労働運動の使命

河上 肇


 私は、日本に於て労働運動が健全に且有力に発達することを以て、日本に於る社会問題の解決上、この上もなく大 切な事であると信ずる。私の見る所に依れば、社会問題は、今後の世界に於ける、従て又今後の日本に於ける、最大 問題の一である。此問題が穏便に且根本的に解決せらるゝと云ふ事の上に、世界大多数の人類の、従て又日本に於け る大多数の人々の、今後の運命が懸けられてある。然るに此の社会問題をば穏健に且根本的に解決する為には、吾々 は是非とも労働者階級の奮起に俟たなければならぬのである。それ故私は、日本に於ける労働運動が健全に且有力に 発達して、行く行くは日本の労働者自身が、此大問題の解決に当らんことを切望しつゝある者である。 私の信ずる所に依れば、労働運動を力あるものたらしむる為めに最も大切なることは、之に魂を与ふることである。 魂を与へなければ生きない。而かも生きたる元気あるもので無ければ、何の働きをも為すことは出来ない。人は麺麹 なくして生きるものでは無い。乍併人は麺麹のみにて生きるものでも無い。されば労働者の団体が如何に其会員数を 増加しても、又如何に其基金を増加しても、只人が殖え金が集つたばかりでは,其労働者の団体に魂が出来、生命が 出来る訳のものでは無い。然らば之に魂を与へ、生命を与ふる為には、如何にせば可なるかと云ふに、私の信ずる所 に依れば、之に大目的を教へ、之をして其大使命を自覚せしむる外に、何等選ぶべき途は無い。  今暫く労働運動と云ふことから離れて、社会問題とは何ぞやと云ふことに就て考へ見るに、今日社会問題と謂ふは、 簡単に言へば、社会の大多数の者が貧乏して居る、之を如何にして救済することを得る乎、と云ふ問題に外ならぬの である。大多数の者が貧乏して居る為に、第一に、彼等は自分自身の肉体をば健全に維持して行くことが出来ない。 育つべき小供も育たない。死ななくても済む若者が、病気の為に死んで仕舞ふ。特別に頑丈な、篩にかけられた人間 のみが、纔に天寿を完うしつゝある有様である。又大多数の者が貧乏して居るが為に、第二に、彼等は自分の精神を ば健全に発育成長させて行くことが出来ない。人並の教育を受けたならば、何等かの方面に衆に優れた人間と為つて、 社会の為に少からぬ貢献を為し得べかりし多くの人々が、貧乏の為に十分なる教育を受け得ず、折角持つて生れた天 分をば十二分に発揮するの機会を得ずして、詰らぬ仕事に一生を送りつゝある者も少くない。甚しきに至つては、貧 乏に迫まられて其魂をも失ひ果て、人間として誠に生甲斐のない憐れなる生涯を送りつゝある者も、決して稀ではな い。今社会の大多数の人々が此の如き貧乏なる境遇に沈淪して居ると云ふことは、如何なる方面から如何なるやうに 考へて見ても、国家社会の健全なる発達の為、固より悦ばしき事では無い。何とかして一日も早く之を救済せねばな らぬ。譬へて言はゞ、今日の社会は貧乏と云ふ大病に冒されて居る所の、痩せ衰へたる病人の如きものである。人間 は無病でさへあれば其で可いと云ふ訳ではないが、現に斯かる大病に罹つて居る以上、何は扨て置いて、兎も角此大 病を治療せねばならぬ。生命あつての物種であるから、万事は其れから後のことである。今、此病気をば如何にして救 治するを得るかと云ふ問題、それが即ち今日謂ふ所の社会問題であつて、実に今後の世界に於ける最大問題の一なの である。  扨て社会が此の如き大病に冒されて居ると云ふので、様々の医者が出て来て、色々の治療法を講じて居る。然るに 私の見る所に依れば、此医師の仲間に大体二つの種類がある。其一は、医学の素養の不十分な薮医者であるか、又は 金儲の為に薬のみを売りたがる不道徳な医者であるが、何れにしても此等の医者は、病気をば根本的に治さうとはし ない。病気をば余り甚しくならぬやうに、只抑へて行くのみであつて、中には窃に病気の長引くことを希望して居る 者さへある。勿論斯かる医者に限つて、外見上甚だ親切で鄭寧である。養生の上にも余り窮屈な無理なことを言はぬ、 薬を呉れるにしても甘い薬を呉れる。それ故、真実の所は病人の為め甚だ不利益なる医者であるに拘らず、差当つて は熱も下げて呉れるし、痛も止めて呉れるし、手術をしようなど云ふやうな患者の嫌がることは決して言ひ出さぬか ら、一般の人々には却て斯かる医者が大に歓迎せられる。非常な流行であつて、現に大繁昌をして居るのである。私 は、簡単なる叙述に対して必然的に伴ふべき無用の誤解を避けんが為、今其を一々指摘して評論することを控へる。 