座右の銘
和して同ぜず、されど和を以って貴しとなす
日本で始めて、聖徳太子が制定した十七箇条憲法の、第一条にある言葉です。今の時代でも、人々が仲良くやっていく事こそ、この世の中で最も尊く、大切だと思うのです。
しかし、和とは、主体を持ったもの同士が手を握る所に生まれます。道理に合わないことにまで同調する事は、真実の和ではありません。
ぬるま湯の県議会
ここ数年、小泉内閣により、行政改革ができたという人、できなかったという人 意見は様々ですが、国会に緊張感ができたのは事実だと思います。いい悪いは別として、郵政法案1つの問題で議員生命を絶たれる事等、今までの自民党の馴れ合い政治ではありえなかったでしょう。
一方、市はどうかというと、常に地域住民と触れ合っていて、住民の監視下にあります。議員に関しては、なにせ同じ選挙区で戦ってきた相手同士なので、一歩踏み外した行動を執ろうものならば、指される可能性もあるのです。勿論、社会人としての当り前の行動をとっていれば平気ですけどね。
問題は県です。今回の岐阜県や福島県の問題も、ぬるま湯の中で起きた事件です。マスコミは国政に関しては毎日取り上げますが、地方行政には不祥事等がない限り、監視という点からは放れております。
また県議会の場合、ほとんどの議員が違う選挙区で戦ってきたので馴れ合い政治になっているのではないかと不安な点もあります。
特に一人区の場合は、地元に帰れば議員の自慢話だけを聞き、他の議員と比べようがない状態と聞きます。仮に議会中に居眠りをしていたとしても、欠席したとしても県庁まで見に行かない限り、わからないのです。
地域住民も県議会という所からは情報が入りにくく、関心を示さない状況です。県議会そのものが本当に必要かどうかは後でお話しますが、もっと住民にわかりやすく公開され、興味を引くような事はできないのでしょうか。現行のシステムそのものが問題なのかも知れません。何はともあれ、その監視役の県議会に喝!
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県議会はいらない
昨日、県行政そのものの見直しと言う話をしました。
それが道州制につながります。現在、国は地方主権とうたい、全国の市町村に合併を促してきました。しかし、一向に住民の税金の半分以上が国に支払われ、そこから県へ、市へといったシステムは変りません。
地方交付税の駆け引きばかりが昨今の話題となっておりますが、何時になったら地方に権限と財源を持たし、地域の意思で事業を進める事ができるのでしょうか。
私は、この税制改革と県の合併、いわゆる道州制を一緒に進めていくべきと考えます。持論を展開させて戴きますが、国政は外交や国の統一した法律の制定等に仕事を絞り、議員の数を激減させます。そして州が税収の大部分を管理し、その中から国への負担分を支払っていくのです。勿論、その負担率は国が決め、収入の多い州と少ない州との均衡を図るのです。市はある程度の権限を持って、州との話会いで大きな事業を進めます。
これが私の意見ですが、このような事もすべて国会にお任せするのではなく、地方から声を上げていくのも大切と考えます。県議会はいらない、過激すぎるかなぁ。
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政治手法(私見)
私のホームページにある深谷市の具体的な未来像、これを実現するには県の強力なバックアップがないと絵に描いた餅になってしまいます。また、地域からあがる要望では信号機の設置や、県道の歩道整備等が上位を占めます。市としては県に要望するのみで、なぜ必要なのかの議論はできない状態です。もし私が県議になったら12年間溜めに溜めていたパワーを発揮したいと考えております。
昔の政治はよく「この橋は国会議員の○○さんが造った、この道路は県会議員の△△さんが造った」と言われました。私は違うと思うのです。税金を払っているのは住民です。また、それを望んでいるのも住民です。その政治家のお金で造ったのなら頷けますが、すべて住民が造ったもので、政治家はただの旗振り役でしかありません。この旗振り役がやりたくて血眼にパーフォーマンスを繰り広げ、選挙(自分)だけの為に他の政治家との違いを誇張する方がいます。そしてA,B二人の政治家の内、Aが先頭に立って旗振りをしようものならば、Bは反対に回る、またこの逆も考えられます。これでは地域の発展につながらないのです。
