第四課 思想と文化の問題
  1 思想・文化の問題とは
  2 思想・文化の独占支配
  3 独占資本の思想・文化
  4 個々の労働者の意識
  5 労働者階級の思想・文化

 

第四課 思想と文化の問題


 労働組合のいろいろな課題のなかで忘れてはならないのは、思想と文化の闘い、思想闘争 と文化活動である。なぜそれは大切なのか、また、労働者階級はどんな立場と観点で思想と 文化の問題にとりくむのか。この課では、こうした問題についてもっとも基本的なことを考 えてみよう。

    

1 思想・文化の問題とは


 思想文化とは 文化とはなにか 「文化」は「思想」よりも広い意味をもっている。広い意味で の文化は、自然を変革して人間がつくりだす全ての創造物のことであり、この 場合には、物質的精神的な人類の進歩の成果が全て含まれる。文化の発展を促 すのは生産の発展であり、労働こそは文化創造の原動力である。この文化は、物質的文化 (食物・衣服・住居・機械や道具などその生活にかかわる全てのもの、健康や教育、芸術活動のための 施設など)と精神的文化(風俗や生活習慣・科学・宗術・道徳・教育など)とに分けられる。ふつ う文化という場合は精神的文化のことをさすことが多い。労働者の文化活動、という場合も そうである。物質的文化と精神的文化とは切り離しようもなく結びついている。楽器の生産 なしには音楽はなく、科学・技術の進歩なしには映画という芸術も生まれない。文化はけっ して「文化人」とよばれる人たちだけのものではない。文化の基礎には労働がある。労働と の結びつきを見失うと、文化は創造性を失って退廃する。
 思想とはなにか 思想というのは、ひらたくいえば、人生や社会についての人の考え方のこ とで社会的意識(社会生活のなかで歴史的に形成され、その社会の人々に共通性のある意識)の諸 形態に属している。社会的意識には、現実の生活をつうじて大衆のなかに自然成長的に(ひ とりでに、無自覚に)生まれてくる社会心理(気分や感情、習慣など)と、目的意識的に(一定 の目的をもって自覚的に)イデオローグ(思想家)によってつくりだされるイデオロギーとがあ る。たとえば、おもしろくない世の中だ、というのは社会心理であるが、資本主義のしくみ のせいだ、というのはイデオロギーである。孤独な気分は社会心理だが、人間は結局連帯な どできないものだ、というのはイデオロギーである。思想というのは、このようになんらか の程度にすじみちをたてて仕上げられた考え方=イデオロギーのことである。思想=イデオ ロギーは、人びとの実践に目的意識的にはたらきかける。
 思想と文化の関係 文化と思想との関係についていうと、思想は文化の表現する内容と文化 創造のめざす実践的目的にしめされる。どんな精神的文化も目的意識的に創造されるのだか ら、思想をふくまない文化はないが、文化は思想につきるというわけでもない。たとえば、 写真をとるのにも、何をなんのために写すかというだけでなく、どのように写すか、できば えはどの程度かという問題がある。
 社会の発展と思想・文化 人類文化の芽生えはすでに原始共産制の社会でみられた。旧石器時代の人 間が、洞くつに残した絵画や彫刻など(代表的なものはアルタミラの洞くつ 壁画)がそうだが、そこには水牛やマンモスなどの姿態や習性が、正確に 生き生きと描かれている。これらは豊猟を祈るまじないとして描かれたもので、人類の芸術 や科学が、社会的な労働と結びつき、そのなかから生まれたものであることを示している。
 奴隷制の成立により社会が階級に分裂すると、自分では生産労働をせず、精神的な労働を 専門とする階層が生まれてきた。こうして始まった肉体労働と精神労働の分裂は、この時代 に文字が発明されたことと結びついて、芸術、哲学、科学などの発達を促すことになった。
しかし、もっばら精神労働にたずさわることができたのは奴隷所有者の階級であったから、 その成果もまた支配階級によって独占され、人民を支配するための道具として利用された。
 第一課で学んだように、私たちの社会は、原始共産制の社会から、奴隷制社会、封建制社 会、資本主義社会、社会主義社会と、五つの社会体制を経験してきたが、それぞれの社会に は、その社会のしくみにふさわしい思想・文化が生まれ発展した。古い社会体制のなかに、 新たな社会体制の牙生えが生まれ、次の時代を担う階級が育ってくると、思想・文化の面で も、新たな時代にふさわしい、新しい思想・文化の形態が作りだされたり、旧来の思想・文 化の形態に新しい内容がもりこまれたりする。たとえば、封建御社会の内部に資本主義の要 素が育ってくると、思想・文化の面でも、ルネッサンスと呼ばれる文化運動や宗教改革が起 り、啓蒙思想が成立してくる。
