7月4日
カナダ人のアーサーは眼に涙をあふれさせて、嬉しさをこらえきれずに、顔をくしゃくしゃにしている。 ボソン氷河のほとり、ミュレ小屋に着いたのは午後1時25分。早朝グーテ小屋を出発して、モンブラン登頂を果たし、ヴァロ小屋まで下降してきた際、そこにいる5人だけが、グランプラトーと呼ばれる大きな雪田を横切る、他の登山者と違うルートを選んだ。迷路のような氷塊、氷柱の間をくぐり抜け、ゴーグルの濃いサングラスが素通し眼鏡のように光キラメク世界に入っていく。 この世のものとは思えないファンタジックな光景だが、対象にクレバスという氷の裂け目にズタズタ切りきざまれた一筋の下降路は、細かく割り付けた阿弥陀くじの当りを引くような、わずかな確率で、安全圏のその小屋までたどり着けたのは、1本のロープをその時だけ結び合ったパートナーFの本能か、野生動物の持っている勘に近いものだったと思う。 私は2番手、セカンドでトップの行動を確保しながら、大まかな方向にも、眼を配る。後に続く3人は別のロープで身体を繋ぎ合って、私たちのトレースを追う。ポーランド人のアンジェは単独行だったが、ヴァロ小屋での休憩中に仲間に加わり、そこでメンバー編成を組み直した、年かさからすれば1番の年長者で、行動も態度も温厚で、穏やかな表情をしている。登高時の私のパートナーSは体調をくずし、登、下降にもその力、全部を発揮しきれないでいた。アーサーは学生の休みを利用してフランスにやって来て、Fに誘われるように念願の登頂を目指してきたのだが、その夏、二十歳になったばかりの登山未経験者といってもいいような若者だった、その5人に共通していたのは全員が1人で、シャモニという街にやってきて、モンブランを始め、周囲の峰々に足跡を残すことを目的としていた。偶然その日は5人の行動パターンが一致しただけのことだった。 エギーユドゥミディと、南シャモニを結ぶロープウェイの中間駅、プランドゥレギーユは標高2,317m.にあるが、下降の最終時刻は5時30分、ミュレ小屋からボソン氷河の上部を横切り、ロープウェイの終便に間に合うようにと、休憩も取らずにもくもくと歩いた。 夕刻6時、といってもまだ陽はわずかに傾いたところにあり、暖かいシャモニの街のカフェテラスに陣取り、5人はおもいおもいにビールを飲んだり、アイスクリームをほおばったり、日焼けした顔をほころばせていた。 モンタンヴェールの登山鉄道駅では、小学生の遠足の集団に背後から「アルピニスタ!」と声を掛けられながら、メールドグラスを辿り、モアヌ南稜を登りに行った。クーベルクル小屋に宿泊して、小屋の前に夕暮れの時間を過ごし、グランドジョラスが赤く染まる高貴な姿は、この滞在期間のうちになんとしても、その頂に立ちたいと思わせる、充分な時間だった。 カフェの椅子に深く腰をおろし、アイスを食べながら、誕生日までの残る数日、シャモニ滞在総仕上げ、グランドジョラス登頂計画と、その具体化の話は、ゆっくりと、とろけるように進んでいった。 |
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