目的地:谷川岳一ノ倉沢2ルンゼ⇒Aルンゼ(Bルンゼに変更)
登山期間:2003年9月26〜28日
参加者氏名:深澤巧、宮脇卓士、森田啓太、石川敏朗(記)
天候: 9/27曇後小雨 9/28 晴
黎明の一ノ倉沢 ヒョングリの滝上流の下降点少し手前で撮影
2ルンゼを大分上がったところでセカンドでの登攀開始前に撮影
左と同じ所で烏帽子岩を望む
広河原からの森田さん登攀開始 もう一人は宮脇さん

(こちらは拡大しません。)
2ルンゼ1 2ルンゼ2 今回のメンバー(お疲れ様でした)

概略行程:(着/発)
9/26 勤労会館(21:00)・花園(高速道路)水上・一ノ倉沢出会駐車場(23:00)
9/27 一ノ倉沢出会駐車場(5:40)・テールリッジ取付(6:20)・衝立スラブ取付(7:16)・ 南稜テラス(7:38/8:10)・2ルンゼ取付(8:40/8:50)・ザッテル(13:00)・広河原(13:46)・Bルンゼ経由(Aルンゼを変更)・稜線下(19:00 ビバーク)

4/28 稜線下(7:00)・稜線(8:00/8:50?)・オキの耳(9:05/9:08)・トマの耳(9:18/9:26)
  ・巌剛新道経由・旧国道(11:30)
  膝が不安だったため、石川のみ天神平からロープウェイで下山(10:50)。

 補足:登攀組み合わせは、深澤・森田組と宮脇・石川組。

主な装備:

 共同装備:9mm×50m(4本)、ツェルト、トランシーバ、救急セット
 個人装備:登攀具、行動食、ヘッドランプ、その他

感想など(以下、他の三氏の感想などを石川が編集。特に記載の無い部分は石川記。)


全般

 参りました。

 日本の岩場の記述(稜線まで2から5時間)を鵜呑みにしてしまったが、とんでもない話だった。他パーティーの記録を見ると、早いものでは確かに5時間程度で稜線に抜けているが、私にとっては、どう見てもこの稜線はザッテルまで(2ルンゼのみ)のもので有るばかりか、最近の整備された岩場しか知らない者にとってはザッテルから先が核心。

2ルンゼまで
 ザッテルから先の印象が強烈で忘れてしまいそうになったが、ヒョングリの滝の上を渡る個所でのクライムダウン(一応ザイルがたれているが)も怖かった。いっそのことハーネスを着けて懸垂下降してしまえば良かったかも。
 朝一なのに、随分な高度がある上に、なんとなくつるっとしてる。テールリッジ下部の登りも傾斜はゆるいもののスラブで怖い。他の三人をかなり待たせてしまった。
 前回雪の下に隠れていた部分がこんなに怖いところだとは思わなかった。
更に、息を切らせながらやっと中央稜下部に着くとそこから先は烏帽子スラブ。
これがまたなかなか緊張する。
南稜テラスで一服した後、ロープを使って本谷バンドをトラバース。
慣れた人達はノープロテクションで通過していくようだが、前半はちょっとなぁ。


2ルンゼ

 深澤・森田組(深澤記):

 水流に入るのが厭であったがこれぞ2ルンゼと思って入った。濡れたが特に問題なかった。チョックストーンを潜ったり、石門を潜ったり両側が迫っていて面白いルートだと思った。1,2ピッチ私がリードしたが森田さんの登りを見て大丈夫と判断して以後つるべで登った。

 宮脇・石川組(石川記):

1ピッチ目、宮脇さんリード。直登を試みるがカブリ気味の部分を避けて右脇を上る。
2ピッチ目、石川リード。水流に入るのを嫌い右側の乾いた小ルンゼから登り始め途中からフェースを左上。途中で行き詰まりそうになり時間を食った。これが後々までたたってしまった。
3ピッチ目以降、ツルベ。一体何ピッチに分けたことやら。なんとかルンゼに戻ったが、中間支点が少なく濡れている上に浮石も多い。恐らく沢になれているととても楽しいのだろうが、臆病石川にはあまり快適ではなかった。


ザッテルから先

 深澤記:

 支点のない上部は森田さんがハンマー、ハーケンを持たないので私がオールリードと思ったが、遅れている後のパーティーが心配になり、途中でつるべに戻した。森田さんは確保点を捜すのに随分苦労していた。