 啓蒙思想が、ブルジョア革命の勝利を準備したように、それぞれの時代の進歩的階級の思 想・文化は、階級闘争の勝利をうながしながら、人類の思想・文化の発展に新しい道をきり ひらき、後世にうけつがれてゆく遺産を生みだすが、のちにその階級が反動的階級に転化す ると、退廃におちいり、その思想・文化は創造性を失う。たとえば、アメリカ独立宣言の民 主主義思想はすぐれた遺産であるが、今日、他の諸民族を侵略しているアメリカの支配層に よっては投げすてられ、かえって、べトナム人民によって受けつがれ、いっそう発展させら れている。一般に、ブルジョア革命期の思想・文化を批判的に受けつぎ、発展させているの は、現代では、独占資本ではなくて労働者階級である。
 思想・文化の階級性 社会が搾取する階級と搾取される階級の関係で成り立っていれば、その対立 と闘争は、思想と文化の分野でも行なわれ、支配と被支配の関係として現わ れる。支配階級は、経済の分野での搾取を強めるために、政治の分野での強 制と思想・文化の分野での合意によって支配する。生産手段を握っている支配階級は、搾取 される階級をおさえつけておく強制手段(軍隊・警察など)を作りだすとともに、思想文化の 機構や手段(神社・学校・新聞社・放送局など)を支配し、あやつることができる。だからい つの時代でも、支配的な思想・文化は支配階級の思想・文化なのである。思想・文化の支配 の特色は、支配されている階級が、たんに強制されて従うだけでなく、心から自からすすん で支配を受け入れるように、したがって支配されているとは思わないように、思想的同意・ 支持をかちえようとすることである。
 従って、経済的な搾取に対して闘うためには、政治と思想・文化の分野での支配に対して も闘わなければならない。労働組合運動にとっても、経済闘争、政治闘争に加えて、思想・ 文化の闘いが重視されるのは、こうした事情からである。
 ここで見落してはならないことは、第一に、すでにのべたとおり、経済のしくみが政治と 思想・文化のあり方を規定しているのだが、そのうえで、第二に思想・文化は、経済のしく みに対して積極的に反作用する、ということである。思想と文化の闘いの成否は、経済の分 野での闘いを助けたり、遅らせたりする。思想・文化は社会の発展に対して能動的な役割を 果し、大きな影響を及ぼすのである。
 思想と文化のたたかい 思想と文化の闘いを進めるためには、それにつきものの独自の発展法則をつ きとめなければならない。思想と文化の発展は究極的には経済の仕組みの発 展に規定されるが、直接には思想・文化のそれぞれの要素につきものの法則 を通じておこなわれる。哲学には哲学の、音楽には音楽のルールがあり、発展法則がある。
 思想闘争と文化活動は密接につながっているとともに、区別された性格をもっている。労 働者の思想闘争は、労働者の経済的政治的闘争と組織を強め、支配階級の思想にうちかって、 労働者階級の正しい思想を発展させることを直接の目的としている。
 これに対して労働者の文化活動(たとえばコーラスサークル)の目的は労働者の闘争、組織、 意識を強める、ということにつきるものではない。文化活動の目的は人類と民族の文化遺産 を正しく受けつぎ、より豊かなものとして発展させることである。そのためにはすでにのべ た文化の階級性とともに、その継承性を正しくみなければならない。
 すべての文化は、それが支配階級の目的のためにつくられ、また、おもに支配階級の懸想 を表現している場合でさえ、つねに国民大衆の労働のうえにきずかれる。だから、なんらか の仕方で、それを生みだした国民の才能や生活感情が反映されていて、それがすぐれた成果 をもたらし、魅力となっている場合もある。日本の古都の仏像や寺院の建築などはその一例 である。
 だから、人類の文化遺産を正しく受けつぎ発展させるということは、反動的で退廃的な文 化と闘い、文化を支配階級の手から奪いかえし、そのイデオロギーから解放して、よりすば らしいものに高めていく、ということにほかならない。
 このような意味で、労働組合の教育・宣伝、文化活動を発展させてゆくことは大切な課題 である。