只諸君の諒解を求める為、茲に一例を慈善救済の事業に取らんか、例へば無料の宿泊所を作るにしても、簡易食堂を 設けるにしても、此等の事業の為め、貧民や労働者が助かると云ふことは疑ひない。米騒動が起ると、世間の富豪が 金を出し合つて、廉い米を食へるやうにして呉れる。差当つて貧乏人が助かると云ふことは、勿論疑の無い事実であ る。併し茲に吾等の注意しなければならぬことは、其は飽くまで貧乏人を貧乏人にして置くと云ふ遺方である。病気 が甚しくならぬだけの事であり、痛が一時鎮まるだけの事であつて、病気そのものは何時まで経つても之に依つて根 治される希望は無い。  私は先きに、医者に二種類あると言つて、先づ世間に流行して居る医者のことを話したが、之から話そうとする第 二種の医者は、今日では余り世間に流行せぬ医者である。何故流行らぬかと云ふに、彼等は病気を根本的に治さうと する。それで註文が六かしい。姑息なる療法に反対する。差当つては患者の気に入らぬことを主張するからである。  然らば病気の根本的治療法とは何である乎。社会問題の解決法とは何である乎。それは一言にして蔽へば、労働者 階級の解放である。譬へて言へば、奴隷を根本的に改良しようと思へば、奴隷を奴隷として置く訳に行かぬ、奴隷を ば其の奴隷といふ境遇から解放しなければならぬ。其と同じやうに、今日の社会に於て、経済上奴隷的境遇に在る者 をば、其境遇から解放しなければ、社会問題は到底根本的に解決され得るものでは無い。社会問題を根本的に解決し ようとする事が善いか悪いか、其は別問題である。只之を根本的に解決しようとすれば、労働者の解放を完全に実現 しなければならぬのである。  然らば更に進んで、謂ふ所の労働者の解放とは如何なる事であるか。それは奴隷の解放といふと同じ趣である。昔 は奴隷なるものがあつて、人間そのものが売買されて居た。或人間が他の人間に依つて所有されて居た。然るに奴隷 制度が廃止されてから、 ―米国に於る奴隷制度廃止の問題が遂に爆発して南北戦争となり、夥しく人の血を流した ことは、諸君の熟知せらるゝ所である、― 他人に依つて所有せらるゝ人間といふものは無くなつた。今日は奴隷制 度が進化して賃傭制度となつた。人間そのものは売買されぬけれども、人間の労働力が売買され、或人間の労働力が 他の人間に依つて所有されつゝある。無資無産の輩は、自己の労働力を他人に売却することに依つてのみ、始めて其 生活資料を得つゝある。爾かせざれば,彼等は生きて行かれぬのである。今斯かる境遇より彼等を救ひ出すこと、そ れが即ち無産者又は労働者の解放なるものである。私は此点に就ても、簡単なる叙述に対して必然的に伴ふべき無用 の誤解を避けんが為め、 ―之を詳述するには其れ自身が独立せる一個の長篇を必要とする、― 最早これ以上は語 らぬことにして、再び本問題に立ち帰るであらう。  社会問題の根本的解決法を具体的に説明することは、本篇の目的とする所では無い。只茲に問題とせんとするは、 此根本的解決法を実現するは、 ―即ち社会より貧乏といふ大病をば根絶するといふ根本的の治療法を実行するは、 ― 果して何人の任務であるかと云ふ問題である。而して私の考ふる所に依れば、主として其の任務に当るべきもの は ―当り得るもの、又当らざるべからざるものは― 労働者自身の団体を舎いて他に無いのである。労働者団体の 真の大使命は即ち茲に在る。これ私の今日確信して疑はざる所である。  私は理解に便なる為め更に比喩を挙げるが、社会問題の根本的解決とは、譬へば交通機関の根本的改良といふこと が如きものである。昔は東海道を籠で通つた。そこへ鉄道を敷設することに為れば、沢山の雲助は職を失ひ、沿道の 旅籠屋も業を失ふのである。即ち鉄道を敷設すると云ふこと、言ひ換ふれば、新らしき組織、新らしき仕組を拵へる と云ふことは、旧き組織、旧き仕組に依つて利益しつゝありし人々に、差当つては若干の損害を与へることである。 鉄道が出来、文明が発達するといふことは、行く行くは社会全体の利益になることであるから、先きざきでは、雲助 の子孫も、旅籠屋の後裔も、共に其利益を蒙ることに為るに相違はないが、差当つての所、彼等は鉄道が出来ると困 るのである。それ故鉄道を敷設すると云ふことは、彼等に一任して置いては、何時迄経つても出来ることでは無い。 其と同じやうに、今日社会の大多数の人々の貧乏を根治する為には、世の中に新らしき組織、新らしき仕組を行ふこ とにしなければならぬとした所が、其は差当つて有産者階級の不利益に為るに決まつて居る。故に有産者階級及び之 と利益を同じうする人々、―此等の人々が今日の社会に於て財産を有し、権力を有し、知識を有して居る人々なの であるが、―此等の人々に一任して置いては、問題は如何にしても根本的に解決さるゝ見込は無いのである。