第9話 1998年5月5日
〜 「雨音に負けないように」 〜




〜〜〜 天美館そば 路地 〜〜〜

みより
「ほんと、雨の日のお買い物って大変だね☆ 傘が邪魔になるし、お買い物袋が濡れないように気をつけないとだし」
このみ
「そだね。主人様には悪いけど、今度から雨の日の買い物は車出してもらおうかなぁ。地面がぬかるんで遊歩道が通れないから、歩きじゃ遠回りしないとなっちゃうし」
メルル
「でも、お買い物はわたしたちの仕事ですから、ご主人様にお手間をとらせてしまうのは……」
このみ
「大丈夫じゃない? あの人、基本的に頼まれたら断れない『いい人』タイプみたいだし、たまには外に出た方が……」
・・・
「……みゃー……」
みより
「あれ?……」
(ぽちゃ!)
「やあん! 水たまりだぁ〜」
メルル
「大丈夫ですか、みよりさん」
みより
「うん……靴の中は大丈夫だけど、水が撥ねて靴下が汚れちゃった……」
このみ
「あんまりきょろきょろよそ見しないほうがいいよ。こんな日に転んだら目もあてられないから」
みより
「うん。あ、でもね、いまどっかで猫ちゃんの鳴き声がしたから」
このみ
「野良猫でもいるんじゃない?」
みより
「こんなに雨が降ってるのに、かわいそう……」
メルル
「そうですね……」
このみ
「でも、猫だって雨宿りくらいするでしょ」
・・・
「……みゃー……」
みより
「あ、また聞こえた!」
メルル
「今度は私も聞こえました。近くみたいですね」
みより
「こっちかな?」
このみ
「あ、みより、どこ行くのよ。もう……先に帰るわよ」
みより
「あ……!」
和壬
「…………」
このみ
「あれ、いたの?」
みより
「…………」
このみ
「もう、どうしたのよ……」
「あれ、ご主人様じゃない? あんなトコにしゃがみこんでなにやってんだろ」
メルル
「まあ。雨の中を歩いて、お加減を悪くされてしまったのでしょうか。私、ちょっと行って参ります」
みより
「あ、待って!」
メルル
「はい?」
みより
「……あのね、ご主人さま……」
「あのね、子猫ちゃん、抱いてたみたいだった……それで……」
「わかんないけど、泣いてたみたいに見えて……。わかんないけど、わたし……」
「……ちょっと……」
メルル
「あの、私、やっぱりちょっと見て参ります。心配ですから」
このみ
「どうしたのよ、みより」
みより
「わかんない……。なんか、いきなり泣きたくなっちゃって……」
このみ
「……ああ、そっか」
「まあ、そんな気分になる事もあるわよ。雨の日は」
みより
「うん……。あ、わたしも行ってくるね!」(ぱしゃぱしゃ)
このみ
「……もう水たまりも気にならないってわけね」
メルル
「ご主人様、こんな所でどうなさったんですか? 大丈夫ですか?」
和壬
「あ……メルル。みんな一緒か」
メルル
「あ! 子猫ですね。こんなに濡れてしまって、かわいそうに……」
子猫
「みゃー……」
和壬
「ちょうどよかった。誰か、急いでこの子を連れて帰ってくれ。だいぶ弱ってみたいだから、あったかくしてな」
みより
「あ、じゃあわたしが!」
このみ
「みより、荷物貸して。急ぐのに邪魔でしょ。あたしが持ってくから」
みより
「うん、ありがとう。それじゃ、先に帰ってるね!」(ぱしゃぱしゃ)
メルル
「あの、ご主人様は?」
和壬
「俺は……ちょっとこの箱、捨てて来るよ。こんな所に置いておいちゃアレだからな」
メルル
「あの、ですが、ここはゴミの集積場ですが……」
和壬
「いいから!」
メルル
「は、はい……申し訳ありません……」
和壬
「ごめん。メルルを怒ったわけじゃないよ。それより、メルルは帰ってミルクでもあっためてやってくれ。みよりじゃ、そこまで気が回らないだろうから」
メルル
「はい、かしこまりました」
このみ
「ご主人様、その箱……」
和壬
「ボロ布が入ってるだけだよ」
このみ
「……そう、か……」
「じゃあ行こ、メルル」
メルル
「はい。それではご主人様も、お早いお帰りを」
和壬
「ああ……」

〜〜〜 天美館 ティールーム 〜〜〜

和壬
「…………」
このみ
「あ、お帰り」
和壬
「ああ……子猫は?」
このみ
「今、みよりとメルルが見てるわ。まだ元気はないけど、指につけてあげたらミルクも舐めたし。大丈夫だと思う」
和壬
「そうか。……お前は?」」
このみ
「ご主人様もあのぶんじゃ、濡れて帰ってくると思って。はい、あったかいお茶」
和壬
「ああ……ありがと」
このみ
「…………」
「ねえ、あの箱、本当に、もう空だったの?」
和壬
「さすがに、このみには分かっちまうか……」
「雨、強くなってきたみたいだからさ。車出してお前らを迎えに行こうかと思って。外に出たら、子猫の鳴き声がしたからさ」
「……でも、俺が見つけた時、鳴いてたのはあの子だけだったよ。あの子だけが、ひとりぼっちになってもあきらめないで、雨音にも負けないように、一生懸命母猫を呼んでた……」
このみ
「……そっか」
和壬
「ゴミ捨て場になんか、置いておけるもんかよ。生き物なんだぞ! 自分勝手なバカが、あんな所に……」
このみ
「…………」
和壬
「お前らには、そんな事まで知られたくなかったんだよな。特にみよりとメルルは、子供だから……傷つくと思って。そりゃ、これが現実だってのは知ってるだろうけど。でも、それがこんな身近な事だってのは、やっぱり、辛いだろ……」
このみ
「そうね……。でも……」
「!」
みより
「…………」
メルル
「ご主人様……」
和壬
「あれ……いつからいた……」
「いた……のか」
みより
「あ、あのね、ミルク、お砂糖入れてあげようと思って、それで、取りに来たら、ご主人さまの声が聞こえて……」
メルル
「……ご主人様、教えてください。他の……子猫は、どうなさったんですか?」
和壬
「裏の林に埋めて来たよ。こんなん、偽善に過ぎないし、自己満足にすらなりゃしないけど、さ……」
「それより、さっきの子についててやれよ。子猫って、誰かのぬくもりで安心するもんだからさ」
メルル
「はい……!」
みより
「あ、ご主人さまも早くお風呂入って着替えてね。びしょびしょのままだと風邪ひいちゃうから」
和壬
「ああ。そうするよ」
みより
「うん☆」
和壬
「……まあ、そういうわけだから。これから仕事が増えるけど」
このみ
「いいよ、そーゆー仕事なら大歓迎。あたし、けっこう子供とか動物好きだし」
和壬
「そっか。名前も考えないとだな」
このみ
「そうね。可愛いのがいいな♪」

 ダンボールの隅で、子猫はずっと鳴いていた。

 雨音に負けないように。ぬくもりを求めて。

 それを聞き届けて、冷たい四角い空から子猫を拾い上げたのは、母猫の柔毛のぬくもりではなかったけれど。

 けれど、ここでなら、その子猫にとっても、きっと空が美しく見えると思うから。

 そうなるようにしたいと思った。

 そう、願ったのだ。

To be "Sweet Tangerine -Graduation Album-".



「Graduation Album」目次に戻る