    

2 思想・文化の独占支配



 現段階の日本では、支配的な思想は独占資本の思想であり、たえず独占資本の国家の政策 を「国益」とよび、「国民的合意」をつくりだそうとする思想・文化政策がすすめられてい る。そのおもな手段は、(1)学校教育・企業内教育・社会教育の国家統制、(2)新聞・テレビ・ ラジオ・映画・広告などのマス・コミュニケーションの利用、(3)娯楽産業・レジャー産業を つうじて普及される「大衆文化」などである。だから、労働者は、毎日、たえず独占資本の 思想・文化の影響をうけて生活しているのである。
 そこでまずこれらの思想・文化の機構や手段が、どのようにして、独占資本に支配されて いるのかを学校教育とマスコミについてみてみよう。
 学校教育 一般に教育が成り立つためには、教師、教科書、学校の三つの要素が不可欠だ が、戦後の自民党政府の文教政策のねらいは、ひとくちにいって、これらに対 する国家統制をいかに強めるかにあった。教師に対する統制は、教育二法による政治活動の 禁止(一九五四年)を始めとし、任命制教育委員会発足(五六年)、勤務評定の全国実施 (五七年)、教員養成制度の改悪(六二年答申)を通じて強められ、「うれうべき教科書」キャ ンペーンに始まる教科書統制の動きは、たび重なる「学習指導要領」の改訂、文部省の教科 書規定の強化、道徳教育の強制(六四年)へとエスカレートし、教育内容の反動化が進行し た。同時に学校制度の面にも、文部省−教育委員会−校長(教頭)−主任を軸とする学校支 配の強まりと並行して、学力テスト体制のもとで中学校への進学・就職の差別コースもちこ み(六二年)、高校教育の「多様化」(六六年「中教審」答申)などによって、差別と選別の体 制がつくられ、今日では、大学制度の改悪がねらわれている。
 いまの学校教育がどうなっているかを、教科書の記述で調べてみると、かつては「労働者 がストライキの権利をもっているのは当然といえる。日本では、よくストライキをなにかよ くないことだというように思っているものがあるが、それは民主主義社会の労働関係につい ての理解が少なく、労働者を経営者のめしつかいのように考えているところからきている」 (中学校・日本書籍27年度版)とかかれていたのが、いまでは「労働争議が行なわれると使用 者は大きな打撃をうけるが、労働者も収入がへったり、工場閉鎖が行なわれたりして、大き な犠牲をしのばなければならない。そのうえ一般国民も迷惑をこうむることが多い」(同・ 中教出版34年版)と変えられてしまった。これは一例にすぎないが経済や労働問題の記述では、 このほか労働者と資本家、賃金、物価、利潤についての科学的説明がなく、政府や資本家の いい分がもちこまれていること、職場の「合理化」や貧困の説明がほとんどなく、「職業人 としての自覚」「職業を通じて能力、人間性をのばす」などが一面的に強調されたものにな っている。
 マスコミ 次にマスコミの状態について、国民世論の形成に大きな役割を果している新聞 を中心にみてみよう。