いいじゃないですか、誰が造ったって言われても、地域がよくなれば。住民が望み、市議会が可決し、市長が先頭に立てば、県議や国会議員は強力なバックアップをするのが当然です。
議員は議会でその必要性や住民の思いを堂々と主張し、地域住民に説明していくのが仕事と考えます。首長とのパイプだけで議員が務まる時代は終わったと考えます。県とのパイプで交通違反がもみ消しになるなんて事は、遠い過去の話でしょう。
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議員の仕事
さて、今日は議員の仕事についてお話します。と言うより議員(市町村議員、県会議員)と執行者(市町村長、知事)の違いです。
執行者は文字通り執行権を持っているので、自分のやりたい事を議会に諮り、過半数を取れば実行されます。
一方議員の方は、自分のやりたい事は執行者に提案し理解を頂き、執行者が議会の同意を求め、実現となるケースと、最初から他の議員の賛同を頂いて、議員提出によって実現するケースとがあります。
後者のケースは議員全員の賛同を戴かないと達成されず、そう頻繁にあるものではございません。よって議員の仕事の大部分は、執行者の提案の是非を検討する事となります。
この議員と執行の関係の持ち方が問題で、議員が執行者の提案に何でも賛成し、それと引き換えに、議会提案もできないような案件を、執行者に陳情するといった方法をとる方がおります。
本来、議会は議論する場所なので、正々堂々と議論し、他の議員や執行者を納得させるような意見を述べ、また相手の意見も聞き入れ、お互い地域の為にどのような方法がベストなのか模索していく政治が望ましいと思うのです。
執行者の提案に対してでも、いいものはいい、悪いものは悪いといった是々非々の関係を保っていくべきなのです。
地方議会がこのような体制になる事を願い、日々精進して参ります。
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政党政治
今日は政党政治について話したいと思います。と言うのはこの所、数人の方から「小島君は何党なの」と聞かれるのです。
市議選の時は「自分党」と答えていたのですが、今回はこれを言うと怒られるでしょう。ちゃんと言えば無所属です。私は本来、地方自治は地域の発展の為に存在するものであるから、政党政治は関係ないと考えておりました。
地域住民が望む案件があるとすれば、何党問わず政治家は、それを推進するものと思うのです。仮に、○党が国政で地方にばら撒く補助金を批判したとしても、地方自治を司っている○党の政治家は、地域が望むものであれば我先にと要望するでしょう。ここに矛盾を感じるのです。
私は政党が地方自治に及ぼす効力は、国政選挙の大まかな目安としか考えていないのではないか、また、それを地方議員も利用して選挙に出たり、国政の場に進出したりするのではないか、と考えるのです。
そうは言っても、現存するこのシステムの中で県議選に出馬する私は、何らかの形を取っていこうと考えております。
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過去のコラムより
私の過去のコラムで、議員は寄らば大樹の陰ではなく、自分の信念を持って議会に向かうべきと言っている事は、今の心境と殆ど変りません。
それとは逆に、議長退任挨拶(2005年)で、司馬遼太郎氏の言葉「優れた政治能力というものは、より賢く妥協すること」を引用し、私の政治生活の中で「妥協」という文字が入ってきた事は驚きでありますが、成長の証でもあると考えております。この挨拶は、1市3町の合併が決定した時の感想です。
信念を持つ事と妥協する事は、相反すると思われますが、私の中では、信念を持つ事は相対的な部分、妥協する事は反対意見も踏まえ具体的な部分として捉えております。
政治は総論賛成、各論反対といった場面が多く、事業が時として進まない事が数多く見受けられます。
