憧れの山 頂に立つ              丸山 利夫

チョピカルキ(6353m)     

ワラスから南の方向を見るとコルデラブランカの盟主ワスカランの右に鋭いピークをかかげているのがチョピカルキである。10年前最初にアタックしたのであるがクレバス処理に時間が掛かりタイムアップのため登頂できなかった。8月2日出発の朝頼んでたったギアー(ガイドのこと)マルコがクスコにトレッキングに行っていてこられないので代わりにロドリーゴが来る。初めての面識だ。山の用意はしていず今夜ベースで合流するという。多少の不安はあったけれどポルタドールのエミリアーノとフェデリコの3人で装備、食料を積み込みヤンガヌコに向けチャーター車に乗り、10時半ホテルを出発する。ユンガイ経由ヤンガヌコのワスカラン国立公園の管理センターにて入山手続きして1時半登山口到着。チョピカルキはブーロが使えないのでポルタドール2人で荷上げをしなければならない。50分ほど見慣れた山道を歩き午後3時頃BCに到着する。他のメンバーはいないので水場に近く1番良い場所にテントを張ることができた。

ワスカランをヤンガヌコ側から見ると南、北2峰とも荒々しい岩壁に雪は着いていない。ワラス方向から見ると雪を付けて純白の山に見えるがヤンガヌコ側は北面になるので南半球では陽が当たるので雪は付けない山が結構あるのである。反対側を見るチャクララフがナイフで切り落としたような急峻な山肌にヒマラヤヒダが美しい。上を見ると目指すチョピカルキの頂上が小さく見える。夕食後シュラフに入ろうとしているとロドリーゴが到着。これで明日からの行程通りに行く。

8月3日朝起きるとロドリーゴとエミリアーノの2人の姿が見えない2人はCMの近くまで荷上げに出かけていった。お茶を沸かして待っていると8時頃戻ってきた。今日はCMまでなので10時10分ゆっくりとBCを出発。3時間ほどでCMにいける。ワスカラン氷河とチョピカルキ氷河をわけるモレーンの尾根を登り、オーバーハングした岩場がCMだ。氷河が後退しているので水場が遠くなってしまった。スペイン隊、アメリカ隊が次々に到着する。BCでの水が悪かったのか腹の具合が良くないので正露丸を飲む。

8月4日フェデリコも腹の調子が悪いというので正露丸を与える。10時頃CMを出発。氷河の末端に着きアイゼンを着用しアンザイレンして登り出す。やはり以前よりクレバスも多く、右に左に大きくクレバスを避けながらコルを目指し登高する。ピスコのコルの高さに近づくと今日のキャンプ地であるコルが近づく。午後1時40分コルに到着。雪を整地しテントを張る。4つのピークをもつワンドイ、チャクララフ、先週行ったアルテソンラフ、サンタクルス谷のアルパマイヨ、キタラフ、リンリヒリカ、プカヒリカ、タウリラフ等の秀峰が見渡せる。ワスカランの南、北峰の北壁が黒々とひかえている。すこぶる威圧である。スペイン隊が隣にテントを張る。アメリカ隊は下に張ったのだろうかコルまで上がってこない。

8月5日午後2時起床すこぶる快晴。3時ロドリーゴと2人で出発。1つ目のクレバスを越え、急な雪壁を登る。ヘッドランプが点々と見える。スペイン隊とアメリカ隊であろう遠くワラスの町が望まれる。5時半頃夜明けが近づく頃1ばん冷え込む。握っているザイルの手も厚手の手袋をしていても手が冷たい。

