火星人

 ドーナーノービース パーチェン パーチェン ドーナーノービス パーチェン、、、意味もわからずに高校生のときに覚えた歌は、今でも口づさむことができる。
 教えてくれたのは音楽担当の先生ではなくて、いつも白い実験作業上着を着た、自然観察者然とした生物担当の先生で、捕虫網を振り回してミツバチばかりを追い掛け回しているようにもみえたけど、雪もあまり積もらない地方の田舎高校の教師にしては、スキーもうまくて、授業の合間に学生時代を過ごした、北海道の雪山登山の話を交えて、歌まで教えてくれていたのだから、他の生徒にとってはともかく、自分にすれば高校1年生の生物の授業は楽しい時間だったと思う。
 隠れた所でみんなは、その先生のことを「火星ちゃん」と呼んで、そういえば、後年「巨人伝」という本を読んで南方熊楠という人の風貌をほうふつとさせる研究者のイメージが重なった。

 6万年振りに火星が地球に最接近するということで、晴れた日の夜空にひと際大きく輝いているので、双眼鏡で覗いてみたら、ただのオレンジ色の点しか見えず、50倍だったか、家では一番遠くまで見える望遠鏡を出してきても、似たような光のつぶにしか見えなかった。

 ハワイにある日本の大きな反射式望遠鏡とか、空の上に浮かんでいるハッブル宇宙望遠鏡で観てみれば、火星の観察など、対象外みたいな話なのかもしれない。それでも真顔で、人類火星移住計画の話をする一流日本企業の社員もいるし、ボイジャーとか、ジョットとかの名前が付いた宇宙探索機も打ち上げられて、無人だと思うけど今も宇宙の旅を続けている。

 スタンリー キューブリック監督が「2001年宇宙の旅」という映画を作り、アメリカのホームドラマのような「宇宙家族ロビンソン」というTV番組を見た覚えもある。一番近いところでは、ジャック ニコルソンが演じる役柄はよく死んでしまうが、火星人が出てくるブラックユーモア味付けの「マーズアタック」という映画もあった。

 マルツィアーノ、という名前を耳にしても外国人の私には何のことやらピンとこなくて、「どこに住んでいるの?」とイタリア人の知り合いに聞かれたりして、「マルツィアーノさんち、」と返事すると、大抵は吹きだすような、怪訝な表情をする。下宿していた家のファミリーネームはイタリアでも珍しい「火星人」という苗字で、家族は猫のミチェットまで全員が独身で、ごく普通に私もその中に同居していたが、火星の話がよく出るこの頃、「俺、火星人と一緒に一年くらいは暮らしたことがあるなぁ。」とか、「猫も飼ってて、ミソスープや、インスタントラーメンは食べないかわりに、ときどき焼きりんごを食べさせてくれた。」等と誰かに話したところで、まともに取り合ってもらえそうになく、映画のマーズアタックを観たせいか、この頃は思い出す家族1人1人のキャラクターが、本当に火星人のようにも思えてくる。

 昼間、晴れた青空を仰ぎ見て不安を覚える人は少ないと思う、月もない漆黒の夜空、宇宙。人間が考え、作り出す、宇宙ロケットがチャチなものに思えるくらい、比較にならないほどの宇宙船地球号は、とてつもないスピードで正確な軌道を辿り、壮大な宇宙の旅を続けている。
 火星ちゃんが暗号か呪文のように教えてくれた歌や、冗談や悪ふざけでなく、きちんと素性を明かしているのかもしれない、MARZIANO一家。 
 普段夜空を見上げても神秘なロマンからは程遠く、満月を愛でようにも句も吟じられない。