乍併、 社会の大多数の者が貧乏して居ると云ふことは、実に社会の大病であつて、此大患を立派に治すか治さぬかに由つて、 我国将来の運命が決まるのである。而かも此大事業にして資本家の為し得ざる所なりとせば、―資本家を除いて外 に有力な人は居らぬ、唯だ労働者が居るのみである、―げに此大事業を断々乎として実現するの使命に耐へ得るも のは、労働者を舎いて外に何人もない。(最下層の貧民は貧困の為に極度の堕落に陥り居り、到底社会改良の大業に 当り得るの能力がない)。これ吾人が、労働者に向つて、一日も早く此大使命を自覚し、我国家の為め、引いては世 界人類の為め、此大事業に参加する所の殉道の戦士とならん事を、切望して已まざる所以である。  此大事業は、労働者の外に之を実現し得る者あらざるのみならず、そは又必ず彼等に依りて実現せらるゝことを要 する。若し彼等に依りて実現せられずんば、そは必ず失敗に終るべきものである。重ねて比喩を病気にとるが、譬へ ば私が非常なる胃病に罹つて居るとする。さうして其を根本的に治療する為には私は長い間絶食する必要があるとし ても、扨て長い間絶食して居た為に、私の身体全体が過度の営養不足に陥つて、胃病は根治したが、其と同時に生命 は絶えたと云ふことに為つては、何の甲斐も無いのである。今日労働者の解放は実に必要であるけれども、之を直に 解放したからとて、決して善い結果は生ぜぬのである。大多数の者は貧乏であるが為に、一般的に言へば、智識も低 い、精神も十分に向上されて居らぬ。今此等の人々を直に解放して、政治上経済上の権利権力を平等に分配したから とて、彼等は之をどうすることも出来ぬのである。普通選挙を実行したならば、選挙界は益々堕落するかも知れぬ。 収入を増したならば、彼等は徒に浪費の悪風を助長し、怠惰の陋習に陥るのみであらう。故に無産者たるものは、他 日解放されたる場合の準備として、大に知識を磨き精神を向上さすことに心掛けねばならぬ。今無産者自身が自己の 力に依つて己れ自身を解放する為の運動に従事することは、―其の運動自体が―彼等にとつて最上の自己教育法 なのである。労働者の解放が労働者自身の運動に本き、彼等自身の要求に迫まられて実現せらるゝ限り、彼等の精神 的向上といふことは、其目的を達する為の手段そのものゝ中に含まれて居るのである。  物は凡て一定の犠牲を払つて得たもので無ければ、価値は無い。例へば、注入的の教育は人に何等の力をも与へる ものでは無い。肉となり血となる真の智識は、自発的の勉強努力に依つて始めて得られる。かの禅宗の師家が所謂公 案を人に授けて、自ら苦みて自ら解決するを待つも、亦此趣意に本く。彼等は熱心に其得たる所の道を広く衆に及ぼ さんと欲しつゝあれども、只真の得道は人々の刻苦自得に俟つの外なきが為めに、容易に之を授けぬのである。授く るを欲せざるに非ず、授くるを得ぬのである。要求なき者に之を与ふるは、猫に小判である。猫は小判を受くること を得ず、仮令受けたればとて之を利用するを得ぬのである。欲せざるに之を与ふれば、人を野狐禅に化せしむ。人を 成仏せしむべき至道も、妄りに之を授くれば、人を化して狐と為すに至るを免れぬ。  無産者乃至労働者は、今日の社会組織の下に於て不利益なる境遇の下に在るものである。而して此の如き不合 理なる社会の改良は、主として、只彼等自身に依つてのみ行はるべきものである。彼等は彼等自身が社会を改良しな ければならぬ。資本家に依つて与へられたる社会の改良では、如何に社会は改良されても、之に適応して行くだけの 能力が、彼等の側に生れて来ぬのである。彼等の解放は、上から授かるべきものでなく、下から取るべきものである。 上から授かる限り、そは猫に小判である。自ら奮闘して之を取る限り、其奮闘の間に於て猫は化して虎となり人とな り、小判を得たる時、小判が始めて小判としての用を発揮する。それ故に、日本の労働者は団結しなければならぬ。 団結して闘はねばならぬ。学者が説を闘はす如く、政治家が選挙を争ふ如く、彼等も亦公の為に戦はなければならぬ。 私の為の一切の争は罪悪であるが、公の為の一切の争は人類向上の洗礼である。私の争は殺人刀なり、公の争は活人 剣なり。請ふ労働者をして団結せしめよ、団結して闘ふ所あらしめよ、而して彼等の闘を公の闘たらしむるが為に、 彼等をして其使命を自覚する所あらしめよ。


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