ワルカン、コパ、アルタが見えてきた。コパは10年前に来た時に登っている山だ。振り返るとワスカラン北峯が見える。引き返したあの頂上下のクレバス帯も見える。登るにつれ氷の壁に邪魔されて頂上は見えない。壁に沿って4ピッチ登り右にトラバースすると大きな雪の大地にでた。スペイン隊、アメリカ隊と我々が一緒になった。このテラスから下はすっぱり切れ落ち下は見えない。ここが登る頂上かなと思ったがそうではないらしい。ダブルアックスで急な雪壁を越すと緩やかな尾根の先に帽子を被ったよな頂上がある。年によっては帽子の根元にクレバスができて登れないときもあるのだ。スペイン隊、アメリカ隊は最後の登りにさしかかっているのが見える。疲れているのでそこに見えているのが遠く感じる。最後の80mの斜面を登りきり10時半山頂に立ちロドリーゴと握手。山頂は狭く立つのは危ない幅50cm、長さ4m弱ぐらいしかない。北側はスパッと切れ落ちている、スペイン隊とアメリカ隊が私に年はいくつかと聞くので62才だと答えると「ブラボー」といって握手を求めてきて、登頂を褒めてくれとても嬉しかった。サンタクルス谷のその先のワンツァンまで見える。ワンツァンは特徴ある山容なので遠くからでもよく分かる。30分ほど写真を撮ったりして11時に下山にかかる。下降は同ルートを懸垂下降。スペイン隊、アメリカ隊の7人なので時間が掛かりそうだ。6000m以上の懸垂下降は思ったより息が切れる。雪の大地の所で男女2人のパーティーが登ってきたので先に登らせた。雪氷壁の下まで懸垂で下りたがその先は歩いて下る。1時45分コルのC1に帰り着いた。ヘトヘトに疲れてしまい今日はCMまで下る予定であったが日数に余裕があるのでC1にとどまり休養して明日BCまで一気に下ることにする。隣のスペイン隊はCMまで下りていった。後に別のアメリカ隊が入ってきてた。コンロの調子が悪く水が作れないので貸してくれと言うので我々のものを貸してあげる。日本語がけっこうできるので訊いてみると3年間働きながら宣教師の仕事していたという。名前をカーターというので元大統領の名前といって笑いあった。8月6小雨が降っているがトレースの消えるほどではない。周囲の山は雲に隠れて見えない。昨夜ワスカラン笠雲がかかっていたのでもしや明日は天気が崩れるのではないかと思っていたのが当たった。前回来たときもBCで同じような時があり10cm以上の雪が積もったことを思い出した。9時C1発。45分程でモレーン到着。アイゼンをはずしてモレーンを下り10時15分CM着。残していたテントをたたみ、モレーンの尾根を下っているうち晴れてきた。途中ワスカランで平岡隊のテントキーパーをしていたポルタドールに逢う。1時BC着。スペイン隊がニワトリ2羽を持ってきている。いずれたべられてしまうであろう。8月7日小雨がちらついているがワラスに帰るまでである。10時前バス通りまで下る。10時ちょうど迎えのバスが来てワラスに帰る。帰りの車の中でロドリーゴが次はアルパマヨに行こう話しかけてきたので2つ返事でOKの返事をする。

丸山(ウルスの登り)              チョピカルキ



アルパマヨ(5947m) キタラフ(6036m)     

ワラスに帰り着いてからアルパマヨの日程を考えると8月17日にワラスを下り18日の飛行機に乗り日本に帰る予定になっているのでアルパマヨ登山は無理があるので帰国予定の日取り変更をしなけれがならない。その点オープンチケットを購入して置いて良かったと思った。旅行代理店グランツールペルーに私の日程変更予定表をファックスで送信した。すぐリマ行きのバスチケットを買い、大田さんにその話を電話で連絡しリマのホテルの予約をして貰う。8月9日午前11時半のバスでリマに向かった。夕方7時半リマ着。すぐ大田家に向かう。8月10か朝10時過ぎミラフローレンスのグランツールペルーリマ事務所に行く。既にアメリカン航空との予約変更手続きが完了していた。パスポートと航空券を持っていったのだが予約変更番号がファックスに記入してあったためにアメリカン航空との予約課まで行かずに済み手間が省けた。わずか10分弱で手続きが終了し、ワラス行きの切符を予約すべくバス会社に行く。クルーズ・デ・スルーの切符は取れないのでモービルの夜行バスの切符を購入。これで12日間日程を延ばし8月30日リマ発に決定。ヘススマリアの大田さん宅に戻りマーケットを見物していると寒気がする。生憎リマは曇っていて割る巣より寒いので50ソーレスを出してジャケットを買う。風邪薬をワラスに置いてきたのは失敗したと思う。23時発の夜行バスでは毛布を被っていたが寒くてしょうがない。これは風邪にやられたと思った。8月11日6時半ワラス着。早朝なのに谷川さんがモービルバスターミナルに迎えに来てくれた。朝早いので店がひらいていないので谷川さんのお店で朝食を頂く。ホテルに帰り、風邪薬を飲み休養する。8月12日予定通りロドリーゴと話し合いアルパマヨ行きの食料買い出しを行う。午後郵便局に行き12日間延ばすことを手紙で姉に出す。今夜はシャワーを浴びることを控えた。

