ヴェネツィアのすずめ



  夏のボートレースと映画祭、冬は謝肉祭のときに開かれる仮面舞踏会、ヴェネツィアは客寄せ上手な街だから、夏場のシーズンに限らず、各国からの訪問客が集まってくる。
 初めてこの都を訪れた日は旅の途中で、予備知識も少なく、防波堤のように海に張り出したリドという島に渡って、突堤の上で一人、アドリア海をボーッと眺め、数時間後には列車に乗って旅を続けるといった、意味もない、目的すら感じられない、無益なものだった。
 その事が、抜き損じたトゲのように忘れかけた頃、疼く痛みをぶり返して、重い腰を持ち上げて、又、サンタルチア駅に降り立った。
 「この街を絵にして持ち帰ろう。」という考えがなければ、呑気に楽しめる散歩も、背負ってきた画材以上に気持ちは重く、駅舎を出ると、すぐ又、乗ってきた列車に戻って、尻尾を巻いて逃げ帰りたい気持ちに駆られる。
 どんなふうにして、最初の一枚を描き上げたのかよく覚えていない。夏の行楽シーズンまっ盛り、湘南の海水浴場に水着のかわりに絵筆と絵の具を持って、江ノ島を描きに行くような、突飛な思いつきと、野暮も丸出しの行為だったと思う。

 駅のひさしは大運河に向かって大きく突き出していて、多くは若者だが、各地から訪れる旅行者のキャンプ地のような宿泊場所となっている。朝早く身支度を整えると、いち早くその場を離れ、駅に一番近いスカルツィ橋を渡って、対岸の教会の階段に座って、簡単な朝食を摂る。
 
 迷路のような舗道だが、早く店を開けるパン屋に寄ったり、島外から仕事に通ってくる人達の流れに合わせるように足早に進んでいくと、船の八百屋もあって、くだものも調達できる。もう一軒顔馴染みになったのは食料雑貨店、ハムか、サラミを切り売りしてもらって、飲料水も手に入れる。そんなことをしているとアカデミア橋の近くまで来ていて、その辺りからヴェネツィアの中心地、サンマルコ広場や、リアルト橋のたもとにある市場辺りまでが、絵を描く領域となっていった。

 ゆるく2の字を描くような大運河を、ヴァポレットと呼ばれる水上バスに揺られて行けば、アカデミア美術館も、サンマルコ大聖堂も海に投げ捨てられた、宝石箱のように散らかっている。便利な水上交通手段があるのはわかっていても、いくつもある、運河に架かる小さい橋を上っては下り、絵になる景色を探し回った。

 須賀敦子さんの私小説のような随想集に出会ったのはそれから大分経ってからのこと。ジュディカ運河に面したザッテレ河岸のこと、景色や出来事が格調あるリズムに刻まれ、丹念に描写されている。他にも手がけた課題や、膨大な翻訳の仕事量からすれば、わずかと思える著作物の、全部とは言えないが私もそれら本の中によく遊んだ。

 木陰のあるアネェーゼ公園のベンチに座って、昼食を摂るのが日課となり、食べこぼしたパン屑に集まってくるすずめが珍しくて、ときどきはパンをちぎって与えた。ニュウナイスズメにも似た姿形だが、日本のスズメとは違っている、近所の親子連れや老人は慣れたもので餌を撒いては、ついばむ姿を楽しそうに眺めている。

 暑いヴェネツィアの夏の昼下がり、遠くからボートレースの声援が聞こえ、ヒッチハイクで映画祭にやってきたというイタリア人青年の話に耳傾けたりしながら、片方では茹だってしまったような脳味噌で、仕上がった絵の枚数を数えるのだが、最後の一枚と思って描き始めた景色の中で、レンガ塀に絡む蔦の葉の何枚かは、すでに紅く色づいているのを見つける。
 
 宿無しのヴェネツィアすずめみたいに、パンやサラミをついばみ、3週間を駅舎の軒下に過ごした。山下清画伯の境地には及ばないが、このところ少し腹が出てきて、暑いときは半ズボンにランニング姿のことも多い。旅好きでもある。意識して生き方の舵取りを少しだけ修正しようと思う。