 日本は世界有数のマスコミ王国である。なかでも新聞の普及率はイギリスと肩を並べ世界 第一位であるが、特徴的なことはその約四五%が朝日、読売、毎日の三大紙によって占めら れ、これに産経、日経を加えた市場占拠率は約五四%(六八年)と独占集中が進んでいるこ とである。しかもこれらの新聞社は資本構成や収入のしくみから、銀行や大企業に頭があが らないようになっている。新聞社の資本金は、最大の毎日で一八億円、朝日が二・八億、読 売が二・七億と事業活動に比べてきわだって小さく(六八年)、そのため自己資本比率は六% 台にすぎず、大部分を銀行などの借入れにたよっている。収入の面でも、広告収入が約五割 で販売収入の四割を上回っており、この面からも、電通などの広告独占企業や、大手広告主 である、自動車、電機、金融、保険、製薬資本の強い影響下にある。一斉に広告が引き上げ られ、ピンチに追い込まれた「東亜日報」の例は他人事ではないわけである。こうした事情 は、テレビや放送についても同様で、近年、新聞社による民放の系列支配が進んでいること、 スポンサーの役割が大きいことなどが指摘される。
 マスコミは、このような経済的しくみによって、独占資本の支配下にあるが、そのうえ権 力に弱い体質をもっており、良心的な記者や番組・企画がほされたり、消されたりという例 は数多い(「ひとりっ子」「判決」などの放送中止、一連のベトナム報道への米・日からの干渉、ニュ ース・スコープのキャスター田英夫氏やTBS婦人ニュースの来栖琴子氏の配転、フジテレビ山川健夫 アナの懲戒休職など)。また六〇年代後半からは、政府・財界が出資する「日本広報センター」 「放送番組センター」などを通しての、反動的なPR番組もふえている。
 労働者と勤労国民の闘いも反映  以上のべたとおり、現在の日本では思想・文化の手段が独占資本とその 国家によって握られており、独占資本の思想が支配的な力をふるってい ることは明らかだが、それが全てでないことも見落してはならない。事 実、階級政党や労働組合、民主的な出版社からも、多くの新開、雑誌、単行本が発行され、 決して小さくない数の読者をもっているし、基本的には、独占資本に握られている学校やマ スコミも、反動一色にぬりつぶされているわけではなく、民主主義と真実の教育や報道も行 われている。
 それは、第一に、学校にせよマスコミにせよ、今日の日本のように、なお一定程度民主主 義が守られている条件のもとでは、その圧倒的部分が勤労大衆である父母や読者の要求や批 判を考慮にいれないわけにはいかないからであり、第二に実際に現場で教育を行ない、記事 を書き、番組を作っているのは、労働者だからである。従って、第三に教育労働者やマスコ ミ労働者が、父母や読者と共闘して、民主主義と真実を守り貫く教育や報道のために奮闘す るならば、それは教育やマスコミの民主化を押し進める力となるのである。実際にも、こう した力によって、政府独占がもちこもうとする反動的番組を中止させたり、革新的な論評や 報道が行なわれる例や、すぐれた教育実践を行っている教師や学校もある。
だが、それらはまだ部分的なものであり、肝心なところへくると、新聞やテレビなどの報 道はあいまいになったり、独占奉仕の本性をあらわにする。

