Caffe`
作業場の雑音で聞き取りづらい電話の呼び出し音に気がついて、受話器をとると、あらたまった女性の声が聞こえてきた、上司の伝言というような言い回しのなかにもカタさのある、訓練された、というかこんな応対にもキャリアを裏付ける会話の進め方だった。 東京に来ることがあったら、立ち寄ってもらいたい、来る前には電話連絡がほしいという伝言内容に、あまり先延ばしにならないうちに出掛ける、と返事を言付けた。 受話器を置いて、メモの電話番号とペアーノという名前をもう一度見直した。 別の誰か、ペアーノ氏の同僚が私の絵葉書セットを買い求め、その裏に記されていた電話番号に連絡してきたのだった。 三田のイタリア大使館に入って行くとき青い外交官ナンバーの車を見て、「此処は外国、イタリアなんだ。」と意識した。 正面玄関でなく奥の通用口のような所の、受付に用件をつげると、電話をくれたS女史が出迎えてくれて、「イタリア語は大丈夫ね!」ときめつける口調でうながされ、「ええ少しですけど、」と2階のいくつかある応接室の1つに招じ入れられた。 ペアーノ氏は名刺をくれ、ごくあたりさわりのない話をして、私の持っていった水彩画のファイルやカタログのような文集にも眼を通す。彼の故郷ペルージァも話題となり、東京、三田の一室で初対面のイタリア人との二人きりでの対話は、敬語も意識しないで、「不勉強な奴だな、」くらいにとられるくだけたもの、だったと思う。 「みどり?」と私がお店の名前をたずねるように応えると、「いいやその隣だ、良く知っているな、」と先ほどくれた名刺に店の名前を書きたして、母親の営むペルージァの11月4日広場に面した店をいつか訪ねるようにと、つけ加えた。 故国を離れてもうどの位経つのか、故郷に一人残された初老の母親にしても自慢の子息で、ペルージァの幼友達の誰もが認める超エリートの道を歩む、そんな人が、ジャンパー姿でノコノコ出てきた田舎くさい男と水彩風景画をはさんで、つたない言葉のやりとりをしている。 「絵は、描いているのか、いつか小さい展覧会をやろう。」そんな口約束に、私の乏しいイタリア生活で学んだ不確実性の高い国を思い出させた。 ペアーノ1等参事官はきちんと茶たくにのったお茶を召し上がり、私は一杯のカフェエスプレッソを飲みほして、午後の1時間余のティータイムは過ぎた。 3月、さいたま市で、サッカーボールをどこかに描き込んだプリント画のミニ展を催すことになった。 「ペルージァの景色もどこかにあったっけかな。」 「額縁はくるみ材で、額装も自分でやった、みんな自家製ですよペアーノさん。」 |
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