ガレージ

Jeep
 しばらく前から家の改修工事を自分でやっているKさん、ときどき材料や道具、機材運びにうちのぼろトラックを利用しているけど、作業が長引いてトラックの車検の時期を迎えてしまった。「車検代くらいは普段使っている代わりに払わせてくれ。」という好意に甘えて、何年ぶりかで昨年末に代わってJeepの車検を通した。

 家具製造会社に働いていたときには、歩きか自転車、モーターバイクの通勤で事足りていた毎日で、自分が自動車を持つことなど考えになかった。もし必要になったとしても軽トラック一台あれば間に合う仕事、くらいに思っていて、事実、自分で家具を作るようになったときには中古のサンバーを見つけて、材木運びから配達、お使いや長距離ドライブまでこなした。軽トラックのつくりからはそれほど長い耐用年数を考えて作られていない、としばらくしてから感じたが、2台乗り継いだサンバーは1台は造園やさん、もう1台は牛飼いの作業者として、ナンバープレートがはずされ放置されていものがそのまま引き取られていった。そんな頃外国へ出掛ける機会があって、「どういうことことなんだろう?」・・・・。

子供のころには自動車が解体されスクラップ置き場に山積みされる社会がやってくるとはとても想像できない、自分を取り巻く環境だったと思う。ピカピカ光った高性能自動車や便利な電化製品を作り出すことによって、急カーブを描いて成長した経済社会があったし、その恩恵を自分も受けている。「古くなって故障が多くなったから、」「置き場所に困って、」とかの理由をつけられて、前に乗っていたサンバーよりももっと古いトラックやJeepがウチにやってきた。乗る人は1人なので、1台の車検が切れると違う車の車検をとるといった具合で、使い勝手はともかく、ちょっとした自動車愛好家気分になる。

 こんなふうにモータリーゼーションやエレキの恩恵に浴しながらも、自分の内のどこかで危険信号がチカチカまたたいている。「ピカピカの車ばかりが走っている社会はどこかおかしい。」朝のラジオ番組で遠藤泰子さんが新しい電気製品を紹介するとき、パックインミュージックで「ア フール サッチ アズ アイ」をテーマソングにパーソナリティーを勤めていた頃のファンは複雑な心境になる。

 ボロなトラックも、Jeepも、メカ音痴でも少しは手を入れられるところがあるの、となかなかくたばらないのが気に入ってる。「プッ!」と吹き出す人も居るかもしれないが、見方によっては「オシャレ」なのである。