木を喰う虫
木喰上人は木像を作りながら行脚した人として知られる、それとは比較するような話ではない、木を喰う虫みたいな話。 薪に適した木を割ると、ときどき出てくる白い幼虫、薪ならば可愛いとも受けとめる余裕もあるが、材料として大切にしている木に住まわれたりすると、たまったものではなく、材木の価値も半減してしまうので神経を使う。 オーストラリアのアボリジニの人達の食生活を写した映像では、木に寄生する幼虫の芋虫をとてもうまそうに食べる人と、反対に取材する人達の「こんなものくえるの?」みたいなリアクションのギャップを、おもしろおかしく映し出すTV番組作りがある。 自分が子供だったとき、「うまそうだ、」という思いからだけか、変な蛮勇だったのか、どちらか忘れたが、丸くころころしたのを口に入れた。喉ごしの感触などは覚えていないが、TVで観る黒い肌の人達の表情は嬉しそうに嬉々としている。 時折仕事場を訪ねてくる人は、「栗の大木から出てきた丸々と太った芋虫を食べたら、ソリャーうまかった。」と話してくれて、栗の味のようだと、表現は豊かではないが、「グルメな高級食材。」等と、私も子供の頃食べた、ある種の仲間意識が働いて、すっかり忘れてしまっている味をなつかしんだ。 今の社会情勢からは世界中のどんな地域に住んでいようが、インターネットのようにリンクされてしまっているので、昔のようにノホホンと暮らすには、少数民族の人達ですら難しくなってきている。 今はまだ寒く眠っている虫も、もう少し暖かくなってくると活発な働きを見せて、木を蝕み始める。木材は私の生活の手段の為に購うが、同じようになんの罪もない虫たちもそれを糧とする。 私には機械や、道具、それと自分の身体を使って作業する工程がややこしく、ついて廻るが、彼らの方がずっと直接的で、木の中に住み、それを食べ、ときどき食べかすの木の粉を外にはき出し、それを見つける私を驚かす。 木喰上人がどんな悟りの境地を拓かれたか、想像も及ばない。 虫はシンプルに木の味をたのしみ。私は木と向きあっているだけでは食べてはいけず、切ったり、削ったり、形をあれこれ考えたり、「値段はいくらだ!」などと、頭をヒネる。 木を喰う虫はうらやましいほどの、単純な暮らしを営み、同じ木を糧とする私の毎日は、アレが足りない、コレも必要と、背負いきれない荷物に手を焼いている。 木喰上人どころか、木を喰う虫にすら及ばない木工職人が、芋虫の生き方にジェラシーを持っても、何が始まる訳でない、と気づいて、又、鉋の刃を研ぐ。 |
![]() |
![]() |