動物と一緒に暮らすに当たって、よく「飼ってやっている」と表現する人がいますが、
これは明らかに間違いではないかと思います。
動物は好きこのんで人間に飼われてるのではない。
わたしも含めた人間達が勝手に「ペット」にして自己満足に浸っているのじゃないかと思うのです。
人間の言う事をきかないと「うちのは頭が悪い」と言ってバカにする。
しかし、自分の飼い方をもう一度考えて欲しいと思います。
確かに相手は言葉の通じない動物です。しかし、彼らにも人間と同じ感情があります。
だから怒ることも哀しむこともある。淋しさを内側にしまい込むこともあるのです。
無論、喜んだりもします。
それらを人間が確実に感じ取るのは難しいかも知れません。
わたし達人間の気持を伝えるのでさえ安易もと思えない。
それでも動物達は決してバカではないのだから、気持は必ず通じると思っています。
彼らには、人間の感情や考えてることを驚くほどに察知する能力があります。
動物に笑いかけ、言葉をかけることで、彼らはわたし達人間から色々な事を吸収し、学習していくのではないかと思います。
そして、そう言ったコミュニケーションは、わたし達人間と彼ら動物達を繋げる最も大切な要素だと思っています。
動物達と仲良くなり心を通わせたいと思ったら、まず自分から精一杯の愛情を注ぐ事だと思っています。
彼らには必ず通じる。ただし、見返りを期待してはいけないとも思っています。
無償の愛情でなければ彼らは応えてくれないのじゃないかと。。。
と言っても、やはり見返りを期待してしまうのが人情と言うものです。
「これだけ大事にしてるのだから、病気になって欲しくない」とか、
ゲージから出して遊ばせてる時に「これだけ注意してるのだから、怪我をして欲しくない」。。。等です。
どんな悪戯をしても良いから何事もなく長生きして欲しい、そんな期待がわたしの中で始終駆けめぐっています。
愛情の点では植物にも言えます。植物も立派な生き物です。
かつてわたしは、家の庭に植えてあるバラの木を邪険にした事があります。
それまでは赤色に混じり黄色の花びらを優々と咲かせていたそのバラの木は、
徐々に見窄らしいバラと化してしまったのでした。
人間の言葉から発せられる感情、それを察する能力が植物にもあると、
それを知りながら、わたしは邪魔者扱いしてしまいました。後悔しても始まりません。
好きなモノに接する気持でそのバラの木を扱わなければ、これから先もあの綺麗だったバラの花にはならないでしょう。
綺麗な花を見たいと思ったら、
「お花さん、綺麗ね。もっと綺麗になってね」
と、言葉をかけてあげれば、そのお花はとても喜んでもっと綺麗に咲いてくれるでしょう。

動物のしつけ
動物の躾とは何なのかと考えました。
「人間と共に暮らすのには必要なもの」のようですが、動物にとってはどうなのか。。。?
野生の動物社会に躾などがあるのかどうか分からないが、
少なくとも人間社会で生きる為には人間が決めた「躾」に従わなければならないのでしょう。
動物たちは、本能的にそう分かってるようにも思います。
大声で怒鳴ったり体罰を加えたり、これは躾とは言えないと思います。
人間である自分達に置き換えて考えてみれば、体罰がいかに野蛮で自己満足の、
しかも卑劣な手段なのかが分かると思います。体罰は小動物達の恐怖をあおるだけでなく、
一緒に暮らしてる自分への不信を招くのじゃないかと考えています。
身体のちいさい彼らにとって、人間であるわたし達は怪物かもしれないのですから。。。
わたしは、ぷーちゃんと暮らして一度だけ叱った事があります。
うちで暮らすようになった当初の事です。
ぷーちゃんはゲージから出たくて、寝ている時以外はよくゲージの中で暴れ回ってました。
わたしは、そんなぷーちゃんが可哀想で、少しでも時間が取れるとゲージから出して部屋で遊ばせていました。
そして出かける時間になると"だっこ"してゲージの中に入れていました。
その都度「ぷーちゃん、おうちに入ろうね」と言いながら入れていたのです。
しかし、うちに連れて来て4日目の事でした。それまで黙っておとなしくゲージまでだっこされていたのに、
その日に限って厭がって騒いでました。「キュッ、キュッ」と激しく啼いて、
わたしが手を出そうとすると逃げてしまうのでした。
「ぷーちゃん、お願いだから、おうちに入ってよぉ」と何度言ってもだめでした。
出かける時間が迫っていたので何とかしてゲージに入れようとしても、
彼は逃げ回ってどうにもならない。わたしは遂に怒りだして、彼から少し離れた場所で叱りつけました。
声は大きくなかったが、可成り強い口調で、
「ぷーちゃん、ここをどこだと思ってるの!。ぷーちゃんのおうちはあっちでしょう!。
さあ、おうちに入りなさい!」
とゲージの方を指でさしながら、そう言いました。
すると彼は驚いた表情で暫くわたしを見ていましたが、ゲージの方に歩き出しました。
そして少しすると停まってわたしを見ました。
「早く入りなさい!」と、再度わたしが言うと、また彼はゲージの方に歩き出した。
それから2度ばかり停まってわたしを見たが、その都度わたしが「早く入りなさい!」
と言うと、とうとう彼は自分からゲージの中に入ったのでした。
少しもわたしはぷーちゃんに触れてはいないのに、彼には「叱られた」事が分かったのでした。
うちに来てたった4日しか経ってないのに、この信じられないようなぷーちゃんの行動に、
『自分の感情でぷーちゃんを操ろうとしていた』だけだと気づかされました。
それからと言うもの、彼が何をしても絶対叱らなくなりました。
叱るとしたら「ぷーちゃん、良い子ね」と同じ口調で、「ぷーちゃん、危ないからやめようね」
と言うだけです。それでも彼は「それがいけない事」だと分かるようでした。か
動物の習性を変えようとしても、これは無駄と言うよりやってはならない事だと思っています。
その逆に、その動物にない習性を人間の都合で押しつけるのも、いけない事だと考えています。
彼らの習性を理解し、その上で一緒に暮らさないと、
人間側にとっても動物達にとっても不幸になるばかりだと思います。
プレーリーやウサギなどはやたらに噛む習性がありますが、これは叱っても仕方ないです。
本来、人間とは別の生き物であり、それを人間と同じ枠に入れようとしても彼らには通じない。
噛まれて困る品物は、「その場所に」置かないよう注意しましょう。
様々な躾は一緒に暮らしてる人間の対応やその子の気質にもよるのなので、
出来る限り動物のクセなどを考えてあげたら、彼らもきっと幸せを感じ取ってくれるのじゃないかと思います。

著・ミユ
