スバシオ山


  夏のバカンスの季節になったら、アッシジの町を描きに行こうと決めて、大学は出たけれどこれといった就職が定まらないマルコから物置の中で埃を被っているペダル付きの小さいモーターバイクを譲ってもらった。
 早朝は薄くもやがかかって、霞んだような空気がウンブリアの平坦地に溜まっている。真夏というのに出掛ける時間には雨合羽も兼ねたフードのついたウィンドブレーカーも必要となる。

 聖キアラ広場の片隅にバイクを停め、まだ準備が整ったばかりといった様子の、看板にはBARとだけ書かれたお店に入っていって、少しこごえて、ちぢこまった身体を、コーヒーとパンで元気づける。
 「アンドレア!」 「アンドレア!」 婆さんは大声を出して店を切盛りして、孫ほどの年齢にあたる、小僧見習いのアンドレアだな、そう呼ばれている年若な男の子は、大きな身体をそのたびにちょこまかと動かして、作業にあたる。その光景が見たくて、ペルージァの下宿から1時間ほどの距離にある、アッシジの町までひと月近くも通うことができたのかもしれない。

 アッシジの町を有名にしたのはカプチン派といったか、クリスチャンの方は詳しいと思う、清貧を旨とする生活をつらぬいた、聖者フランチェスコ。出生地、聖地、として慕われ、あがめられ、巡礼者の中には涙するほどに厚い信仰心に裏打ちされた人もいるかと思えば、一方に門前町と同じの観光地化したところもある。
 
 畑中からスバシオ山の中腹に形つくられたアッシジの上の町の全景を望み、町から少し離れた場所でスケッチしていると、その日、その時だけ雨に降り込められて、ハタと弱った。
 雲は低くたれ下がり、雨量はそれほど多くない、絵の道具を片づけ荷物を背負うと、思いついて、雨宿りすることなくバイクに乗って山に向かう一本道を辿り始めた。すでに何枚かのアッシジの風景画を仕上げてきているので、それまでの見聞きした、話の中で、背景にあるスバシオ山がどうしても気になり始めてきていた。

 しぐれ雨のような、その日のお天気が丁度よい機会をつくってくれて、足早に去っていく観光客はあまり訪れることのない、フランチェスコが研鑽の場に選んだ、岩窟のような庵といってもよい、簡素な建物は木立ちに囲まれた森の中にある。地震で崩壊してしまった聖フランチェスコの生涯を描いたジョットのフレスコ画のモチーフにもなっただろう、位の見当は、周囲を歩いて見てまわって、つくようになっていた。
 坂道の斜度はさらにきつくなり、バイクを励ますように息をきらし、自転車をこぐようにして上へ上へとペダルを踏んだ。

 雲の上へ出たのではなくて、雨雲が通り過ぎて、又、夏の空に戻った、なだらかな丘のようにみえるスバシオ山の上部。人の気配はなく牧草地というか、牧場にしても良さそうだな、という印象だった。頂上まであと少しという所まで未舗装の車道はついていて、又、反対方向へと通り抜けて行く道が続いている。バイクを置いてゆっくりと、頂上に立つ。過ぎていく時間の緩慢さが、辿ってきた土地柄のせいか、フランチェスコに想いをめぐらせ、悪い癖だが、解かりもしないのに、若きフランチェスコがスバシオ山のこの頂きに立ったことがあるという確信にひたり、ちょっと解かったような気分になる。雨と汗で濡れそぼった衣服を心地悪く感じることもなく、コマ切れに流れる動画を見ているみたいな、その時間を満喫して、頂上を後にした。