あたらしいつばさ

 その日も、あの日のように、夏。
 どこまでも青い空を見ながら、俺はぼけーと座り込んでいた。

「往人くーん」

 声が聞こえる。
 振り向くと、何時の間にか佳乃がそこにいた。

「……ああ佳乃か」
「ああ佳乃か、って、そのはんのーはなんだか寂しいなぁ」
「……わあ、佳乃だ」
「うぬぬ、なんだかばかにされてるような気がするぅ」
「気のせいだ」

 そんな風に、いつもと変わらない会話をしていると、突然佳乃が、

「じゃ、なくってぇ」

 と、言った。
 なんだか慌てているようだ。

「どうした?」
「ゆきのがいなくなっちゃったのぉ」
「往乃が?」
「うん。ちょいと目を話している隙に、ちょいちょいっ、と」

 相変わらず小動物みたいな娘だ。

「もう子供じゃないんだし、別に平気なんじゃないのか?」
「だめだよぉ、あの子体弱いんだから、こんな暑い日に帽子もかぶらずに外に出ちゃったら」

 それを聞いて、ため息。
 意外に過保護なのは、やはり姉に似たんだろうか?

「で、俺は往乃を探せばいいんだな?」
「うん。私は家のどこかに隠れてないか探すから、往人くんは外を探して」
「ああ。……って、俺だけ暑い思いしろってか」

 ひどいやつだ。

「わ、そんなことないけどぉ。
 あたし、お医者さんからあまり無理はするな、て言われてるし」
「ああ」

 そういえば、そうだった。
 もう、それぐらいの時期だったか。

「わかった。外、探してくる。高いとこが好きなやつだから、上から見まわせば見つかるだろ」
「そんな、なにかと煙みたいに言わないでよぉ」

 でも事実だ。

「ま、とにかく行ってくる」
「はい。いってらっしゃい」

 佳乃に見送られ、俺は外の炎天下へと歩いていく。
 と、ある事に気づいて、佳乃の方に振り向いた。

「そういやあ、さ」
「え?」
「お前、いつまで俺のこと『くん』付けで呼んでんだ?」
「え? ああ、そーだねぇ。でも、往人くんは往人くんだから、仕方ないよぉ」
「……ま、いいけどな」

 口調も、さすがに直した方がいいと思うんだが。
 もう子供じゃないんだしな。

 その場所は海の見える堤防。
 照りつける日差しの下で、少女は海の方を見ていた。

「うーす不良娘。こんな所にいたのか」

 俺が声をかけると、その少女……往乃はくるっと振り向く。
 こうして見ると、やはり、佳乃に似ていると思う。

「こんなところで何やってたんだ?」
「んー」

 問いに、

「海見てたのっ。あと、そらっ。ずうっと青いのっ」

 跳ねるように答える。実際ぴょんぴょん跳ねている。
 佳乃に似て元気は良さそう。とても小さい頃病弱だったようには思えない。

「そーか。往乃はそら、好きか?」
「うんっ。そらも海も、こう、がぁって感じで好き」

 大きく手振り。
 その大げさな動きに、俺は苦笑しつつ、一緒に海のほうを見る。
 どこまでも遠い、夏の空。
 ……俺がたどりつくことの出来なかった場所だ。
 でも、今はそれもいいと思っている。
 今の俺には、大切なものがある。

 そうしてしばらく二人で堤防に座り込んでいると、往乃が突然口を開いた。

「ね。見せたいものがあるの」
「なんだ? こないだの赤点のテストか?」
「え? バレてた?」
「バレバレだ。気付いてないのは佳乃ぐらいだろ。教えたら怒るだろうな」

 あれで結構教育ママ。

「ええっ。困る……黙っててっ」
「ふむ。今度肩揉んでくれたら手を打とう」
「せこっ。皆さんっ! この男てば、せこいですよっ!」
「こら。この男はないだろこの男は。つーか誰に言ってる」

 話が脱線しているような気がする。
 どうも、こいつと話していると、むしろ友人と話しているような気分になってしまう。
 精神年齢が近いということだろうか。

「……はっ。すっかり話がそれちゃったね」
「おう。で、なんの話だって?」
 
 そう聞くと、往乃は立ちあがって変なポーズを取り、どるるるる、と口でドラムロールの真似をしながら、どこからかそれを取り出した。
 古ぼけた、人形を。

「……往乃?」
「見ててねっ」

 人形を床に置き、それを見つめる。
 すると……人形が、ひとりでに立ちあがった。

「ほらっ、すごいでしょっ」
「……」

 すっ、と人形の上に手を横切らせてみる。
 糸のようなものは、無い。

「トリックなんか無いよっ。しょーしんしょうめー不思議な力。すごいでしょ」
「……ああ」

 それは、触れずとも人形を動かす法術。
 俺が失った力。
 呆然とそれを見ていると、往乃はしばらく人形を動かしつづけ、そして口を開いた。

「この人形をね、見てたら、なんだか声が聞こえてきたの」
「……声?」
「うーん。声とも違うかも。こうぴぴぴっと。言葉ってよりはイメージで。
 ……昔のことがね、見えたの」
「そうか」

  人形を操る手を止め、話を続ける。

「旅の人がいたの。旅を続けている人。
 ずっと、ずっと、そらの彼方を目指していた。だけど」
「……届かなかった」
「うん」

 だから、俺は今ここにいて、この子もここにいる。

「色んな人たちがいた。色んな人たちと出会った。
 ……色んな人たちと別れた。
 それは、みんな、大切な思い出。
 楽しかったことも悲しかったことも、ぜんぶ、思い出」

 風が吹いた。
 新しい風。
 それは、そらへと向かっていく。

「その中で、男の人と女の人が出会って、その人たちは旅を止めたけど、それで私はここにいる
 これって、すごいことだよね」
「ああ」
「たくさんの思いのてっぺんに、今、私はいる。
 その向こう側には、まだ、あのそらがある。
 ……そらにいる女の子。私は、その子に会いたい。だからね」

 振りかえり、そらを見る。

「私もいつか、目指すの。あのそらを」
「……そうか」

 俺もそらを見る。
 それは、まだ果てしなく続いている。
 この子は、やがてそこを目指す。
 その先に何があるのかは……俺にはわからない。
 だから、その日まで、俺に出来る限りのことをしてやりたいと思う。

 いつか旅立つこの子に。

「んじゃまあ、とりあえず学校のテストぐらい出来ないとな」
「えっ、それって、関係あるのっ!?」
「それはある。少なくとも人並みの知識が無いと、佳乃も俺も危なっかしくて旅に出せない」
「うーん。やっぱそうかなあ」
「そうだとも。あと、人形も動かせるだけじゃダメだ。もっとユーモアあふるる動きをさせないとな」
「むー。よっし。帰ったら練習しよっと」
「その意気だ。んじゃあ、帰るか」
「うんっ」

 思いは、受け継がれていく。

「んじゃ、競走だっ、よーいどんっ」
「うわっ、待ってよっ……お父さんっ!」

 そして、次の夏へ。

あとがき、つーか蛇足。

 えっと佳乃シナリオ後日談です。
 佳乃シナリオエンドの意味はこーゆーことなんじゃないかってアレです。
 オリキャラの往乃ですが、こいつらならこう単純な名前つけるんじゃないかなあ、と思って。