離脱2

 母さん、お元気ですか?
 僕は、まだ、空と地面の間の中途半端な場所でふわふわしているわけで。

「……つーか、一発ネタじゃなかったのか」

 誰に言うとでもなく呟き、そして俺は地面を見る。
 地面では、遠野とみちるが、未だに俺の体(の抜け殻)を取り囲んでいた。
 ふっ、この地べたをはいずる虫けらどもめっ。
 ではなくて。

「いやー、しばらくたつけど、国崎往人ってば、うんともすんとも言わないねえ」
「……色々試したのに……困りました」

 そう、色々試された。
 具体的にどう試されたのかは、俺の名誉のため伏せておく。
 ……。
 ごめんなさい、マジで聞かないで下さい。

「じっけんは楽しかったけど、そろそろあきちゃったね」
「そうですね」

 うっ、うっ……。
 ひどい、あんまりだ。

「んじゃあ、そろそろほんごしいれて起こそーか」
「そうですね」

 今までのは遊びだったと言うわけか。
 もうなんでもいいから、早く俺を復活させてくれ。

「では……最終兵器登場……ぱちぱちぱち」
「おおっ、で、なにが出てくるんすかっ」
「……最終兵器、みちる〜」

 そう言って、遠野はみちるをぶんぶんと振る。

「にょわっ、みちるはさいしゅうへいきだったのかっ。ということはかのじょですか?」
「その通り。国崎さんの未来は、みちるの手にかかっているのです」
「なんとっ! そ、それで、みちるはいったい何をすればっ!?」

 するのがみちるというのは不安だが、遠野の自信満々の顔を見ていると、なにやら期待できそうだ。

「それは、ずばり……」
「ずばりっ!?」

 なんだ?

「接吻、です」
「にょけ?」

 接吻。
 相手のくちびる、ほおなどに自分の口をあてて吸い、尊敬や愛情のしるしとすること。
 または、その動作。くちづけ。キス。キッス。

「にゅわっ、なぜみちるがそげなことをせねばあかんですかっ?」
「……眠った王子さまを起こすのは……何時の時代も穢れなき乙女の仕事、ですから」

 普通逆のような。

「で、でも、どうして美凪じゃいけないの?」

 もっともだ。
 俺も、どうせならみちるより遠野の方がいい。

「……私は……穢れちゃってますから」
「ええっ! だれがそんなことをっ!」
「……国崎さんです」

 ええっ!
 俺なんかしたか?
 まだ、なんにもしてないはずだぞっ!

「く、国崎往人ってば、美凪にいったいなにを?」
「……それは」

 遠野は、辛そうに顔をそらし、

「……妄想……・されちゃいましたから」
「なんとっ! そいつはひでえっ!」

 ちょっと待てっ、その程度かっ。
 つーか、あれは俺が悪いんじゃない、辞書のタ行が悪いんだっ。
 いやむしろ、なんで知ってんだ遠野っ。

「おのれ国崎往人めっ、いっそ、ここでとどめをさせばあとくされがなくていいぞっ」

 みちるの表情、けっこうマジ。

「……いえ……みちる、止めて下さい」
「でも、でもっ」
「……いいんです……私は、へっちゃら、ですから」
「ううっ、美凪ってばものすごくけなげだねぇ」

 下はなんだかいい雰囲気になっている。
 いや、ここはしんみりするシーンではねえと思うんですが。

「と、いうことですから……さあ、みちる」
「さあ、って言われても……にゅうううううっ」

 みちるはかなりマジに悩んでいる。
 ……されても困るが、ここまで悩まれるのもなんだか腹立たしい。

「わかった、みちる、やるっ」
「……わあ」

 マジかよっ!?

「国崎往人は、まあ、わりとどうでもいいけど」

 ちょっと待て。

「美凪のかなしそうな顔を見るのは、みちるいやだもん」
「……みちる……」
「えへへ……美凪には、いつも笑っていてほしいから」

 そう言って、二人はひしっ、と抱き合う。
 いいシーンではある。
 地面に俺が転がってさえいなければ。

「では、みちる、行きますっ」
「……頑張ってください。骨は拾います」

 そんな、戦地に赴くみたいな言いかたしなくても。

「ふっふっふ、国崎さんよぉー、もうにげられねえぜ、かんねんしなぁっ」
「……みちるったら……ノリノリ」
「へっへっへっへっへっへっへ」

 なんかみちるのノリがスケベ親父のそれとなっている。
 やばい。このままでは俺の純潔が汚されてしまうっ。
 しかし、俺には何も出来ない。
 こんなところでふわふわと漂っているしか出来ない。
 俺は、なんて無力なんだろう。
 せめて、あの体を動かすことが出来れば。
 ……そうだ。
 俺には、ちからがあるじゃないか。
 ふれずとも人形を動かす法術。
 普段なら、人間を動かすことまでは出来ない、だが、魂が抜け、抜け殻となったあの体なら、あるいは。
 俺はそう思い立つと、すぐに自分の体に向け意識を集中させた。