政治家は、この各論反対にどうして反対なのか、逃げないでしっかりと向き合い、お互いに譲る所は譲るぎりぎりの交渉をし、住民にわかり易く説明する責任があると考えております。ただ反対、賛成で署名活動にはしり、住民を分裂させるやり方は、時代に取り残されていくのではないかとさえ感じます。
前者の行動は、自分のパフォーマンスではなく、地域発展の為にお役になりたいと言う強い信念があればこそできるものと信じております。
今後も幾多の困難に立ち向かい、自分の持てる力全てを試してみようと思います。
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日本人の心
私は日本人の心の問題が根底にあり、諸問題を対処していく上で一番大事なよりどころとなると考えております。例えば政治が、損得だけで物事を捉えていけば、弱者切捨ての政治になり、殺伐な世の中になります。目には目を歯には歯をといった考えになれば、核武装の論議が出てきて当然な結果となります。しかし、日本人の心ってそんなに割り切った強いものなのでしょうか。
アラブ地方には、目には目を歯には歯をの考えは根強く、自分の子供が事故等で腕を取られるようであれば、相手の子供の腕を切ってくる位の話を聞いた事があります。たとえ話として聞いて下さい。
アメリカでは、訴訟の国とも言われ、もし自分の子供が同じような状況になったとしたら、誰彼構わず(事故を起した道具の販売者等)訴訟を起し、相手がどうなろうとも莫大なお金を要求するでしょう。
日本ならどうでしょう。その事故が故意なのか、相手は反省しているのか、どの位の償いができるのか等、慈悲の心が存在し、相手を徹底攻撃にまで発展しないケースが多いのではないのでしょうか。
比べ方が極端すぎるかも知れませんが、この位、民族に根付いた価値観は違うと思うのです。私はこの日本人の持って生まれた心は、簡単に変えられるとは思いませんし、変えてはいけないと考えております。
奪い合う文化より分け合う文化が、今世の中で最も必要なのではないでしょうか。
昔、アインシュタインが来日した時、やがて世界は日本を見習う時が来ると話したのは有名です。
日本人の心を持った上で、政治を司る事は結構難しいのかも知れません。
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人生哲学
この所、政治に興味のない若い人と話をすると、「小島さん、何で議員なんかやるの?そんなに儲かるの?」と聞かれます。
儲かるかどうかは、以前、議員歳費のコラムで書いた通り、家族5人を養って行くには厳しい収入です。
では何故やるのか。私は楽しいからやる、おもしろいからやると答えておりますが、聞いた本人はあまり納得のいかない表情をしています。
これを理論整然と説明するのは難しいのですが、私の哲学的な話から感じたままをお話します。
私は20代の頃、死という現実に逃げていたのか、脅えていたのか、どうせ死ぬならやりたい事をやって死のうと考えていました。最低限、他人の迷惑にならなければ、人に何と言われ様とも、好きな事を好きなだけやって、一生が過ごせればいいと思っていました。
人よりおいしいものを食べて、いい洋服を着て、いい家に住んで、いい車に乗って、浮世の快楽を充分に楽しむには、金さえあれば何でもできるとさえ考えておりました。
でも、結婚し子供ができ、だんだん死が近づくにつれて、こんな人生で俺はいいのかと思うようになったのです。仮に事業が成功して、人が羨む人生を送ったとして、それが人生の成功者なのか、それで悔いはないのか、迫りくる死と人生を真剣に考えるようになりました。
誰も人生は一度きり、どんな生活をして生きたより、どんな生き様だったかが問題で、金より大事な何かがあるのではないか。
今まで生きてきて、本当に充実した時間は、湯水のように金を使って遊んだ時だったのか、お気に入りの異性とデートをしている時だったのか、大博打で大儲けをした時だったのか。
確かに楽しい時間かも知れないけれど、大きな人生論からすると一瞬の快楽で、充実した時間とは言い難いと思うのです。
それよりも、身近の人と苦楽をともにし、泣いたり、喜んだりする事が、自分の中で生きている実感を感じるようになったのです。
それは家族でも、友達でも、隣近所でも、自分の周りの人が喜んでいると、自分自身も嬉しくなる事が充実した時間だったのです。
