
……なんだ、この空間は。
わけわからん。
雪遊びか。
こんなことをしたのは、生まれて始めてかもしれない。
ばかみたいに疲れたが、まあ、悪くない。
寝返りを打ち、空を見る。
夢の中と同じように、灰色の雪が降っていた。
こんなことなら、夢の中で観鈴と遊んでやってもよかったかもしれない。
まあ。
いまさら、遅いが。
雪が降る。
視界全てが、灰色に染まる。
この向こう側に、青空はあるのだろうか。
あの、夏の町と同じ空が。
とても信じられない。
「ここは、ずっと雪が降っているのか?」
「あ? まあ、冬の間は大抵降ってるけどな」
「……空が無いみたいだ」
「あんた、旅の詩人か?」
「違う」
「何言ってるわかんねえが、晴れて空が見える日もあるし、春になりゃ雪なんかもう降らない。夏が来ればそれなり以上に暑いぞ。当たり前だろ」
「……そうだな」
この町にも、夏は来る。
この町にも、空はある。
いつかどこかのその空に、きっと繋がっている。
まだ、終わりじゃない。
まだ、歩いていける。
俺が、歩いていこうとする限り。
「おっしゃっ!」
「うぉっ、急に大声出すんじゃねえよ、びっくりするだろっ」
「気にすんな。所で随分とギャラリーが集まってるようだな」
「まあ、娯楽の少ない町だからな」
「好都合だ」
「なんだって?」
「今日は特別サービスで、俺の正体を教えてやろう」
「いや、別に知りたくないぞ」
「わたしは知りたいな」
突然騒ぎ出した俺に、周囲の人間は関心を集め始めている。
そうだ。これこそ、俺の望んでいた状況じゃないか。
懐から相棒を取り出す。
母親から受け継いだ、古い人形を。
「実は、俺ははぐれ人形使い純情派なんだ」
「わけわかんねえよ」
「それ、何ですか?」
「見てろよ、種も仕掛けもないぞ」
俺は人形を地面に置く。
何事かと、人が集まってくる。
「わ、何が始まるのかな。どきどきするね、祐一」
「何するかしらないが、つまんなかったら覚悟しろよ」
「まあ、任せておけ」
人形に念を込める。
とこ、と人形はひとりでに動き出す。
こうやって、ここまで旅を続けてきた。
「うわぁ、なんで? どうして動いてるの? 不思議だなあ」
「け。どーせ種も仕掛けもあるんだろ」
「言ってろ。度肝抜いてやっからな」
これからも、こうやって歩いていこう。
いつか、どこかに辿り着くまで。