「往人さーん」

 俺が家で(正確には、居候させてもらってる神尾家で)人形を床に立たせ新技『一人池田屋の階段落ち』の練習をしていると、外から帰ってきたここの家の娘、神尾観鈴に声をかけられた。

「往人さん往人さん往人さん」
「呼ぶのは一度でいい。どうした?」
「私、すごいもの見っけちゃったー」

 そう言うと、手の持つもの……紙パックを俺に見せようとする。

「いらん」
「えっ、まだ見せてもないよ?」
「いらんといったらいらん」

 俺がここまで突っぱねるのは、彼女の手に持つ紙パックに「どろり濃厚」の文字を見たからだ。
 「どろり濃厚」シリーズ。
 一応はジュースであるらしいそれは、しかし俺に言わせれば「味付き泥」でしかない。
 お味の方も、名に違わずまさに濃厚。さすがに俺には飲めない。
 もっとも彼女は気に入っているようで、なんとかして俺に飲ませようと思っているのだが……。

「でも、今回のは往人さんの好きな味なんだよ?」
「何味でも変わらん」
「まあまあ、とりあえず見てみてよっ」

 と、観鈴は俺にその紙パックを強引に渡す。
 やれやれ、と思いつつそのパックを見ると。

『ラーメンセット味』

「ね。往人さん好きでしょ?」
「……」

 いやまあ、確かにラーメンセットは好きだが。

「……ラーメンセットって『味』じゃないだろ」

 ラーメン味ならまだわからんでもないが。
 いやそれも嫌だが。

「確かにそうかもしれないけど……まあ、それはそれっ」
「どれがどれだ……
 まともな味でもアレなのが、まともじゃない味になった日には、きっと凄まじい食物になるぞ。
 食ったら人格が反転しかねんぞ」
「まさかあ。そんな食べ物無いよお」

 それはどうかな。

「ともかく、俺はこんなもんいらん」
「まあまあ」

 あくまで俺に押し付けようとする観鈴。

「でもラーメンセット味だよ。
 もし美味しかったら、お金が無いときにこれを飲むことでラーメンセットを食べた気分になれて、なんだかとっても幸せだよ。
 きっとすごく優しい気持ちになれるんだよ」
「む」

 その言葉に、俺は揺らいだ。
 ラーメンセット気分。
 つまりは脳内ラーメンセット。
 それは、確かに魅惑的ではある。
 紙パック入りジュース一本分、わずか100円でラーメンセットが俺のものに。
 もし、それが現実のものとなるならば……。

「……天が掴める」
「ね? だから、ためしてみましょっ」
「ああ、そうだな」

 もとより根無しの風来坊。
 新しい土地へと訪れることは、いつだって冒険だ。
 だから、今回もきっと冒険するべきなのだ。
 紙パックを手に取り、貼りつけられたストローを袋の中から取り出し、突き刺す。
 今のところ、怪しげな匂いが漂うことは無く、また爆発等も起こらない。
 行けるか?
 俺は意を決し、そのストローに口をつけ、一口、ちう、と吸う。

「……」
「……」
「……」
「……どう?」

 答える言葉を、俺は持たない。
 俺は、倒れた。

「わっ、往人さんが倒れたっ」
「……ラーメンを、カップのラーメンをよぉ」
「えっ? 何を言ってるの?」
「ただの……お湯じゃなくて、ただの水に漬けるだろ。そして……まあ一昼夜は待つ」
「わー、往人さんが変だー」
「あと……米か。よくキャンプとかで失敗するんだよなー。
 水の量を多くしすぎたり、研ぎすぎて米をボロボロにしちゃったり。それでカレーなんか作ったら、もうどこからどこまでがルーやら……」
「が、がお、困ったお……あ、往人さん、こっちのジュースを! 口直しになるよっ!
 ……多分」

 俺は観鈴の差し出したジュースを見る。
 オレンジ色のパック。そこには『どろり濃厚・ジャム味』と書かれていた。
 ……ジャムも味じゃないだろう。
 そうは思ったが、とりあえず今よりはマシだろうと虚ろな脳味噌で思いついた俺は、そのジュースを一口飲み。そして。
 生き絶えた。

「わー、往人さんが大変な事にっ! あ、なんか顔が形容しがたい色だよっ」

 薄れ行く意識の中で。
 かすれる視界の中で。
 取り乱す観鈴の声を聞きながら。
 人生の走馬灯のスタッフスクロールを垣間見ながら。
 俺は、パックに書かれた、製造先名を見た。

 『(株)秋子酒造』

 その意味は……俺には、最後までわからなかった。

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