政治は人、私はこの12年間、たくさんの人と逢って、たくさんの事を学びました。勿論、いやな思いをした出逢いもありました。しかし、それら一つ一つが自分の人生の糧となり、経験となり、私を少しだけ成長させて頂いたと思っております。
最初の質問の答えになっているか判りませんが、地域(人)を愛し、気力が充実し、人から期待されている今は、大きな目標に向かって挑戦します。
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公約
昨日のブログはで、若い人の質問からお話しましたが、もう1つ聞かれる事が「小島さんが当選して俺達の生活はよくなるの?何か変わるの?誰がなっても同じじゃないの?」と言われます。
これも返答に苦しい質問です。確かに私も含め、全てと言っていいほど、県議会、市議会問わず、候補者は耳ざわりのいい言葉を並べます。
よくある公約が、福祉の充実、教育の充実、産業の振興、街の活性化等ですが、これらはすべて総論で、これらの公約が達成されたと実感する時は来るのかどうか、疑問に感じます。
では議員の本質を見分けるにはどうすればいいのかと言うと、各論に入って判ってきます。
例えば、予算配分等で偏った力の入れ方をすると、予算を削られた一方から反対の意見が出てきて、議論となり、その後多数決となった時点で、初めて各議員の方向性が判る事があります。
こんな形で議会が進められると、住民の生活が激変する事は、なかなかあり得ませんし、総論の公約で、各議員の本当の考え方が判る例は少ないのが現状です。
では何処で候補者の真意を見分けるのかと言えば、私は政策の優先順位と考えます。しかし、候補者は様々な立場の人から票が欲しい為、この優先順位さえ言わず、総論で選挙を向かえる人が少なくありません。
直接候補者と話をし、そこで見極めるのもいい方法ですが、全ての候補者の話を聞くのも現実的に無理な話となるでしょう。
これからは、選挙運動自体も再考の必要がありますが、現時点では、候補者の近い人に聞いたり、インターネットを使ったりして様々な情報を集めて下さい。そうした関心のある人が増える事によって、候補者も緊張し、政治レベルも上がるでしょう。
私の今までの政治姿勢は、このブログやホームページで判ると思いますが、今回の選挙の一番の優先順位は道路網の整備です。(理由については後日詳細に述べます)
最初の質問に戻りますが、この道路網の整備が、仮に私が当選すれば、あっと言う間に変る事など不可能な話です。前ブログ(議員の仕事、政治手法)でも書いたように、ひとりの思いで数十億、数百億の事業が簡単に出来る筈はありませんが、何もしなければそれまでです。時間が掛かってもひとりの思いでみんなを巻き込み、大きな事業をするのも政治家の醍醐味ではないでしょうか。
私は前出の質問にこう切り返します。「じゃあ、みんなの税金が、もし一部の人に好きな様に使われていたとしたらどう?」と言って、議員の大部分の仕事が、このチェック機能である事をお伝えし、自分達の生活が悪くならない事を前提に、その上で大きな夢を語っていきたいと思っております。
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愛国心
私は、日本人が国を愛する事は当り前と思います。それをあえて問題視するより、それよりも小さな単位の家族、友人、地域、を愛さなければ国を愛せないと思うのです。憂えるべきは、もっと小さな単位の自分が愛せないから、自殺といった悲しい選択を迫られるのではないかと思うのです。
マザーテレサは、大きな事をして有名になったのではなく、貧しかったインドで、マザーのすぐ近くにいた、路上で死に掛けた人達に、平等な愛を送っただけなのです。ところが、今の現代人にはそれが出来なくなってきております。
日本人が貧しい国に行ってボランティアで協力する事は素晴らしい事ですが、自分の地域、自分の家族に愛を捧げる事が一番最初にやるべき事だと思っております。
日本が変な方向に行きそうな昨今、私達世代のやるべき事が沢山あるような気がします。
その他、過去ブログでどうぞ。
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和して同ぜず、されど和を以って貴しとなす