8月13日6時に起きるが1段と風邪が悪化しアルパマヨ行きが困難になる。7時に迎えの車とエミリアーノが来る。7時半には谷川さんとロドリーゴも来る。谷川さんと相談し山行を延期することにし車とエミリアーノ、ギアー、ポルタドールにも帰って貰う。またカシャパンパのアリエロ、ブーロも代理店のSOR・シルビアより断りの電話を入れて貰う。風邪を引いたまま6000m級の山には入り肺炎にでもなったら命にも関わることになるので絶対に駄目だと言うことになり谷川さんのお店の近くの医者で注射を打って貰う。ぶっとい注射なのでお尻に打った。3日間の薬を受け取る。高い代金と思っていたのだが39.5ソーレスと考えていたより遙かに安いので驚く。保険ではないのになぜか不思議に思う。1時はアルパマヨは諦めた。

8月14日昨日の注射と薬が効いたのか嘘のように回復した。谷川さんの話ではふつうでは点滴をやるのだがそれを注射にしたそうだ。また薬は強いらしい。午後計画の変更をロドリーゴに話す。アルパマヨの後ピスコに行く予定であったがピスコ行きを中止しアルパマヨの隣のキタラフに変更する話をしたら快く引き受けてくれる。アルパマヨを彼は今年2回登っていて自信を付けている。フェラリールートを行くことになった。キタラフは北壁ダイレクトと決まった。また彼は今年ワスカラン北壁をフランス人パーティーを連れて初めて登っているギアーなのだ。キタラフはピスコより難しい山なのである。よって3日間追加して追加して12日間の山行になり、サンタクルーズ谷より入りアルパマヨ谷に下るコースを取ることにする。アルパマヨ谷は三角錐のアルパマヨを見られる美しい谷間であり私も初めてでもある。

8月15日体調も回復、谷川さんも見送りに来てくれ、ロドリーゴ、ポルタドール2名で8時ワラス出発。カラス経由で11時にカシャパンパに到着。日曜日のせいか大勢の登山客やトレッキング客でにぎわっていた。まもなくアリエロのオロとブーロ4等がやってきて荷物をブーロにくくりつける。私はロドリーゴの2人で先にサンタクルーズ谷を登り出す。この谷は4度目なので懐かしさを感じる。午後になると前方にタウリラフの白い峰が見えてくると谷間も広くなりジャコラフのキャンプ地3時15分に到着。ロドリーゴはギアーであるとともに登山用品店とレストランを経営しているのでキャンプ用テントとプロパンガスを持ってきた。夕方売店にビールがあったので買って飲む。まさかこんな所にビールを売っているとは思っても見なかった。

8月16日8時10分ジャマコラフを出発イチヨチャの湖にかかる谷間の左奥にキタラフが見えてきた。アルパマヨの次に登る山だ。アルワイコーチャのBCへの登り道が前来たところより奥の方に変わっている。12時半BC着まもなくブーロ一行も荷物を背負って到着する。八月中旬ともなると登山者の数も減り、天幕の数も少ない。ピカヒリカの6000mを越す三つのピークがBCのすぐ近くにそびえアルパマヨとキタラフが我々を見下している。サンタクルーズ谷の向こうにはアルテソンラフの鋭いピークが天をさしている。ここのBCにも売店とトイレができていた。

8月17日起きるとロドリーゴとエミリアーノが荷上げに出かけていなかった。8時頃2人は戻ってきた。朝食後アリエロとブーロはカシャパンパに帰っていく。我々も10時20分CMに向かう。モレーンを登ること2時間CMに到着。ここの氷河も後退している。コルに向かってスペイン隊が登っていくのが見える。午後2時半ロドリーゴ、エミリアーノ、フェデリコの3人がまた荷上げに出かけていった。午後から曇ってきたので寒い。4時半人が戻ってきた。暗くなる寸前男女2人のパーティーが到着。水場が離れたところにあるので教えてあげた。

8月18日夜中から降り出した雪は止まずうっすらとモレーン上を白く染めている。9時CMを出発する。2人のパーティーは動こうとしない。モレーンを過ぎ氷河の末端でアイゼンを着用。安全を期してアンザイレンをしていく。コル近くの雪壁の下にデポした荷物があった。右手は岩場になっている。この先は急な雪壁なのでスタッカットに切り替える。2ピッチ登ったクレバスの所でスペイン隊が懸垂で下りてきた。天気が悪いので南西壁の登攀を諦めてきたのだと言っていた。コルから雪原のキャンプ地に下るとペルー隊のテントが1張りあった。