    

3 独占資本の思想・文化



 資本主義の思想・文化 資本主義社会の支配的な思想は、さまざまな姿をとって現われるが、その基 調は、本来、個人主義である。個人主義は、自由競争にもとづく商品生産・ 商品交換に根ざした生活意識である(その極端なものが利己主義=エゴイズムで ある)。商品所有者は、互いに、できるだけ高く、広く自分の商品を売りつけようと競争し 合っており、自分の才覚や努力で、競争者をだしぬき、自分のもうけや地位を高めようとす る。各人はもっばら自分のために、神だけが万人のために−これが、市場でむすばれる契約 だけを唯一のきずなとして、たえず相互に競争しあう商品所有者の思想としての個人主義の 核心にほかならない。同時に、個人主義は、金もうけが第一という拝金主義、売れさえすれ ばよいという商業主義と密接にむすびついている。目先のことに役だちさえすればよいとい う実用主義なども、その一つの現われである。
 このような個人主義を基盤としながら、資本家が労働者のなかに絶えず持ち込もうとして いるのが労資協調(階級協調)の思想である。労資協調主義は労働者階級と資本家階級の利 害が根本的に対立していることを否定し、労資が協調・協力することによって労働者の生活 改善も可能になるという主張である。「自分の生活を大切にするのであれば、まずもって、 その基盤である企業の繁栄のために努力しなければならない」という企業主義は、個人主義 と労資協調主義が結びついた主張である。
 独占段階の特徴 資本主義が独占の段階に入り、国家独占資本主義が形成されると、思想・文 化の面でも、個人主義を基調としながらも、それを国家主義で補強する傾向 が強まってくる。国家主義は、高利潤を求めて他国に資本と商品を輸出し、 その利益を確保するため他民族を隷属下におこうとする独占資本の利益を、国益といつわる 主張であるが、「会社のためこそ国民のため」というわけで、労資協調によって「海外進出」 をめざす、愛国心がかきたてられる。各人はもっばら自分のために、会社と国家こそ万人の ために−これが個人主義と国家主義の補いあう関係であり、新しい装いで現われてくる国家 主義の核心である。
 このように、現在では企業主義をテコとして、個人主義と国家主義を結びつけたものが、 労働者階級に対する思想攻撃の基本となっている。「妻を愛し、会社を愛し、国を愛せよ」 (日本鋼管〕というわけである。他方、このような主張を批判し、労働者の真の利益と民主 主義を説くものに対しては、「アカ」のレッテルをはり、「企業=労使共同の敵」「国民の敵」 として排撃しようとする。
 偽善と退廃 学校でも職場でも仲間同士を互いに競争させ、一部のエリートを選別するため の体制と教育が強められ、資本主義的合理化の進行によって、さまざまな「労働疎外」が深 刻化し、大企業中心の産業開発による公害や環境破壊が進んでいる。こうして人間の存在そ のものを危くするような事態が進めば進むほど、独占資本と国家は、「労働の人間化」「人 間性の回復」「参加と協力」などの偽善的なスローガンをかかげ、また企業、地域、国家を 「みせかけの共同体」として飾りたてるようになる。それは、あとでのべるように、人間の 労働の尊厳を主張する立場にたって、人間の解放と連帯を要求するヒューマニズムの思想が、 広範な労働者と勤労国民の間に広がるのを妨げるためである。
 同時に、労働と生活に疲れた労働者には、エロとグロ、暴力礼賛、ナンセンス物、マイ・ ホームの幻想などが洪水のようにあびせかけられ、ギャンブル熱があおられる。労働者はそ うした「大衆文化」の消費者であるようにしむけられる。商業主義に毒された商品としての 思想・文化の退廃はいっそう深められる。
 これらは独占資本の侵略性と寄生性に根ざした思想・文化の傾向である。現段階の資本主 義の思想・文化は、こうして現われ方はさまざまであるが、個人主義から国家主義へと重心 を移しながら、いっそう偽善と退廃を深めていく方向をたどる。

    

4 個々の労働者の意識



 資本主義の現実は、個々の労働者の意識のうちに、階級的自覚への芽生えを育てあげる。
生活と労働の苦しみが、資本家の搾取と抑圧に対する怒りをよびおこし、だれに教えられな くとも、労働者は団結して闘いに立ち上がるようになる。闘いの経験が労働者をきたえる。
 しかし、一人ひとりの労働者の意識は、資本主義のもとでは、自然成長的に、ひとりでに、 労働者階級の一員であることにふさわしい思想・文化の立場にたつことはできない。それは 一つには、支配的な独占資本の思想・文化の影響を日常たえずうけているからであり、また、 二つには、労働者のなかには、たえず小ブルジョア(小所有者)出身の新しい参加者が加わ ってくるからである。しかしさらに根本的には、資本主義のしくみのなかでの労働者の生活 が、個人主義の影響を受け入れるようにされているからである。
 すでに学んだように、労働者は、自分の労働力を商品として売って生活している。そのか ぎりでは、労働者は、自分の労働力という商品の所有者だということになる。だから、個々 ばらばらな労働者は、たとえば「就職戦争」というような個人主義的競争の関係におかれる のである。
 そこで個々の労働者の日常的な生活意識、気分や感情(自然成長的な社会心理)は、たえず 矛盾をもつものとなる。一方では、職場の労働苦から現状に対する批判的な意識の芽生えが 育つが、他方では、その芽生えの成長をさまたげる個人主義の影響につきまとわれている。
また労働者は、職場の労働のなかから、大工業の分業と協業の組織性をつうじて団結する能 力の素質を身につけているが、他方、賃労働は生活のための手段となっているので、職場の 労働がやりがいのないものと感じられるほどに、せめてもの生きがいを私生活やマイ・ホー ムにといった気分も生まれてくる。マイ・ホーム主義の気分は、職場で搾取されている労働 をしていることに対する、個人主義的な反発である。それは「仕事の鬼」になれという要求 への抵抗ともなるが、同時に、団結して労働者階級の状態を変革する闘いから、身を引くも とともなる。こうした矛盾は、労働組合の団結した闘いと結びついた適切な思想と文化の闘 いをすすめ、実践と学習を積みかさねる目的意識的な努力をはらってこそ、前進的に解決さ れるのである。