日本で始めて、聖徳太子が制定した十七箇条憲法の、第一条にある言葉です。今の時代でも、人々が仲良くやっていく事こそ、この世の中で最も尊く、大切だと思うのです。
しかし、和とは、主体を持ったもの同士が手を握る所に生まれます。道理に合わないことにまで同調する事は、真実の和ではありません。
ぬるま湯の県議会
ここ数年、小泉内閣により、行政改革ができたという人、できなかったという人 意見は様々ですが、国会に緊張感ができたのは事実だと思います。いい悪いは別として、郵政法案1つの問題で議員生命を絶たれる事等、今までの自民党の馴れ合い政治ではありえなかったでしょう。
一方、市はどうかというと、常に地域住民と触れ合っていて、住民の監視下にあります。議員に関しては、なにせ同じ選挙区で戦ってきた相手同士なので、一歩踏み外した行動を執ろうものならば、指される可能性もあるのです。勿論、社会人としての当り前の行動をとっていれば平気ですけどね。
問題は県です。今回の岐阜県や福島県の問題も、ぬるま湯の中で起きた事件です。マスコミは国政に関しては毎日取り上げますが、地方行政には不祥事等がない限り、監視という点からは放れております。
また県議会の場合、ほとんどの議員が違う選挙区で戦ってきたので馴れ合い政治になっているのではないかと不安な点もあります。
特に一人区の場合は、地元に帰れば議員の自慢話だけを聞き、他の議員と比べようがない状態と聞きます。仮に議会中に居眠りをしていたとしても、欠席したとしても県庁まで見に行かない限り、わからないのです。
地域住民も県議会という所からは情報が入りにくく、関心を示さない状況です。県議会そのものが本当に必要かどうかは後でお話しますが、もっと住民にわかりやすく公開され、興味を引くような事はできないのでしょうか。現行のシステムそのものが問題なのかも知れません。何はともあれ、その監視役の県議会に喝!
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県議会はいらない
昨日、県行政そのものの見直しと言う話をしました。
それが道州制につながります。現在、国は地方主権とうたい、全国の市町村に合併を促してきました。しかし、一向に住民の税金の半分以上が国に支払われ、そこから県へ、市へといったシステムは変りません。
地方交付税の駆け引きばかりが昨今の話題となっておりますが、何時になったら地方に権限と財源を持たし、地域の意思で事業を進める事ができるのでしょうか。
私は、この税制改革と県の合併、いわゆる道州制を一緒に進めていくべきと考えます。持論を展開させて戴きますが、国政は外交や国の統一した法律の制定等に仕事を絞り、議員の数を激減させます。そして州が税収の大部分を管理し、その中から国への負担分を支払っていくのです。勿論、その負担率は国が決め、収入の多い州と少ない州との均衡を図るのです。市はある程度の権限を持って、州との話会いで大きな事業を進めます。
これが私の意見ですが、このような事もすべて国会にお任せするのではなく、地方から声を上げていくのも大切と考えます。県議会はいらない、過激すぎるかなぁ。
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政治手法(私見)
私のホームページにある深谷市の具体的な未来像、これを実現するには県の強力なバックアップがないと絵に描いた餅になってしまいます。また、地域からあがる要望では信号機の設置や、県道の歩道整備等が上位を占めます。市としては県に要望するのみで、なぜ必要なのかの議論はできない状態です。もし私が県議になったら12年間溜めに溜めていたパワーを発揮したいと考えております。
昔の政治はよく「この橋は国会議員の○○さんが造った、この道路は県会議員の△△さんが造った」と言われました。私は違うと思うのです。税金を払っているのは住民です。また、それを望んでいるのも住民です。その政治家のお金で造ったのなら頷けますが、すべて住民が造ったもので、政治家はただの旗振り役でしかありません。この旗振り役がやりたくて血眼にパーフォーマンスを繰り広げ、選挙(自分)だけの為に他の政治家との違いを誇張する方がいます。そしてA,B二人の政治家の内、Aが先頭に立って旗振りをしようものならば、Bは反対に回る、またこの逆も考えられます。これでは地域の発展につながらないのです。
