親方たちの若衆の頃の話など大抵は上の空で聞いていて、後になって、もっと根掘り葉掘り耳傾けておけばよかった、と思う場面がいくつもある。
その時の風貌などからはおよそ想像もつかない話で、信州の山麓から仕上がった油絵を背負って東京、上野だったか、美術館まで帝展に応募するために自転車を走らせる話は、少なからず度肝を抜かれ、ヒョーキンな事をする人達が居たものだと、畏敬の念を覚えた。
入選したか、落選したか、絵の内容すら聞きもらしているが、そんなことはもうどうでもよくて、東京、松本間は距離にして200km.程ある、当時の事情に思い巡らせれば、未舗装の水たまりもある、デコボコ道を重いペダルの自転車にまたがり、どんなふうに絵を背負って、塩尻峠や笹子峠、富士見峠、大垂水峠を越えて行ったか、想像するだけで、自分の内の共通する部分が笑い出してくる。1人だけの行動ではなく、2、3人のライバルが居て、東京往復ロードレース、のような話の内容だったように覚えている。
親方たちというのは無論、家具職人のマエストロのことだが、油絵をたしなみ、自転車でつばぜり合いを演じながら美術展に絵を出品するといった発想や、行動力には今でも頭が下がる。
この夏、「俺も!」と子供について一緒に観に行った「茄子アンダルシアの夏」というアニメーション映画は、短い時間の中に自転車競技の面白さが凝縮されていて、ストーリーやスペインの舞台設定にも、首肯するところが多く、作者、監督の思いが素直に伝わってきた。
自転車の基本はロードレーサーだよ、なんて思っていたりしながら、去年の冬、近くのホームセンターで長いこと売れずに埃を被っているMTBを手に入れた。近場を少し走り回ると、日頃小さい町と思っている地域が、体力に反比例して、広く感じ、起伏に富んだ地形と、集落ごとの特徴や春夏秋冬の景観を愉しませてくれる。山間部、丘陵地、平野部と様々なステージも用意されていて、地元の人たちは、山菜採りにしても、慣習はあまりなく、様々な地形を遊ぶのは、都会からやってくる人たちの流行を、真似事のように興じるゴルファーくらいで、残されている多くの豊かさを持てあましているようにも見える。
「アンダルシアの夏」の主人公ペペがナスの漬物くらいしか、とりえのない自分の故郷に嫌気をさして自転車レーサーとなって飛び出して行っても、焼けた荒地の広がる大地を、キライだ、と言いながらも微妙な愛情をうかがわせる。
「映画、観た?」と言って、ペペのチームスポンサー会社の、パオパオビールを1缶差し入れてくれた幼友達は、交わした言葉よりも沢山の私の心情を察してくれているみたいで、夕餉にカミさんと2つのコップに分けて注いだビールの味は、パターソンブックの数々の自転車シーンと重なって、遠くアンダルシアの景色を想起させた。
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