深澤(左端)ウルス頂上にて丸山、鈴木と

あこがれの地ペルーアンデス訪ねて        深澤 巧

昨年、チベットに行って大田山の会の石坂さんとペルーアンデスの話が持ち上がり、ペルーアンデスワスカランを登る計画。参加者を募り、ペルーアンデスに何回も足を踏み入れている高嶺会の丸山さん、チベットで一緒だった遠峰山岳会の鈴木さん。我が同士熊谷山旅会の高田さん、篠原さんと私深澤の6人で遠征が決まった。メンバーの住所が神奈川、東京、埼玉と広範囲であったが、浦和の酒場で打ち合わせを重ね、2回の予定が1回になったが富士山頂風雨の中ビバークをして高所訓練。

2004年7月1日出発。7月8日 ロバ4頭、ポーター1人とイシンカ谷入る。7月9日イシンカ山(5530m)を目指す。足骨折が治りきらない高田はプラシューズのため足が痛み途中引き返す。石坂はイシンカ湖に行き標高5000mを越えた。丸山、鈴木、篠原、深澤は急な雪壁のトレースを追いセラック帯の下5200mまで登り、高所順応がまだできていないためか疲れが酷く頂上は無理と判断して引き返す。翌日ウルス山(5495m)に向かう。石坂、丸山、鈴木、篠原、深澤登頂。ワスカランへの期待が大きく膨らんだ。

7月13日 ロバ8頭ガイド1人、ポーター6人ワスカランベースキャンプへ。14日朝、高田はムショー村に下り。他のメンバーはツルツルのスラブを登りキャンプモレーナの小屋に。さらにスラブを登ると雪に覆われた緩やかな氷河。これを息切らして登りC1。夜、雪が降って翌15日は停滞。16日トレースは無く赤旗を頼りにC2に。17日朝2時丸山、鈴木、篠原、深澤で北峰(6655m)頂上アタック出発。別のパーティーのガイドと我らのガイド2人でルート工作をしているがいっこうに捗らない。風も強く寒い、手足に痛みが走るほどだ。あまりの寒さに鈴木、篠原は引き返してしまった。残った丸山と深澤が「先に行きたい」と言ってもガイドは「待て」というだけでいっこうに進まない。吹き抜けの高台で風が強く手足を動かして凍傷を防いでいた。やっとクレバス帯を抜けて斜面が開けここで明るくなってきた。この時点では頂上に行けると思い心は躍った。真新しいトレースを付けて急な雪壁を越えて見上げると懸垂氷河、クレバスが行く手を遮っていた。ガイドが「ここまでだ」という。チョピカルキ山(6400m)が小さく見えたからこの山の頂上と同じくらいの高さにいるようだ。やむなくC2に引き返しふっててずっと寝ていた。18日朝、登頂の未練を残して下山。途中2回懸垂下降してC1緩やかな雪面を下り、モレーナの小屋前でラーメンを食べ、ベースキャンプに。19日朝、高田とロバが迎えにきた。どういう訳か高田の自慢の髭がなかった。

憧れの地ペルーアンデス。ワスカラン登頂が今回の遠征目的。頂上に立てなかったのは非常に残念である。ワスカランの大きさが視界を遮っていて頂上に登らないと美しいペルーアンデスの山々は見えてこない。ペルーアンデスを全望するためにも登りたかった。今回の遠征を通じて強く感じたことはガイドが当てにならないことともっと時間をかけて高所訓練をつむこと。5000mを超える高さでは何をするのも辛かった。もっと山を楽しむためにも高所トレーニングの必要性を感じた。今回の経験を生かして次回につなげていきたい。