    

5 労働者階級の思想・文化


 労働者階級の思想・文化は支配的な独占資本の思想と闘い、さけがたい個人主義の影響を 克服して、労働者の社会心理のうちに芽ばえ、成長してくる批判的な意識を飛躍的に発展さ せ、労働者階級としての自己の未来をきりひらく力量をたかめる、目的意識的な努力によっ て形成される。
 その基本的な立場は、資本主義のもとで発展する大工業の生みの子である労働者階級の進 路にふさわしい特徴をもっている。
 労働の尊厳にもとづく真のヒューマニズム  労働者階級の思想は、徹底して科学的真理をつらぬくとともに、 人間の解放を要求するヒューマニズムにみたされている。それは、 人間の労働の尊厳を明らかにする立場にたっているからである。
人間の人間らしさ(人間性)は、人間だけが労働によって自然を変革して生産物を創造し、 そのことによって、人間の人間らしさを歴史的に発展させていることにある。食欲や性欲で さえ、たんなる本能ではなくて、歴史的にかたちづくられた味覚や恋愛をともなっている。
 人間の知・情・意もまた労働をつうじて発展する。本来、人間の人間にふさわしい労働過 程では、人間の理性・意思・情熱は一体のものとして発達する。人間が生産物を生みだすに は、それを生産したいという情熱、どんな生産物をつくるのかを目的として思いうかべて順 に仕事をすすめる理性、最後までやりとげる意思がなければならない。人間の豊かな発達 は、労働に根ざしている。
 ところが、階級社会では労働が搾取されているために、労働の目的は支配者にとりあげら れ、労働する人間の理性と意思と情熱は切りちぢめられ、引き裂かれる。労働の情熱は盲目 なものにすりかえられ、理性はあたえられた目的のための手だてを考えるだけのものに低め られ、意思は我慢してやるだけの忍耐力にされてしまう。労働は、人間の人間らしさを高め るよろこびではなくて、生活のために我慢する苦役にされる。
 現代の資本主義では、資本家の生産の目的は利潤であり、労働の理性から発達した科学技 術は、資本の搾取の手段として現われる。これは、さかだちである。資本は、科学技術の進 歩を超過利潤の増大に役だつかぎりで利用するが、人間の労働と生活を豊かにすることを目 的として発展させようとはしない。公害、労働災害などを考えてみよう。薬でさえ、病気を なおすことよりも、利潤本位に生産され、薬品公害をもたらす。
 これに対して、労働者階級は、労働と科学技術を利潤の手段から人間の人間らしさを高め るものとしてとり返し、労働と科学とを結びつけようとする。だからこそ労働者階級は、資 本の搾取と闘うときにこそ、理性・意思・情熱の全てにわたって人間らしさを発展させるの であり、労働する人間が自分を解放する力を身につけるために、科学を体系的に学ぶ権利を 要求してたたかうのである。労働者階級は、科学を狭い目先の利益にしばりつける必要がな いから、科学的真理を徹底して追究することができる。
 個人の全面的発達と集団主義  大工業の組織的な労働過程で労働している労働者は、団結して闘う素質 をもっている。この素質は団結して闘う実践を通じて能力に高められる。
 素質は全て実践によって能力に転化する。全ての人は泳ぐことのでき る素質をもっているが、泳ぐ能力は泳ぐ実践を通じて形成される。能力はけっして固定して 変化しないものではない。
 労働者階級の団結は、個人主義を克服しながら発展するが、それは同時に、それぞれの労 働者の個人の全面的な発達をすすめる過程でもある。
 「一人はみんなのために、みんなは一人のために」−これが、労働者階級の団結、集団主 義の精神である。それは、それぞれの個人の力が発展すればみんなのためになり、みんなの 組織的団結がすすめば、それぞれの個人の力の発展の条件となるということである。これは、 個人主義や国家主義が、それぞれの個人を狭い利己心にとじこめ、国家の政策の手段として 一面的にいびつに発達させるのにたいして、個人の生きる力をたえず全面的に発達させるこ とと、集団・組織の団結との一致を実現しようとする、もっとも人間らしい思想である。
