イシンカ山、マチュピチュにて

登頂の条件              篠原 淳

7月の1ヶ月間 会社を休み南米ペル−のワスカラン(6768m)に挑んできた。こんな機会は2度と無い(また1ヶ月休ませてくださいとは、さすがに言えない)こともあり、是非とも登頂したかったのだが、今年のペル−は乾季の7月にまとまった雨・雪が降るぐらい異常気象で、南峰はおろか北峰も登頂できずに帰ってきた。南峰(6768m)はクレバスが早くから開いているとの情報がありC2から見上げても、どこが登れるの?といった有り様で断念。北峰(6655m)は登れそうだということで、計画を変更して6350m付近まで行った(私はC2テントから10m)が、前々日の降雪のためル−ト工作・ラッセルを強いられて、結局登頂できずに下山することになった。C2テントを撤収し下山を始めた頃、我々より1日遅れでC2に入ったガイドの平岡さんが率いる日本人ツア−隊が、我々が作ったトレ−スを使って、我々の最高地点を超えて北峰を目指していた。下山した情報では、結局6550m付近で断念して引き返したと聞いた。ガイドがもう1人いれば登頂できたということより、体調が悪い人が出たか、チョットしたところが登れなかったかどちらかのようである。

 今回6000mを超える高所での本格的な登山は初めてであったため感じたが、登頂するにはある程度の条件が揃わないとできないのかなと思った。今回同時期にC2に来ていた我々(5人+ガイド・ポ-タ-7人)、新山さん(1人+ガイド・ポ-タ-2人)、平岡ツア−隊(8人+ポ-タ-多数)、カナダ人?(2人)で考えると、下の5つぐらいの条件が揃わないと登頂できないのかなと思う。

@実力(技術・体力)

A運(天候)

B計画(食糧・日程)

C高度順応

Dズルさ

まず我々だが、結局6350m付近までで登頂できなかった。@実力は北峰登るレベルでは技術的にも、体力的にも十分あったと思う。日本ではアルパインル−トを頻繁に登っており、私以外は海外の高山も経験していた。C高度順応はイシンカ・ウルスで行い、途中C1で1日停滞したこともあって、C2での体調はそんなに悪くなかったと思う。B計画は食糧が1日停滞したこともあり買っていたつもりの物が無かったりとショ−ト気味になったがアタック時点では問題なかった。日程はアタックは1回と決めていたため計画通りであったが、もう1日ぐらい予備日を持っていたほうが良かったのかもしれない。見放されたのはA運である。とにかく天候が悪く、C1でこの時期あまり降らない雪が降り20cmぐらい積もった。おかげでC2までラッセルとなり、またアタックでもル−ト工作・ラッセルを強いられた。またDズルさを発揮できなかった。総勢12人の多人数パ−ティ−のためクレバス帯では早め々々の行動する必要があり、またC1で停滞したために予備日を使ってしまいC1での降雪後に先行することになり、他パ−ティ−のトレ−スを使うことができなかった。Dズルさはともかくとして、A運の条件が揃っていなかった。

次に新山さんだが、新山さんパ−ティ−はC1に我々から1日遅れで入り、C1〜C2は我々のトレ−スを追ってきた。北峰アタックは我々と共に行動することとなり、6350m付近までで登頂できなかった。@実力は、新山さんはザイルワ−クもままならない程でガイドにおまかせといった感じであったが、ガイドは1人を連れて登るぐらいの技術は持っていたように思う。体力的には不十分であったようである。高度障害も出たのかもしれないが、6350mからの下山時はフラフラでまともに歩いていなかった。C高度順応は事前に別の山に行っていたようだが、C2では食事が進まないように聞いた。B計画は問題なかったと思う。A運はアタック時にル−ト工作・ラッセルを共にすることになったが、我々と行動できることになったため条件を良くしたように思う。ただし、あると期待していたトレ−スは前についていないのだはあるが。Dズルさは発揮していた。体力的に不安をかかえていたせいか、先行は全くしなかった。アタック時も先行する予定であったが、結局我々と行動を同じにすることになり。ズルいと言うか、うまいと言うかといった感じであった。結局@実力の体力か、C高度順応の条件が揃わず登頂できなかったように思う。

次に平岡ツア−隊だが、BCに巨大なキッチンテントを残置しておくようなツア−で、日本人はほとんど荷物をポ−タ−に持たせていたため多人数のパ−ティであった。C2には我々から1日遅れで入ったため、トレ−スをずっと追ってきた。C2に入ったその日の内にガイドだけで我々が行き詰った6350mのクレバスを迂回するル−トを工作していたが、翌日のアタックでは頂上直下の6550m付近で断念して引き返したと聞いた。Dズルさはともかくとして、A運、B計画の条件は持ち合わせていたと思う。@実力という面で考えると、平岡さん自身はアタック前日にル−ト工作するぐらいの実力の持ち主であるが、ツア−客の技術・体力の実力が揃うと考えることは難しい。C高度順応は事前に別の山に行ってきたと聞いたが、ツア−客全員の状態が良いとは限らない。この辺りが原因で後100m地点で引き返すことになったと思われる。

最後にカナダ人?パ−ティ−だが、新山さん同様C1に我々から1日遅れで入り、C1〜C2は我々のトレ−スを追ってきた。北峰アタックは平岡ツア−隊と同じ日に行い、朝方頂上付近で光がちらついていたとの話から登頂したと思われる。C2への帰還も早く我々がテントを撤収してC2を出発する頃には戻って来つつあった。@実力は頂上アタックの素早い行動から十分。A運はアタック当日平岡ツア−隊がつけた迂回ル−トも開けて十分。B計画は余裕が十分あったのか、この日の内にここまで行かないといけないといった束縛が無かったように思えた。C高度順応は頂上アタックの素早い行動から十分。Dズルさは先行を全くしなかったことより発揮していた。

以上から海外の高山を登頂できるのは5つの条件が揃わないとできないように思われた。後で思うと、カナダ人?らは条件が揃うのを待っていたようにも思うのだが。

篠原(右)ガイドのサムエルと