春スキー

 冬場のその時間帯には三城牧場まで登っていく路線バスなどなくて、仕事の同僚に暗くなった道をトラックのライトを頼りに人気のないゲートまで送ってもらった。
 ギシギシと山靴と雪のきしむ音が寒さを際立たせ、車の赤い尾灯が見えなくなってしまうと、空の星と風の音だけの、誰もいない静寂の夜が広がっている。
 少し登れば紅葉の頃見つけておいたトイレのような小屋がある。
 ザックを広げ、ツェルトと呼ばれる簡易テントを被って、ローソクに灯を点し、お湯を沸かして氷砂糖を溶かした紅茶を作って、寝袋に潜り込むと朝を待つより他にすることはなかった。

 1人というのは、不安ばかりが先立つものだから、寒さも手伝って早く起き出して、簡単な食事を済ませる。
 雪の表面はパリパリしているが山靴だけだとズボッと膝あたりまで入ってしまうので、カンジキを履き、王ヶ頭までの雪道を辿る。
 朝陽の当たらない西側の斜面は、ほとんどまっすぐな急登が続く。
 そう寒さも感じないで、ポカッと視界が広がって、緩やかな起伏の続く美ヶ原のテッペンに出る。
 背中のザックからスキーを外して、カンジキと履き替える。ビンディングを踵が上がるようにセットして、天気の良い日の雪の世界をアンテナの鉄塔から山本小屋の前の小さいスキー場まで雪原を渡って行く。
 お客さんは誰も居ない、のどかな山小屋の前でひなたぼっこしながらひと休み。
 夏場は牛が放牧される美ヶ原を横切るようにして、美鈴湖方面へスキーを向ける。
 
 高い処は気持ちよく景色を愉しんでいられたが、コースを夏のドライブウェイ沿いにとるようになる頃には、雪もとぎれとぎれになってきて、滑走面を気にしながらアスファルトの上をスキーで歩くはめになり、それが次第に、スキー板を外して歩いたり、長い雪の斜面が出てくるとスキー滑降、と、バラエティーに富んだものになって、その細切れに対処しなければならない動作は、バス停のある袴越の小屋に着く頃には、ほとほと、たのしいスキー滑降とはほど遠いものになっていた。
 袴越の小屋の前にもスキー場が広がっているが、シーズンも終わってしばらく経つのに、ひょっこり現れたバスを待つ客に小屋の人達は少し驚いて、松本駅行きのバスはナイことを告げる。
 小屋の人ではないが、常連客と思しき2人が下山する機会をつかまえて、松本市内までライトバンの後部座席にスキーや荷物と一緒に便乗することができた。
 
 途中、下り始めてしばらく、走っている際に、背中のザックにスキーをくくりつけ、元気に駆け登っていく1台のバイクとすれ違う。「気合が入ってんなぁ。」と2人の同乗者の話に「友達です。」と昨夜三城牧場まで送ってくれた同僚を紹介する。「追いかけますか。」ときかれ、「この侭降って下さい。」と頼む。、、、Uターンして追いかけても、アスファルトの道路が雪でふさがれている所まで戻らなければならないのは解かっていたし、袴越の小屋に立ち寄れば事情はのみ込めると思ったからだった。

 翌日、日焼けした顔で、少し鼻を高くして、仕事の合間の休みにそんな春スキーの話をもらすと、親方は「あぁ俺も若い頃、行ったなぁ。」と、ほとんど同じルートのスキー登山の話をしてくれた。
 「いったいいつの時代の話だ。」と思い返しても、実情は多分、今も変わっていないと思う。
 仕事場では、仕事にからむ話が多くて、親方のそんな山の話は、突然それまで知らなかった一面を見せられて、嬉しくなる、とまどい、だった。
 家の引越しの手伝いに行ったのは、それから大分経ってからの事だと思う。「ほれ、くれるぞ。」と細身のピッケルを手渡され、、鍛冶屋に説明して作らせたいきさつなども話してくれた。
 長めの木のシャフトには親方の字で花崎と名が刻んである。