 個人の全面的発達とは、けっして完成された状態ではない。それぞれの個人はたえず全面 的に発達する個人として連帯し、団結するのであり、団結がすすめば、ますます個人の発達 は全面的におしすすめられるのである。
 このことは一人一人の個人とチーム・プレーの関係、一人一人の歌う力とコーラスとの関 係、一人一人の演奏者とオーケストラとの関係などを考えてみればわかる。人間は集団をつ うじてこそ、個性を発達させることができるのである。
 資本主義のもとでは、一人一人の労働者は、それぞれの素質を能力に高める条件をうばわ れている。たとえば、一度も楽器にしたしむ機会がなければ、音楽の素質はねむったままで 能力にはならない。それどころか、学校では、差別教育によって幼いときから能力を一面的 にいびつに形成され、職場では「能力主義管理」によって能力を資本に奉仕する固定したも のとしてあつかわれ、たえず分裂し、孤立するようにしむけられる。だからこそ、個々の労 働者は、労働組合にしっかり団結して闘う過程でこそ、個人としての発達を促進されるので あり、また、逆に、労働組合は、たえまない闘いをつうじて、それぞれの労働者の個人の全 面的発達を促進する立場にたっていなければならないのである。
 労働組合の学習活動、文化活動、スポーツ活動、教育闘争は、資本主義によって強制され ている労働者の能力の一耐的な発達と、個人主義の思想とを、個人の全面的発達と集団主義 の思想によって克服することを課題としてすすめられる。
 この課題を徹底的に遂行できるためには、労働者階級は資本主義の搾取のくさりから解放 されなければならない。しかし資本主義のもとでも、労働組合はこの課題にたちむかうこと によって、自分たちの未来を準備しなければならないし、準備することができるのである。
 実践の優位 労働者階級は、階級社会をつうじてすすめられてきた労働と文化の分裂、実 践と理論の分裂、肉体的労働と精神労働の分裂を、実践・労働の優位にもと づいて克服しようとする。そのことによって、この分裂がもたらした偽善と退廃にうちかっ て、新しい、科学的であるとともに人間的な思想・文化を創造する。
 労働者階級は実践から出発し、実践にもとづいて理論を探求し、実践によって確かめて、 理論を発展させる。労働と闘争の要求から出発して、思想・文化を発展させる。これは、理 論の科学性の発展の正しい通すじであり、思想・文化の創造性のまともな道すじである。だ からこそ、労働者階級は、現代では、思想・文化の分野でも、全国民に進路をさししめす指 導階級の役割を果しているし、果すことができる。
 全国金属労働組合は、日本ロールの闘いをテーマに映画「ドレイ工場」をつくったが、こ れは日本映画の退廃を克服し、日本映画の芸術性を高めることにも貢献をした。今日、日本 でつくりだされる映画のなかば以上が映倫指定の「成人向映画」であり、性を商品としても てあそぶエロ・グロ映画になっている。全国金属は、闘争を発展させる課題から出発しなが ら、映画そのものの高い人間性と思想性によって、日本映画の立ち直りをも促進したのであ る。このように現代では、労働者階級と労働組合は、思想・文化の多様な分野の全部門にわ たって、指導階級の役割をはたす力量を蓄えてきている。
 労働組合の活動家は、思想・文化の領域にも深い関心をもち、職場の仲間たち一人一人の 素質や才能にもあたたかい注意をむけ、国家と企業の思想・文化攻撃にたいして、いっそう 高くすぐれた思想・文化闘争を積極的につきつけてゆく力量を身につけることが必要である。
 一人はみんなのために、みんなは一人のために−これが労働者階級の思想と文化のたたか いの出発点であり、到達点である。

  【設 問】
 1 思想と文化の問題はなぜ大切なのか。それは社会の発展とどんな関係にあるか。
 2 マスコミや教育は、どのように独占の利益に奉仕しているか。
 3 資本主義の思想である個人主義や国家主義は、私たちのなかにどんな形でもちこまれているか。
 4 資本家がいう人間尊重には、どんなごまかしがあるか。
 5 一人はみんなのために、みんなは一人のために―とはどういう意味だろう。

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