流れる車窓
田植えと麦刈りの作業を同時に見られる、麦秋の頃の私の住む地域と、みぞれ交じりの氷雨降るシベリアの季節感には同じ6月でも2、3ヶ月の時の違いを肌で感じる。 バイカル湖の水を手にすくって口に含めば、周辺には雪解け跡の黒々とした湿った土が広がっているが、木々の芽吹きにはまだ冬の眠りから覚めたばかりのあどけなさも残っている。主要都市の名前をあげると、ハバロフスク、イルクーツク、モスクワ、キエフ、ブダペスト。シベリア鉄道を西へ向かう列車の乗客となり、モスクワからローマへ南下する直行便の客車は1両だけあって、乗務員を除くと私1人だけが始発駅から終着駅までの利用客だった。 蒸気機関車が活躍していた頃の国内の鉄道には風情も残されていて、少し離れた町の構内では列車の待ち時間にホームの端まで行くと、操車場のターンテーブルを動かす作業もあたりまえに見られる、絵になる景色だったと思う。 戦争と、人の愛、離別、苦しみといった題材を映画にした「ひまわり」ミラノ中央駅がラストシーンまで上手に描写されていて、「ムッソリーニのバカヤロー!」と思って観ていても、好きな駅だ。 早朝といっても深夜に近い時間帯、寝ぼけ眼で税関のパスポートチェックを受け、霧に霞んだような淡い外灯に浮かび上がる広い操車場を持つ、イタリア領内最初の駅、トリエステ。海沿いの町だが暗く夜の帳から覚める気配もなく、列車は連結部の引かれていく時に発する連続音をひととおり鳴らして、レールの継ぎ目を数えるように拾いながら、また走り始める。 トリエステの滞在はたったそれだけだが、後にサバという詩人がいたことや、アドリア海の奥まった場所に位置する地形、華やいだ社交界、ボーラと呼ばれる強い季節風のことなど、饅頭の薄皮を味わうみたいに読んだ文章は、須賀敦子さん著作の本の中に出てきた。ローマが近づくにつれて、シベリアの夏のような、南欧地中海気候に変っていく、肥沃なトスカーナや、ウンブリアの風景の中に点在する、中小の集落は市場に豊かに並ぶ新鮮な緑黄色野菜を連想させる。 横浜の大桟橋から船に乗り込み、津軽海峡を抜け、ナホトカに渡り、イタリア、ペルージァの下宿にたどり着くまでに3週間が過ぎていた。 緯度の高い位置に住む人達の心境は少し解る気がする。アルプス山脈の北と南側だけでも随分と気候の変化はあるし、北に広大な面積を抱える国といえども、短い夏と長く厳しい冬を過ごしていると、憧れに似た南国への思いが切実な食糧生産と結びついて、その地に燃料を積み出す港でもあれば、気になって仕方ないことだと思う。 ウディ ガスリーだったか、親父さんの事を唄った昔の歌謡曲、英語の歌詞だから内容も詳しく覚えていないが、アメリカ大陸を東から西へカリフォルニアに向かって鉄道で移動する、これまた貧乏旅行の話で、荷物の中に絵筆と絵の具を持っているという、フレーズが歌詞のどこかにあったと思う。そんな鉄道旅行をしてみようなんて、多分もう考えつくこと等ないと思うけど、私のその時の旅行荷物の中にも貧弱な絵筆が数本と、絵の具箱が誰に気づかれることなく、しまってあった。 |
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