 石川記:

 いきなり笹の密生した急斜面。こわーっ。笹をつかんでへっぴり腰のトラバース。生きた心地がしなかった。その後、懸垂下降一ピッチで広河原到着。やっと深澤・森田組に追いついた。長時間待たせてすいませんでした。
 一服してから登攀再開。いきなり濡れた岩場でピンも見当たらない。最初は傾斜もゆるく簡単なピッチだけだったが、やはりノープロテクションは恐ろしく、慎重に動きを選んでいるうちに、深澤・森田組に置いて行かれてしまう。
やがて日が落ちてくるとともに更にスピードが落ちてしまい、ついには真っ暗になってしまった。
始めてヘッドランプを使って登攀することになった。しかも濡れた草着きだ。
  19:00近くになって、ビバーク決定。


ビバーク

 石川記:

オジサン四人組みだったことと、深澤・宮脇の両大ベテランがいたお陰で、不必要な緊張感もなく、落ち着いた雰囲気の中、全員「やれやれ参ったなぁ」と言った感じで一晩を過ごす事が出来た。
石川・森田が両ベテランに挟まれた状態は、まさしく新人と先輩の姿そのものでした。感謝。

 深澤記:

なんといっても宮脇さんの山の歌が良かった。落ち着きました。食料のシェアー有り難うございました。


テラス

 絶妙の場所に、絶妙の広さとリスを備えたテラスだった。

夜になってしまい、ヘッドランプの明かりでは登攀が危険な個所の取付脇に、いかにも座ってくれと言わんばかりのテラスがあった。しかも広さはピッタリ4人分。


その他全般

深澤記

 私は日帰りを主体に考えていたので時間を気にしていた。4時ぐらいには稜線にでたいと思っていて、計算して13時にザッテルに後続パーティーが出てこなかったら懸垂で下りようかとも考えた。結局、Bルンゼだったら明るいうちには稜線に出られると判断した。Bルンゼでは時間との戦いと誰か落ちはしないかの不安に苛まれていた。何とか稜線に出れば暗くても小屋にたどり着けると思っていたが、壁にぶち逢ったってビバークになった。寒さと寝苦しさに耐えてみんな元気でたいした疲れも残さず朝を迎えられた。1ピッチで稜線に出られた時には嬉しかった。

 細心の準備をしていた経験豊富な宮脇さん、クライミングの実力が上がって安定した登りを見せた石川さん、強靱な超大型新人森田さん、どうも有り難う。無事に下山できて良かった良かった。楽しいクライミングでした。

 いやあ、日常生活がこんなに贅沢なものか実感! お世話になり有り難うございました。また山に行きましょう。

森田記

感想:前回行った南陵の時は、全般的に乾いており、さわやかな心地よい登攀であったが、今回の2ルンゼ〜Bルンゼは濡れ濡れで尚かつ、特にBルンゼのピンの少なさまたはノーピン状態は命の危険性さえ感じた。Bルンゼ後半で、日が沈んで行く時の心細さ、ビバークを決定した時の不安と楽しみ(脳天気なことに初めてのビバークで不思議と内心ワクワクした)、稜線に出た時の嬉しさは、自分の登山史上、最高と思った。登った当日は、正直もうこりごりと思ったが、日が経つにつれ何となくそれが、自信に変わっていくような気がすると同時に、いろいろ考えされられた。以下に考察する。

《考察》

安全登山について

スピード:深澤さんは「安全登山はスピードが何より」と言う。今回ビバークしたことを考えるとそのとおりと思う。スピードを上げるためには、体力、クライミング能力、技術及び経験(素早く支点を作る等)がバランス良く必要と思う。精進せねば!

知的登山のすすめ:経験不足の自分は、登攀中、あまり考えている余裕はなく、動物的に登っていた様な気がする。(動物に失礼だが)もっと余裕を持ち、時間配分やルートをよく考えれば、安全性が高まると思う。

道具:自分は経験不足からくる無知のため、今回の登攀にハンマーとハーケンを持っていかなかった。(実は買っていなかった)今回は絶対必要に感じた。

練習:今回、現場ではじめて行う技術があった。自己ビレーが取れず、肩がらみでの確保や、小枝を束ねての支点作りがそうである。無我夢中で何とかしたが、やはり、練習が必要と思う。

秘密兵器:Bルンゼの後半は、どろどろの草付きでピンが無く、非常に危険である。あの状態は、むしろ、雪山に近いように思う。それでは、スノーバーで支点を作り、アイゼンとアイスアックスで登れば安全性が高まるのではないだろうか。但し、注目度はバツグン!