いいじゃないですか、誰が造ったって言われても、地域がよくなれば。住民が望み、市議会が可決し、市長が先頭に立てば、県議や国会議員は強力なバックアップをするのが当然です。
議員は議会でその必要性や住民の思いを堂々と主張し、地域住民に説明していくのが仕事と考えます。首長とのパイプだけで議員が務まる時代は終わったと考えます。県とのパイプで交通違反がもみ消しになるなんて事は、遠い過去の話でしょう。
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議員の仕事
さて、今日は議員の仕事についてお話します。と言うより議員(市町村議員、県会議員)と執行者(市町村長、知事)の違いです。
執行者は文字通り執行権を持っているので、自分のやりたい事を議会に諮り、過半数を取れば実行されます。
一方議員の方は、自分のやりたい事は執行者に提案し理解を頂き、執行者が議会の同意を求め、実現となるケースと、最初から他の議員の賛同を頂いて、議員提出によって実現するケースとがあります。
後者のケースは議員全員の賛同を戴かないと達成されず、そう頻繁にあるものではございません。よって議員の仕事の大部分は、執行者の提案の是非を検討する事となります。
この議員と執行の関係の持ち方が問題で、議員が執行者の提案に何でも賛成し、それと引き換えに、議会提案もできないような案件を、執行者に陳情するといった方法をとる方がおります。
本来、議会は議論する場所なので、正々堂々と議論し、他の議員や執行者を納得させるような意見を述べ、また相手の意見も聞き入れ、お互い地域の為にどのような方法がベストなのか模索していく政治が望ましいと思うのです。
執行者の提案に対してでも、いいものはいい、悪いものは悪いといった是々非々の関係を保っていくべきなのです。
地方議会がこのような体制になる事を願い、日々精進して参ります。
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政党政治
今日は政党政治について話したいと思います。と言うのはこの所、数人の方から「小島君は何党なの」と聞かれるのです。
市議選の時は「自分党」と答えていたのですが、今回はこれを言うと怒られるでしょう。ちゃんと言えば無所属です。私は本来、地方自治は地域の発展の為に存在するものであるから、政党政治は関係ないと考えておりました。
地域住民が望む案件があるとすれば、何党問わず政治家は、それを推進するものと思うのです。仮に、○党が国政で地方にばら撒く補助金を批判したとしても、地方自治を司っている○党の政治家は、地域が望むものであれば我先にと要望するでしょう。ここに矛盾を感じるのです。
私は政党が地方自治に及ぼす効力は、国政選挙の大まかな目安としか考えていないのではないか、また、それを地方議員も利用して選挙に出たり、国政の場に進出したりするのではないか、と考えるのです。
そうは言っても、現存するこのシステムの中で県議選に出馬する私は、何らかの形を取っていこうと考えております。
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過去のコラムより
私の過去のコラムで、議員は寄らば大樹の陰ではなく、自分の信念を持って議会に向かうべきと言っている事は、今の心境と殆ど変りません。
それとは逆に、議長退任挨拶(2005年)で、司馬遼太郎氏の言葉「優れた政治能力というものは、より賢く妥協すること」を引用し、私の政治生活の中で「妥協」という文字が入ってきた事は驚きでありますが、成長の証でもあると考えております。この挨拶は、1市3町の合併が決定した時の感想です。
信念を持つ事と妥協する事は、相反すると思われますが、私の中では、信念を持つ事は相対的な部分、妥協する事は反対意見も踏まえ具体的な部分として捉えております。
政治は総論賛成、各論反対といった場面が多く、事業が時として進まない事が数多く見受けられます。