「にょふっふっふっふっふ」

 時間がない。
 みちるは刻一刻と迫っている。
 しかし、俺の体が動く様子はない。
 駄目なのか?
 俺が諦めかけたとき、そのとき、かすかに変化が起こった。
 指が、微かに動いたのだ。
 それを見たとき、俺はまるで止まった時間の中で動くことが出来たときのような感動を受けた。
 いける。往人ちんふぁいと、だ。
 さらに意識を集中させる。
 やがて、はっきりとした手応えを感じた。
 長い時間動かすのは無理だが、一瞬だけなら、すばやい動作をさせることも可能なぐらい、ちからは蓄えられている。
 そうしている間にも、みちるの顔は近づいていく。
 今か? いや、まだ早い。
 最小の動きで最大の効果を発揮するためには、ぎりぎりまでひきつけなければいけない。
 焦る気持ちを落ちつかせ、俺は機をうかがう。
 ここまできたら戦術もへったくれもない。
 俺の体、二十数年間俺についてきてくれた、お前を信じるっ。
 みちるが近づく。
 あと30センチ、20センチ、10、5……。
 今だっ!
 蓄えたちからを一気に開放し、そのちからを持って首をほんの少しだけ、しかしすばやく前に曲げた。突き出される俺(本体)の額。その先には、顔を近づけていたみちるの額がある。
 この距離ならば、目をつぶったとしても、はずさない。
 いけるっ!
 突然の俺の動きに意表を疲れながらも、防御しようと体をひこうとするみちる。
 だが、もう遅い。
 互いの額が接近し。

 ごちーん。

 二つの額が、大きな音を立てた。
 俺の体が、どさっ、と倒れこんだ。
 みちるは、その反対側に倒れこんだ。
 同時に、俺の頭にも激痛が走る。
 本体に強い衝撃を与えたことが、霊体である俺の方にも影響を与えたのかも知れない。
 次第に薄れていく意識。
 その意識の中で、俺は、意外なほどはっきりとみちるの最後の呟きを聞いた。

「へへ……なかなかやるじゃねえか……」

 お前もな。
 姿が見えないにも関わらず、俺たちは親指をぐっ、と突き出しあった。
 みちるは、美学を共感できる、漢気を持つチビジャリだった。
 
 
 
 

 俺は、目を覚ます。
 見上げれば夕焼け空。
 頭がひどく痛む。いったい何があったのだろう……。
 横を見ると、遠野とみちるが飯の用意をしていた。

「……あ、国崎さん……お目覚めですか」
「起きたなら、ごはんの用意を手伝えっ」
「あ……ああ」

 二人の様子にまったくおかしいところはない。

「……俺はいったい?」
「……国崎さんは、みちるのちるちるクロスチョップをうけ、
 意識を失ってしまっていたのです」
「やー、なかなか起きないもんだから、一時はどうなるかと思ったよ」

 ……そうか。
 確かに、そこまではなんとか覚えている。
 そのあと、何かを見ていた気がするが……。
 あれは、夢だったのだろうか?

「どーした国崎往人、ぼけぇっとしてるけど」
「……国崎さん?」
「ん、いや、なんでもない」

 そう夢だったんだ。
 そうさ。
 なんかそう思ったほうが精神衛生上よろしいような気もするし。
 そうだ。そういうことにしてしまおう。

「なにをぶつぶつ言ってんのだ?」
「いや、なんでもないって」
「さあ、みちるも、往人さんも、ご飯が出来ましたよ」
「にょっ、さあ、食べるぞぉっ」
「よし、食うとするか」

 無人の駅での、少女達との晩餐。
 俺はその浮世離れしたような、それでいて安らぐような光景の中で食事を開始しようとし。
 
 遠野が微笑んでいるのに気がついた。
 擬音にするならば、にや、と言うタイプの笑い方だ。

「……遠野、どうかしたのか?」
「……額を突き出したとき、唇になにか変わった感触を覚えませんでしたか?」
「……な、」

 何? と聞こうとする俺の言葉が途中で途切れる。
 見ると、遠野の手には白い封筒があった。
 それは、いつものお米券封筒とは違っていた。
 そう……ちょうど、写真が入るくらいの大きさで。

「……決定的瞬間、げっと……くすくす」
「……」

 遠野は、ただ静かに微笑んでいる。
 みちるは、ただ飯を食らっている。
 俺は。
 美凪の言っていた、死体遺棄の方法を、真剣に思い出そうとしていた。

(なんだかよくわからないけどおわり)