宮脇記

感想など:

 十何年ぶりに一ノ倉沢に入りました。出合では、中央カンテに行くという古い岳友に偶然出会い、十何年の時間が一気に戻ってきたような気がしました。
 2ルンゼは、昔、女の子を含めた新人を連れて2回ほど登っていますが、人間の記憶などいいかげんなものです。暗くヌルヌルしていたこと位しか憶えてませんでした。
 その2回とも明るい内に下山していたので、今回、時間がかかり過ぎてビバークになったことについては、体力、技術とも一から鍛えなおさなくてはと反省しています。ザッテルで2時間近くも待たせてしまった深沢、森田さんには申し訳ないと思っております。すみませんでした。
 しかし、自分自身、今回の山行で一番まずかったなと悔やんでいることは、Bルンゼ上部のあるピッチで、自己ビレーもとれないまま、パートナーをビレーしてしまったことです。
 そこまでは、信用できない腐ったようなシュリンゲはナイフで切って自分のシュリンゲに付け替えたり、必要なところはハーケンを打つなどして(勿論回収はしてきましたが)安全を期してビレーしてきたつもりでした。
 だけど、そこはいくら捜しても岩溝がなくて、ハーケンを打つことができませんでした。すでに暗くなっていたので、あるいはもっと良いビレー点が有ったのに見落としていたのかもしれません。ならばボルトを打とうと思いましたが、今回持ってきてませんでした。
 2ルンゼだからと甘くみていたつもりは無かった筈ですが、どこかに油断があったのです。昔は各自が持ってきていたのにと後悔しても後の祭りでした。
 仕方なく自己ビレーなしでの確保となりました。何十回も谷川に登ってきましたが、こんなことは初めてです。肩がらみでのビレーは、昔これで練習していたので、ちょっとザイルを流せばセカンドを止めることはできると思いました。グローブをしていて良かったと思いました。
 だけどトップは、まず止められないと思いました。パートナーが落ちなかったから事故にはなりませんでしたが、結果オーライで良いというものではないと思います。人の命を預かっている身でありながら、いいかげんなビレーをしてしまい、パートナーの石川さんには本当に申し訳ないと反省しております。すみませんでした。万全の準備をしていくべきでした。
 今回、厳しい山行となりましたが、一ノ倉沢に戻ってこれたことが、本当にうれしかったのです。昔登った壁を見ながら、色んなことを思い出したり、ハーケンを打っているときも、燃えている自分を感じることができました。
フォーストビバークも良い思いでになると思います。素晴らしい仲間と一緒に登れたことを感謝しています。本当にありがとうございました。

安全など:

 それから現地と会の連絡のことですが、今回、ツエルトの中からアマチュア無線機で、誰かと(できれば知り合いが良いが)連絡をとり、熊谷さんに心配しないでと連絡してもらおうかとも思いましたが、無線で電話番号を言うのをはばかってやめました。熊谷さんは心配しているだろうなと思い、そのことが気がかりでなりませんでした。熊谷さん、すみませんでした。

 今後の対策として、下記のようなことも一つの方法ではないでしょうか。

@下山連絡は自宅に戻ってからでなく、電話のつながる地点までおりた時点で、予め決めておいた留守本部に電話を入れることをルール化する。

A8時とか9時とか決めておき、その時間を過ぎても留守本部に下山連絡の無い場合は、アマチュア無線をもっている者に連絡し、傍受する体制をとる。(これはもっと会員の中に無線の資格者が増えることが前提ですが)〜遭難ではなくても天候悪化で下山を見合わせ、下山が遅れるという場合があるかもしれません。そんな時、連絡がとれないと、遭難と思われて騒ぎ になることを恐れて、無理して下山するということがないとはいえません。

山ではいろんなことが起こります。無線を含めた連絡方法の確立は必要だと思います。


最後に

石川限定ですが、とにかく体力(とそこから来るスピード)それに変な意味ではなく度胸(充分な練習と言った方が的確でしょうか)が足りませんでした。

深澤さん、宮脇さん、森田さん、なんとか鍛えていきますので、これからも付き合ってくださいね。