政治家は、この各論反対にどうして反対なのか、逃げないでしっかりと向き合い、お互いに譲る所は譲るぎりぎりの交渉をし、住民にわかり易く説明する責任があると考えております。ただ反対、賛成で署名活動にはしり、住民を分裂させるやり方は、時代に取り残されていくのではないかとさえ感じます。
前者の行動は、自分のパフォーマンスではなく、地域発展の為にお役になりたいと言う強い信念があればこそできるものと信じております。
今後も幾多の困難に立ち向かい、自分の持てる力全てを試してみようと思います。
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日本人の心
私は日本人の心の問題が根底にあり、諸問題を対処していく上で一番大事なよりどころとなると考えております。例えば政治が、損得だけで物事を捉えていけば、弱者切捨ての政治になり、殺伐な世の中になります。目には目を歯には歯をといった考えになれば、核武装の論議が出てきて当然な結果となります。しかし、日本人の心ってそんなに割り切った強いものなのでしょうか。
アラブ地方には、目には目を歯には歯をの考えは根強く、自分の子供が事故等で腕を取られるようであれば、相手の子供の腕を切ってくる位の話を聞いた事があります。たとえ話として聞いて下さい。
アメリカでは、訴訟の国とも言われ、もし自分の子供が同じような状況になったとしたら、誰彼構わず(事故を起した道具の販売者等)訴訟を起し、相手がどうなろうとも莫大なお金を要求するでしょう。
日本ならどうでしょう。その事故が故意なのか、相手は反省しているのか、どの位の償いができるのか等、慈悲の心が存在し、相手を徹底攻撃にまで発展しないケースが多いのではないのでしょうか。
比べ方が極端すぎるかも知れませんが、この位、民族に根付いた価値観は違うと思うのです。私はこの日本人の持って生まれた心は、簡単に変えられるとは思いませんし、変えてはいけないと考えております。
奪い合う文化より分け合う文化が、今世の中で最も必要なのではないでしょうか。
昔、アインシュタインが来日した時、やがて世界は日本を見習う時が来ると話したのは有名です。
日本人の心を持った上で、政治を司る事は結構難しいのかも知れません。
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人生哲学
この所、政治に興味のない若い人と話をすると、「小島さん、何で議員なんかやるの?そんなに儲かるの?」と聞かれます。
儲かるかどうかは、以前、議員歳費のコラムで書いた通り、家族5人を養って行くには厳しい収入です。
では何故やるのか。私は楽しいからやる、おもしろいからやると答えておりますが、聞いた本人はあまり納得のいかない表情をしています。
これを理論整然と説明するのは難しいのですが、私の哲学的な話から感じたままをお話します。
私は20代の頃、死という現実に逃げていたのか、脅えていたのか、どうせ死ぬならやりたい事をやって死のうと考えていました。最低限、他人の迷惑にならなければ、人に何と言われ様とも、好きな事を好きなだけやって、一生が過ごせればいいと思っていました。
人よりおいしいものを食べて、いい洋服を着て、いい家に住んで、いい車に乗って、浮世の快楽を充分に楽しむには、金さえあれば何でもできるとさえ考えておりました。
でも、結婚し子供ができ、だんだん死が近づくにつれて、こんな人生で俺はいいのかと思うようになったのです。仮に事業が成功して、人が羨む人生を送ったとして、それが人生の成功者なのか、それで悔いはないのか、迫りくる死と人生を真剣に考えるようになりました。
誰も人生は一度きり、どんな生活をして生きたより、どんな生き様だったかが問題で、金より大事な何かがあるのではないか。
今まで生きてきて、本当に充実した時間は、湯水のように金を使って遊んだ時だったのか、お気に入りの異性とデートをしている時だったのか、大博打で大儲けをした時だったのか。
確かに楽しい時間かも知れないけれど、大きな人生論からすると一瞬の快楽で、充実した時間とは言い難いと思うのです。
それよりも、身近の人と苦楽をともにし、泣いたり、喜んだりする事が、自分の中で生きている実感を感じるようになったのです。
それは家族でも、友達でも、隣近所でも、自分の周りの人が喜んでいると、自分自身も嬉しくなる事が充実した時間だったのです。
