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秩父歴史宮沢賢治
宮沢賢治賢治は小さい頃から鉱物・植物・昆虫などに特別の興味を示しており、とくに鉱物が好きで「石コ賢さん」と呼ばれるほどであった。秩父地方は、秩父中・古生層から新生代までの変化に富んだ地層に恵まれ、我国の近代地質学発祥の地である。賢治が秩父に地質調査に訪れたのは大正五年、盛岡高等農林学校二年生、二〇歳の時であった。賢治は地質の宝庫・秩父で、どのような調査をしたのであろうか。
九月一日盛岡を午後七時の列車で出発。二日、上野を経由し、午後三時二〇分に熊谷到着。熊谷泊。
九月三日熊谷より寄居、末野を経て国神まで。長瀞などを調査。長瀞には地質学上著名な「岩畳」がある。長瀞ライン下りの渡船場の右手に幅数十メートル、長さ五〇〇メートルにも及ぶ日本有数の岩石段丘が累々と広がっている。これらの岩石はすべて変成岩であり、地下の内部を直接肉眼で見ることができるので、「地球の窓」と呼ばれている。岩畳から遊歩道を通り、埼玉県立自然史博物館の下に出ると、対岸に大きな褐色の岩が見える。複雑にうねった褐色と白色の縞模様が虎の毛皮を思わせることから「虎岩」と呼ばれている。賢治は、この縞模様を「つくづくと『粋なもやうの博多帯』荒川ぎしの片岩のいろ」と詠んでいる。親鼻橋近くの紅簾片岩などを調査し、皆野町に宿泊。
九月四日国神より馬車で小鹿野まで。途中、随時調査を重ねて「ようばけ」を調査している。ようばけは、赤平川右岸にある高さ約一〇〇メートル、幅約四〇〇メートルの崖で、この地層は約一五〇〇万年前の新生代第三紀に比較的浅い海の中で、おもに泥が堆積して形成されたものである。地層の露出状況は有数の規模を誇り、地層見学の拠点となっている。
九月五日小鹿野より三峯山へ。大輪の登龍橋の下には、全体に緑色をした玄武岩質の凝灰岩が露出している。三峯神社の宿坊に一泊。
九月六日三峯山より秩父大宮まで。途中、影森の石灰洞を調査。秩父に一泊。
九月七日秩父大宮より本野上を経て盛岡へ帰郷。盛岡着は、九月八日の午後三時頃。
車中の二泊を含め八日間のハードスケジュールであったが、賢治はこの調査旅行で二〇余首の短歌を詠み、秩父の各地の情景や賢治の心情を今に伝えている。
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