スイカが見る夢
父方の祖父、松次郎の出身が富山県入善町ということもあり、鉄道輸送で送られてくる楕円形した大きな富山黒部西瓜は幼い頃の、夏の風物。 果肉が黄色い冷えた小玉西瓜を半割にして、スプーンですくうように食べるスイカの食べ方が今でも一番好きだが、1人で1個は多すぎる分量と言う年齢の頃には、大抵すぐ上の姉に半分をつき合わせて、河原での水泳のあと、充血した赤い目をトロンとさせて、午後の強い陽射しから隠れるようにして、スプーンを動かしていた。 夏が始まる頃に頼まれた絵は、相手が年齢を重ねた人ということもあって、空中から俯瞰する景色の中に懐かしい光景をあれこれと、少しづつ随所に散りばめた。黒部西瓜の畑を実際に見たこともなかったが、絵にすることはできたので、それも、それこそ1人では食べきれないほどの数を絵の中に描き込んだ。そのことが何か関係あったのか、因果はわからない、地域での西瓜の当たり年だったのかもしれないが、多くは頂き物の西瓜を例年になく沢山食べた。スイカにまつわる記憶がことさら強く幼少時に印象付けられたせいもあってか、食感や味覚を通して、口中にそれが広がっている間は、自分のどこかが幼少時の夏に立ち戻った感覚に陥っている。 いつかT.V.番組の中で見た、中央アジアに住む人たちは荷車一杯に西瓜を積み込んで市場に出荷したり、それこそ水を飲むのと同じように西瓜を食べて体内の水分補給をまかなう話は、もしかしたら?自分の血筋が向こうの方にあるのじゃないか?と思うくらい親近感を覚えた。食べ物を口に運んで幸せそうな顔をアップに映し出す場面は沢山あるが、その時の画面に現われた人達も手に手に食べかけのスイカを持って微笑んでいた。 緑の地にギザギザの黒い縞模様、西瓜を模したビニール製のビーチボールを近頃はすっかり見かけなくなったが、それとよく似た配色の軽自動車がこの春家にやってきて、自動車の運転免許を取得した息子は緑と黄色の初心者マークを張り付けて夏には走り始めた。大きさや形もそうだが、黒ペンキでギザギザのカミナリ模様をイタズラ心で描き込みたいのを我慢している。「富山西瓜黒い稲妻号」というネーミングまで用意してあるが実行には移されていない。カラーコーディネイトの一致が不思議なのだが、ジャンプスーツというのか、上下衣服のくっついた、ツナギを最近頂戴した。緑、黒のツートーン、試着もしていないが、おおよそ着られるサイズ。トレッキングシューズのようなブーツは少し窮屈なので遠慮したが、そのほかの付属品は落下傘のような形をしたキャノピーと呼ばれる代物や、身体を保持する安全ベルトの兄弟でハーネスというも一式揃って付いてきた。 想像するのは簡単だから、ときどき宙に浮いた視点から遊びで絵にしてみたりもする景色、景観だが、ふざけ半分、でもなかったけど、そんな絵を描いていたら、本当に空飛ぶ道具が家にやってきた。 お蔵入りの備品、ってところに落ち着く話だが、スイカのような頭が巡らせる思索は、すでに翼を広げて、夢の中では地表からおよそ300mあたりを滑空している。 |
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