政治は人、私はこの12年間、たくさんの人と逢って、たくさんの事を学びました。勿論、いやな思いをした出逢いもありました。しかし、それら一つ一つが自分の人生の糧となり、経験となり、私を少しだけ成長させて頂いたと思っております。
最初の質問の答えになっているか判りませんが、地域(人)を愛し、気力が充実し、人から期待されている今は、大きな目標に向かって挑戦します。
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公約
昨日のブログはで、若い人の質問からお話しましたが、もう1つ聞かれる事が「小島さんが当選して俺達の生活はよくなるの?何か変わるの?誰がなっても同じじゃないの?」と言われます。
これも返答に苦しい質問です。確かに私も含め、全てと言っていいほど、県議会、市議会問わず、候補者は耳ざわりのいい言葉を並べます。
よくある公約が、福祉の充実、教育の充実、産業の振興、街の活性化等ですが、これらはすべて総論で、これらの公約が達成されたと実感する時は来るのかどうか、疑問に感じます。
では議員の本質を見分けるにはどうすればいいのかと言うと、各論に入って判ってきます。
例えば、予算配分等で偏った力の入れ方をすると、予算を削られた一方から反対の意見が出てきて、議論となり、その後多数決となった時点で、初めて各議員の方向性が判る事があります。
こんな形で議会が進められると、住民の生活が激変する事は、なかなかあり得ませんし、総論の公約で、各議員の本当の考え方が判る例は少ないのが現状です。
では何処で候補者の真意を見分けるのかと言えば、私は政策の優先順位と考えます。しかし、候補者は様々な立場の人から票が欲しい為、この優先順位さえ言わず、総論で選挙を向かえる人が少なくありません。
直接候補者と話をし、そこで見極めるのもいい方法ですが、全ての候補者の話を聞くのも現実的に無理な話となるでしょう。
これからは、選挙運動自体も再考の必要がありますが、現時点では、候補者の近い人に聞いたり、インターネットを使ったりして様々な情報を集めて下さい。そうした関心のある人が増える事によって、候補者も緊張し、政治レベルも上がるでしょう。
私の今までの政治姿勢は、このブログやホームページで判ると思いますが、今回の選挙の一番の優先順位は道路網の整備です。(理由については後日詳細に述べます)
最初の質問に戻りますが、この道路網の整備が、仮に私が当選すれば、あっと言う間に変る事など不可能な話です。前ブログ(議員の仕事、政治手法)でも書いたように、ひとりの思いで数十億、数百億の事業が簡単に出来る筈はありませんが、何もしなければそれまでです。時間が掛かってもひとりの思いでみんなを巻き込み、大きな事業をするのも政治家の醍醐味ではないでしょうか。
私は前出の質問にこう切り返します。「じゃあ、みんなの税金が、もし一部の人に好きな様に使われていたとしたらどう?」と言って、議員の大部分の仕事が、このチェック機能である事をお伝えし、自分達の生活が悪くならない事を前提に、その上で大きな夢を語っていきたいと思っております。
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愛国心
私は、日本人が国を愛する事は当り前と思います。それをあえて問題視するより、それよりも小さな単位の家族、友人、地域、を愛さなければ国を愛せないと思うのです。憂えるべきは、もっと小さな単位の自分が愛せないから、自殺といった悲しい選択を迫られるのではないかと思うのです。
マザーテレサは、大きな事をして有名になったのではなく、貧しかったインドで、マザーのすぐ近くにいた、路上で死に掛けた人達に、平等な愛を送っただけなのです。ところが、今の現代人にはそれが出来なくなってきております。
日本人が貧しい国に行ってボランティアで協力する事は素晴らしい事ですが、自分の地域、自分の家族に愛を捧げる事が一番最初にやるべき事だと思っております。
日本が変な方向に行きそうな昨今、私達世代のやるべき事が沢山あるような気がします。
その他、過去ブログでどうぞ。
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