ゴヤをみて
「着衣のマハ」「裸のマハ」といった油彩画の作者ゴヤの絵は、スペイン、マドリッド、プラド美術館に数多く飾られている。その作品の主要なものが日本の美術館にも展示されたことがあり、少し首を傾げて、ゆったりと身を横たえるマハの姿は、あでやかな色調や雰囲気といったものを記憶の片隅に残されている方は今もいる。 日本の展覧会でもプラド美術館の常設展示室にも、ゴヤのもう1つ別の絵画技法のエッチングの小品も数多く並べられていたと思う。 油彩画の中では大きな作品ではないが、タイトルも覚えていない、巨人が、両手で小さな人間を鷲づかみにして食べている絵、背景は暗く、ヒトを喰う巨人の表情は眼をむき出しにして醜くゆがんで描かれていたと思う。 ピカソのゲルニカ収蔵に代表される、広い大きなプラド美術館にはその絵よりも好きなブリューゲルもいたし、ボッスも、フランドル派の巨匠レンブラントもいた。 緻密に描き出されるブリューゲルの世界や、ボッスの頭脳解析を求められるような問いかけ、他にも眼を引く印象派の絵画も、イタリアルネサンス期の宗教絵画もある。人影もまばらな館内を時間をかけて巡った。豪壮な美術館の数々の名品の中に在って、派手さもなく描かれた一枚の油彩画の放つメッセージは、ゴヤが生きた時代や取りまく環境など、美術史を学び、研究したこともない私にも、苦痛を伴ううめき声にも似て、今頃になって届く。 ゴヤの人を喰う絵は、誰の心の内にも潜む、深淵を覗かせてくれているのだが、そんなことに眼を向けようともしない無辜の民への警鐘なのだと思う。およそ、美とか、美しさからかけ離れた絵画の中に、希求する信仰を描き現わした、願い、祈り、絶唱のように感じる。難しく考えないで「人間にはこんな一面もあるんだよ。」としめしているだけのことで、それよりもっとグロテスクな部分が現実にはあり、丸木位里、俊夫妻が芸術活動の全編を通して語られる言語は、地域も時間も越えて、その一枚の絵とも交流がなされていると思う。 家具作りに苦心したり、移ろう四季の景観を財産とする考えは、身の回りから消えてしまった手工業主を数えるまでもなく、少数だと認識もしている。 ゴヤが誰を想定してゆがんだ表情の人物を描いたのか私にはわからない、二重三重に投影される顔が浮かび上がって、数えるのも苦になるほどの為政者の姿がそこには当てはまる。日本という国名は残っていても実質はアメリカと変らない国にいて、故郷の町の名前すら今にも紙クズと化しそうな紙幣額に換えてしまう人達もいる。 ゴヤも丸木夫妻も生きていたら、今をどんなふうにスケッチするだろうか。か細く鳴く秋の終りの虫の音に似た私の描写はどこまで届くだろうか。 |
![]() |
![]() |