8月19日小雪。昨日からの雪は降り止まないが積雪量は少ない。ペルー隊にポルタドール1人が下から上がってくる。話によるとBCの方では雨だそうだ。昨日からアルパマヨもキタラフも姿は見ることはできず天候が気になり我々も登れず終わってしまうなのだろうかと不安と焦りが沸き立ってくる。ロドリーゴとフェデリコがルート工作に出かけていく。まもなくガスで姿が見えなくなる。午後3時過ぎ風向きがアマゾン方向に変わる。エミリアーノの話では天気が回復すると行っている。5時頃2人は帰ってきた。夕食後7時近くになって天気回復。モルゲンロートに輝くアルパマヨが美しい。午前中に出かけていったペルー隊が南西壁の明日私が登るフェラリールートを登っているのがヘッドランプの光で分かる。下りてくるのは今夜遅くなるだろう。キタラフも赤く浮かび上がって美しい。

8月20日快晴午後3時昨日のトレースがあるのでラッセルなしで済むので助かる。天幕場より少し下り雪原を大きくトラバースしてほぼ中央部より雪壁の登りにかかる。いよいよ憧れていたアルパマヨの南西壁の登攀にかかる。胸がわくわく目前にフェラリールートがそそり立つ。しかし夜中なのでヘッドランプの明かりは全体は見渡すことはできない。ストックを残し急な雪壁を2ピッチ登る。南西壁を横断するクレバスにかかる。90度以上あろうか左手にユマール右手にバイルで雪と氷のミックスの壁を乗り越す。さほど困難は感じない5mほどで乗り越えた。やや左上気味に小さい氷のリッジを越えるといよいよ核心部にかかる。パイプを半分にしたような氷の斜面へと変わる。暗いので周囲の様子がよく分からない。テカテカの氷と言うより圧雪と氷のミックスとといった方がよいかもしれない。平均斜度60度部分的に90度ぐらいの所もある。暗くてヘッドランプの光だけなので下が見えないので怖さ感じないけれど気は抜けない。明るくなるにつれて右方向にアルテソンラフが見えて高さの比較ができる。南西壁なので陽が当たるのが遅い。見上げると稜線の雪庇が被いかぶさって見える。途中2箇所残置のスノーバーがあったのみでロドリーゴはランニングビレーは取らない。連続60mのピッチ登るのは苦しい。下のクレバスを乗越してから休める場所はなく300m一直線に稜線に突き上げている。七ピッチ目いよいよ最終ピッチ稜線の覆い被さる雪庇の乗越しにかかる。ロドリーゴが雪庇を切り崩す。U字形に切り込み乗越し、姿が見えなくなる。OKの合図の号令がかかり私の番だ。90度以上あると思われたがさほど困難さは感じない。ロドリーゴが写真を撮ってくれる。乗越しと反対側の斜面はすっぱりと切れ落ちている。細い稜線を慎重に登り山頂に立つ。7時半ロドリーゴと感激の握手。4時間半の登攀であった。隣には明後日登るキタラフがかがやいている。その先のサンタクルーズがやはりワスカランは高い。30分写真を撮ったりして8時に下山開始。7ピッチ懸垂下降。見上げると氷できらきら光っている、横断クレバスのところでザイルがクレバスの中にはいるが簡単に回収できた。残して置いたストックの所からザイルをはずし急斜面を駆け下るが疲労感がでて足取りが重い。ポルタドールが天幕をキタラフ北壁のしたの雪原に移動したのが見える。彼ら2人も私たちを迎えに雪壁を登ってくる。12時15分へとへとになって帰幕。600mの登攀だった。疲れたけれど満足したフェラリールートの登攀だった。アルパマヨがきらきら輝いていた。8月21日休養。

