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秩父の歴史ロマン鉄道

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秩父歴史ロマン鉄道

秩父鉄道ロマン鉄道
武甲山は、どんな時も秩父盆地を見守っていてくれる。だから秩父盆地で生活していた子供や大人達は、武甲山を眺め、心の中で喜びや悩みを打ち明けた。武甲山に救われた人は多い。その山の向こうには東京がある。あこがれの大都市である東京に思いを馳せた若者も多く存在した。かつては長距離の移動には鉄道が頼りであった。東京に行くのには、秩父鉄道を利用した。熊谷に着くと都会の空気の匂いがした。心の中で喜びの鼓動が渦巻いた。秩父鉄道はそんなロマンを掻き立ててくれる銀河鉄道であったのである。明治二七年四月、秩父の人々の願いによって、上武鉄道株式会社が創設され、六年後の明治三三年四月二二日、熊谷から寄居町までの十九・三キロの起工式が行われた。完成し、蒸気機関車が走ったのは、翌年の明治三四年十月一日であった。秩父の入口となった皆野の金崎へは、十一キロに八年もかけた難工事の末に、明治四四年九月十四日、駅名を秩父駅として開業した。これ以後金崎は秩父の玄関口となった。物資の集配所、店や旅館・木賃宿などの開業、郵便や馬車交通の発達など、金崎はますます活気を帯びていったのである。秩父の人にとって、秩父盆地の中心にまで鉄道が延びることは、かつてから熱望していたことである。さらに奥秩父まで延びたら、こんなに嬉しい事はないと思っていた。その夢をかなえる動きが、大正に入り現実味を帯びてきたのである。大正二年九月十三日、藤谷淵から大宮町間の十一・四キロの延長工事が開始された。荒川橋の架橋は難工事だったという。関係者の努力の結果、大正三年十月二七日、十三ヶ月の歳月をかけて熊谷駅と秩父駅が結ばれた。秩父は銘仙産業が盛んであった。また、武甲山から採掘された石灰石を運んだり、それをもとにセメント工業が発展したりした。鉄道開通により秩父の人の心はさらに活気づいたという。

秩父駅


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