バグダッドカフェ
地理的にもよく理解できていないアラブの国々、イラン人とイラク人が並んで目の前に居たとしても私にはどちらが何人か、見分けることはできないし、ましてや部族というか、細かい民族の分別など、到底不可能だと思う。 時代も舞台も異なる、映画「アラビアのロレンス」の中で俳優ピーターオトゥールが演じていた役柄すら、本当に理解していた日本人は少ないと思う。 右から左へハングル文字を毛筆でくずしたように書いていく字にしてもそうだし、下っ腹に力を込めて発音する言葉も呪文のようで、口ひげを蓄えた男が「サラーム」と挨拶してくれたら、「ホバーン」と返事するのが精一杯で、薄暗い部屋の中で男たちがひとつの鍋を囲んで煮豆料理をつついていて、それを皆と一緒に口に運んで、独特の味と香りに「うまい」と親しみを込めて言葉を返せるようになるには時間のかかることだと思う。 イスラムの習慣を理解しようとするにしても、復興支援する仕方にしても、武器携行、とは違う方法手段があると思う。 マッチポンプという、火を点けておいて消防車を呼び出す話に似ていて、アメリカは時折持て余す古い型落ちした、武器弾薬の在庫一掃セールをやるみたいに、世界のあちこちへ行って、最新鋭高度機器のテストも兼ねて戦争に持ち込む。理由をあれこれつむぎ出すのも得意で、日本にも屁理屈だけで、自分に都合の良い憲法解釈する首相も居るから、普段はあまり表に出てこない、軍事産業、武器商人はほくそえむ。 「コーリングユー」という曲が主題歌の映画「バグダッドカフェ」はアメリカ、カリフォルニアの田舎町が舞台となっていて、本場イラクのオアシス都市バクダッドをなぞらえて店名にその名を冠したお店の内輪話。ガソリンスタンドも営んでいるから油も少しは関係しているし、登場人物もドイツ人夫妻を含めて人種も雑多、映画だからと言われればそれまでだが、現実の、今のイラクの・・・、子供の頃に想い描いていた、月の砂漠のオアシスと、どちらもおよそかけ離れているバグダッド。 子供向け昔話「アリババと40人の盗賊たち」の結末を思い出そうとして、今でははっきりとは思い出せないが、寓話、童話と、新聞、TV、で報道されるニュースが入り混じって、盗人の親分とその手下たちというのは容易にイメージがわいてきて頭に浮かべることができる。 バグダッドに住む人たちの中には、自分の国から石油なんてお宝が掘り出されないほうが良かった、と思う人も居るかもしれない。チグリス、ユーフラテス川流域の文明遺産を今に伝えて、世界中の人たちの憩いの場所、オアシスとして、バグダッドのカフェが今も賑わいを見せている、そんな選択の仕方もどこかにあったと思う。 |
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