その日も、あの日のように、夏。
どこまでも青い空を見ながら、俺はぼけーと座り込んでいた。
「往人くーん」
声が聞こえる。
振り向くと、何時の間にか佳乃がそこにいた。
「……ああ佳乃か」
「ああ佳乃か、って、そのはんのーはなんだか寂しいなぁ」
「……わあ、佳乃だ」
「うぬぬ、なんだかばかにされてるような気がするぅ」
「気のせいだ」
そんな風に、いつもと変わらない会話をしていると、突然佳乃が、
「じゃ、なくってぇ」
と、言った。
なんだか慌てているようだ。
「どうした?」
「ゆきのがいなくなっちゃったのぉ」
「往乃が?」
「うん。ちょいと目を話している隙に、ちょいちょいっ、と」
相変わらず小動物みたいな娘だ。
「もう子供じゃないんだし、別に平気なんじゃないのか?」
「だめだよぉ、あの子体弱いんだから、こんな暑い日に帽子もかぶらずに外に出ちゃったら」
それを聞いて、ため息。
意外に過保護なのは、やはり姉に似たんだろうか?
「で、俺は往乃を探せばいいんだな?」
「うん。私は家のどこかに隠れてないか探すから、往人くんは外を探して」
「ああ。……って、俺だけ暑い思いしろってか」
ひどいやつだ。
「わ、そんなことないけどぉ。
あたし、お医者さんからあまり無理はするな、て言われてるし」
「ああ」
そういえば、そうだった。
もう、それぐらいの時期だったか。
「わかった。外、探してくる。高いとこが好きなやつだから、上から見まわせば見つかるだろ」
「そんな、なにかと煙みたいに言わないでよぉ」
でも事実だ。
「ま、とにかく行ってくる」
「はい。いってらっしゃい」
佳乃に見送られ、俺は外の炎天下へと歩いていく。
と、ある事に気づいて、佳乃の方に振り向いた。
「そういやあ、さ」
「え?」
「お前、いつまで俺のこと『くん』付けで呼んでんだ?」
「え? ああ、そーだねぇ。でも、往人くんは往人くんだから、仕方ないよぉ」
「……ま、いいけどな」
口調も、さすがに直した方がいいと思うんだが。
もう子供じゃないんだしな。
*
その場所は海の見える堤防。
照りつける日差しの下で、少女は海の方を見ていた。
「うーす不良娘。こんな所にいたのか」
俺が声をかけると、その少女……往乃はくるっと振り向く。
こうして見ると、やはり、佳乃に似ていると思う。
「こんなところで何やってたんだ?」
「んー」
問いに、
「海見てたのっ。あと、そらっ。ずうっと青いのっ」
跳ねるように答える。実際ぴょんぴょん跳ねている。
佳乃に似て元気は良さそう。とても小さい頃病弱だったようには思えない。
「そーか。往乃はそら、好きか?」
「うんっ。そらも海も、こう、がぁって感じで好き」
大きく手振り。
その大げさな動きに、俺は苦笑しつつ、一緒に海のほうを見る。
どこまでも遠い、夏の空。
……俺がたどりつくことの出来なかった場所だ。
でも、今はそれもいいと思っている。
今の俺には、大切なものがある。
そうしてしばらく二人で堤防に座り込んでいると、往乃が突然口を開いた。
「ね。見せたいものがあるの」
「なんだ? こないだの赤点のテストか?」
「え? バレてた?」
「バレバレだ。気付いてないのは佳乃ぐらいだろ。教えたら怒るだろうな」
あれで結構教育ママ。
「ええっ。困る……黙っててっ」
「ふむ。今度肩揉んでくれたら手を打とう」
「せこっ。皆さんっ! この男てば、せこいですよっ!」
「こら。この男はないだろこの男は。つーか誰に言ってる」
話が脱線しているような気がする。
どうも、こいつと話していると、むしろ友人と話しているような気分になってしまう。
精神年齢が近いということだろうか。
「……はっ。すっかり話がそれちゃったね」
「おう。で、なんの話だって?」
そう聞くと、往乃は立ちあがって変なポーズを取り、どるるるる、と口でドラムロールの真似をしながら、どこからかそれを取り出した。
古ぼけた、人形を。
「……往乃?」
「見ててねっ」
人形を床に置き、それを見つめる。
すると……人形が、ひとりでに立ちあがった。
「ほらっ、すごいでしょっ」
「……」
すっ、と人形の上に手を横切らせてみる。
糸のようなものは、無い。
「トリックなんか無いよっ。しょーしんしょうめー不思議な力。すごいでしょ」
「……ああ」
それは、触れずとも人形を動かす法術。
俺が失った力。
呆然とそれを見ていると、往乃はしばらく人形を動かしつづけ、そして口を開いた。
「この人形をね、見てたら、なんだか声が聞こえてきたの」
「……声?」
「うーん。声とも違うかも。こうぴぴぴっと。言葉ってよりはイメージで。
……昔のことがね、見えたの」
「そうか」
人形を操る手を止め、話を続ける。
「旅の人がいたの。旅を続けている人。
ずっと、ずっと、そらの彼方を目指していた。だけど」
「……届かなかった」
「うん」
だから、俺は今ここにいて、この子もここにいる。
「色んな人たちがいた。色んな人たちと出会った。
……色んな人たちと別れた。
それは、みんな、大切な思い出。
楽しかったことも悲しかったことも、ぜんぶ、思い出」
風が吹いた。
新しい風。
それは、そらへと向かっていく。
「その中で、男の人と女の人が出会って、その人たちは旅を止めたけど、それで私はここにいる
これって、すごいことだよね」
「ああ」
「たくさんの思いのてっぺんに、今、私はいる。
その向こう側には、まだ、あのそらがある。
……そらにいる女の子。私は、その子に会いたい。だからね」
振りかえり、そらを見る。
「私もいつか、目指すの。あのそらを」
「……そうか」
俺もそらを見る。
それは、まだ果てしなく続いている。
この子は、やがてそこを目指す。
その先に何があるのかは……俺にはわからない。
だから、その日まで、俺に出来る限りのことをしてやりたいと思う。
いつか旅立つこの子に。
「んじゃまあ、とりあえず学校のテストぐらい出来ないとな」
「えっ、それって、関係あるのっ!?」
「それはある。少なくとも人並みの知識が無いと、佳乃も俺も危なっかしくて旅に出せない」
「うーん。やっぱそうかなあ」
「そうだとも。あと、人形も動かせるだけじゃダメだ。もっとユーモアあふるる動きをさせないとな」
「むー。よっし。帰ったら練習しよっと」
「その意気だ。んじゃあ、帰るか」
「うんっ」
思いは、受け継がれていく。
「んじゃ、競走だっ、よーいどんっ」
「うわっ、待ってよっ……お父さんっ!」
そして、次の夏へ。