『天の園』を歩く

 いよいよ「天の園」記念碑がゆかりの地に置かれた。昭和四七年七月刊行から28年が経った。主人公「保」の小学校入学からは90年の月日が流れ、彼らの世代からは曾孫四世代目の子どもたちの世界となる。唐子の自然は今もゆるやかに移ろいでいるが、坂東山の消失、高本山の水道タンク、取り巻くゴルフ場、関越自動車道の開通など、私たち人間の便利さ追及の所作で環境を変貌させている。それはとりもなおさず子どもたちを取り巻く環境の変化とも言える。

 十数年前に行政の生涯学習施策の中で、天の園文学散歩コースの設定にかかわって以来の縁で、歩くという行為のなかで「天の園」の世界を味わい、理解を深めてきた。まずは登場人物に自分を重ねてみる。そこに立ってその視点で何を見、何を感じてどう行動したのか。どこに日が当たりどこに影が伸びるのか。風が何を運んできたのか。

でもそう思ったところで私は保にはなれない。私の小学一年生は1956年、保より45年後の都幾川の水と空気の中で育った。少し上流の村(当時)で、菅谷館跡や、婦人教育会館のできる前の農士学校付近の山や川が格好の遊び場であった。幸いにもまだこの45年はそう大きな変動ではない。農家でもあり、畑仕事や蚕の世話をしたり、蚕と一緒に寝たりした覚えがある。冬は隙間風の入る家で、風呂や台所には井戸の手押しポンプで水を汲み上げる。家族全員での生活があった。私の子ども時代の環境が私を形成している。その経験の中でしか保になれないのだから。

私の保時代からさらに45年後のいま、この変化は大きい。まったく違うものかもしれない。今の子どもたちには、「天の園」はどこまでわかるのだろう。
 親が子に、子が孫に子ども時代に可能な限りのふくよかな体験をさせることしかないだろう。そんな理解の気づきの一石にこの記念碑があると思う。ここから一歩を歩き出そう。

           (清歩2000.05.06記念碑建立に寄せて)