8月22日快晴。今日も出発は午前3時。東の空にはオリオン座が輝いている。日本では冬の星座だ。しかしこちらペルーでは冬に当たるので見えるのだろう。今日はキタラフ北壁ダイレクトルートの登攀だ。この壁も取りつてから休める場所がなさそうだ。30分ほどで最初のクレバスにかかる。かぶり気味であるが前日ザイルをフィックスしてあったのでユマールとザイルで楽に乗り越えた。アルパマヨに2人が向かっているのがヘッドライトの光で分かる。2ピッチ登ると左に岩場があるのだが暗くて分からない。この辺から核心部へと入っていく。50度前後の斜面、部分的に60度ぐらいあるだろうか。日中雪面が溶け夜凍結の繰り返しで帯状の氷となっているので登りやすい。岩場付近を過ぎ、やや左上気味に登る頃夜が明けてきた。この辺から北壁のピークに向かって一直線に登る。60mピッチやはりロドリーゴはランニングビレーを足らずぐいぐい登っていく。休まず60mのピッチを登るのは苦しい。トップのロドリーゴの姿が遙か先に見える。左の方向には一昨日登ったアルパマヨの南西壁が右方向にはサンタクルーズが見える。ビレーしている付近には他のパーティーが残置したスノーバーが所々に見られる。七ピッチ以降は氷の斜面から雪壁に移り傾斜はやや落ち稜線下2ピッチは浅いクーロアール状態の所を登り北壁のピークに立つ。取り付きから一休みすることなく登り続けたので息が切れる。取り付きのクレバスの乗り越しから9ピッチの登攀だった。午前8時から5時間の登攀だ。山頂はアルパマヨ寄りにあるので北壁からのピークからいったんコルに下る。この下りが雪庇の上を通るので怖い。バイルのシャフトが根元まではいる。抜いてその穴を覗いてみるとサンタクルーズ側が透けて見えるところもあり緊張する。ここはスタカットで慎重に下った。コルからは広い尾根を登ると広い山頂。ここでも感激の握手。6036mあるので5947mのアルパマヨを見下ろすことになる。ペルー最高峰ワスカラン6768mはさすがに高い。ブランカの山々が一望でき、疲労感が和らいだ。30分ほど山頂にいて8時半下山にかかる。コルから雪庇を慎重に登り返して北壁のピークから懸垂にかかる。9ピッチでクレバスの下に下る。ここでも回収したザイルがクレバスの中の氷りに引っかかり苦労する。北壁を離れてみるとピークからリッジが一直線に下りているように見えるけどこのリッジを登るのではなくリッジ右側から取り付き岩場の下から左側に移り、以後は一直線に壁を登る。11時に雪原に下る。腹がぺこぺこになり疲労感がどっと出る。エミリアーノとフェデリコが登ってきてザックを担いでくれた。

今日はアルパマヨ谷を下りCMまでの予定であったが水がないのでハンカーリッシュのBCまで下ることになる。へとへとに疲れる風邪がぶり返したのだろうか寒さと咳き込むようになる。CMから登りにかかる1本の尾根を越すのが苦しい。寒いので防寒服を着る。コルからハンカーリッシュの下が長く辛く感じられる一箇所ザイルを使用する。アルパマヨ谷を下っていた方が良いと思っていたのだが末端は200mほどの大滝とスラブになっていて下はハンカルーリッシュ湖になっているので谷通しには下れないことが判明した。四時半ハンカルーリッシュのBCに到着。アリエロのオロが私のテントを張って待っていた。

8月23日ハンカルーリッシュ8時半発。トレッキングコースから離れ前の尾根をロドリーゴと登る。ポルタドール達はアルパマヨ谷の下山コースを行く。登るに従いアルパマヨの三角錐をした姿が見え始める。南西壁は尾根型をした男性的な姿だがアルパマヨ谷側から見ると純白のドレスを着た女性のように感じられた。尾根の展望台から見る姿はハンカルーリッシュ湖そこに流れ落ちる大滝、その先に氷河の上に輝くアルパマヨの姿は世界一美しいとロドリーゴも言っていた。苦労して来た甲斐がある。ロドリーゴに感謝する。急な草道を下りポルタドールと合流する。ルイナパンパからアルパマヨ谷を離れ4800m級の峠を二つ越えクリコーチャに下る。クリコーチャ湖の向こうにサンタクルーズが聳えている。コバルトブルーの湖にサンタクルーズが映り美しい。クリコーチャ湖から流れ下りる大滝も凄い。大スラブの中を水しぶきが飛び散る姿は壮快そのものである。

8月25日ウシュカシのキャンプ場からワルカヤンの部落に下り今回の山行のすべてが完了する。ここワルカヤンはプレインカの遺跡があり見物する。2000年前の石の家3棟あり、じゃがいもや人骨があった。ルイナパンパからの峠への登る途中にもプレインカの石積が所々に点在していた。2000年も昔こんな山奥にインカの文化があるとは思っていなかった。山も良いけれどインカの文化にも触れて楽しい山旅であった。8月26日朝迎えの車に乗り12日ぶりにワラスに帰った。

アルパマヨ

キタラフ