第一課 社会の発展と労働者階級
1 労働者と資本家
2 階級のない社会から階級社会へ
3 封建制社会の崩壊と資本主義の発生
4 自由競争から独占ヘ−資本主義の発展
5 日本における階級構成の変化
6 労働者階級の団結
第一課 社会の発展と労働者階級
1 労働者と資本家
労働者階級と資本家階級
労働者とは 私たちは労働者という言葉をなにげなく使うことが多い。しか
し労働者とは、正確にはどういう意味なのか、というと、あまりはっきり
していないことが少なくない。そのため自分が労働者でありながら、「私
は労働者だ」と自信をもって口にできず、「労働者」とよばれることに、ひけめや反発を感
じるという仲間もいる。
労働者とは「肉体的な労働により賃金をえて生活するものである」と、よくいわれたりし
ているが、この説明では旋盤工、熔接工など現場で働くものは労働者だということになるが、
事務職員や販売員、教師、非現業の公務員などは労働者ではない、ということになる。これ
は正しくない。また、労働者とは「他人に雇われて、賃金をえて生活するもの」という説明
もある。この説明では、事務職員や販売員、教師、非現業の公務員なども労働者であり、前
のいい方よりは正確だが、それでは「なぜ他人に雇われなくてはならないのか」ということ
になると説明がつかない。これでは労働者とはなにかを本当にいい表わしたことにはならな
い。
この社会では、生産の中心となっているのは機械制の大工場であり、土地、工場施設、機
械、原材料などが主要な生産手段であるが、これらの生産手段は、それを使って直接生産に
たずさわっている労働者のものではなく、会社のものであり、会社を所有している資本家の
ものである。大規模な生産活動を基礎に、流通の過程では、商社や銀行、百貨店などが大き
な役割を果しているが、これらの営業手段もまた、そこで直接に働いている労働者のもので
はない。
この社会は商品経済社会であって、生きていくためには金を出して必要な生活手段を買わ
なければならないが、生産手段や営業の手段をなにひとつもたない労働者は、自分でなにか
商品を作ったりサービスを提供して、金を手にいれることはできない。そのため、労働者は
生産手段の所有者である資本家に、自分の労働力(肉体的精神的な労働能力)を売り、その代
金として賃金をえて暮しをたてているわけである。「他人に雇われる」ということの突っこ
んだ意味は、こういうことである。
資本家とは 人間の富は労働によってしかつくり出されない。資本家がいかに膨大な生産
手段をもっていても(これももとはといえば労働者の労働の成果である)、それを使う労働者がい
なければなにも生産することはできないし、生産された商品を売ってもうけることもできな
い。そこで資本家は労働者を雇い入れて働かせる。工場や事務所で直接、額に汗を流して働
くのは労働者だが、使われる生産手段(営業手段)も、発揮される労働力も、資本家のものな
ので、生産された富は全て資本家がひとり占めにしてしまう。労働者は自分が生産した富に
くらべてはるかに少ない賃金しか手に入れることができない。資本家は労働者のつくり出し
た富の大きな部分をただ取りしているのである。このように、生産手段の所有関係を基礎に
して、生産手段の所有者(資本家)が直接生産し労働する人々(労働者)の生産物をただ取りす
ることを「搾取」という(詳しくは二課で学ぶ)。
資本主義社会の基本的階級 以上のべたことを要約すれば次のようになる。労働者とは、生
産手段をもたず、生きてゆくためには自分の労働力を売るほかはなく、資本家に搾取されて
いる人々のことである。資本家とは生産手段を所有し、利潤を手に入れるために、労働者を
雇って働かせ、その成果を搾取している人々のことである。
そして右のような労働者の全体が労働者階級を形成しており、他方、資本家の全体が資本
家階級を形づくっている。階級というのは、一定の歴史的な社会的な生産の体制のなかで占
める地位が、搾取するものと搾取されるもの、支配するものと支配されるものというように
大きく異る人々の集団のことであり、具体的には、(1)生産手段に対する関係をもとに、(2)労
働の社会的組織における役割の点で、(3)またその社会的富を受け取る方法とその分け前の大
きさの点で区別される人々の集団のことである(この課の2参照)。資本家階級と労働者階級
は、資本主義社会の基本的階級である。
労働者は変ったか 労働者が自動車、住宅などの「財産」をもっていたり、生産現場を離れてデス
クの仕事についていたりする事実をとらえて、労働者が「中間階級化」したか
のようにいう説があるけれど、これは正しくない。労働者であるかないかのポ
イントは、生産手段をもっているかどうか、搾取されているかどうかなのであって、自動車
や住宅などの消費財(生活手段)の所有や仕事の内容(生産現場の仕事か、デスクや販売の仕事か)
などや雇用の形態(民間の企業に雇われているか、国や自治体に雇われているか、木工かパート・タ
イマーかなど)とは無関係だからである。また、自分が労働者であると思っていようといまい
と、そんな意識上のことは、その人が労働者であるかないかとは関係がない。労働者かどう
かをきめるのは、資本家に労働力を売るしか生活のみちがないか、そうではないかという客
観的な事実の問題だからである。
資本家は変わったか
「経営者(お雇い重役や部長クラス)の数と勢力が大きくなってきたことは、現代
社会の重大な変化の一つである。企業の経営と資本の所有が分離するようにな
ってきたので、本来の意味における資本家階級は、もはや支配階級ではなくな
った」(日本鋼管「青年労働大学講座」テキスト)というような主張もある。しかし、この経営者
支配論とよばれる考え方は次の事実をおおいかくしている。
第一に、実際に経営者を任命しているのはその企業を統制できるだけの株券をもっている
大資本家であり、経営者の任務はその代理人として労働者をいっそう効果的に搾取し、利潤
をふやすことである。もしその課題を遂行できなければ、いつでもお払い箱になるし事実そ
のような例は少なくない。経営者の立場は明らかに搾取する側にある。第二に、経営者は労
働者から搾取した利潤の分け前として高額な報酬をえており、その生活も資本家と同様の水
準にあり、さらに自分でも大口の株券を所有して、名実ともに資本家階級の一員になるのが
ふつうである。
また「労働者も株をもてば経営に参加できる」とか「資本家と変らない」という考え方も
あるが、しかし、労働者が多少株を持ったとしても、それは多少利回りのいい(そのかわり危
険もある)貯金と同じことで、株の配当だけで資本家なみの暮しができるわけではなく、資本
家になったとはいえない。それどころか、これらの分散した小株主は、まずふつうは株主総
会に出ないし、出ても実際上の力はない。こうした株式所有の「民主化」は実は大資本家が
比較的少数の株を所有することで、分散した小株主から集めた巨額の資金を思いのままに動
かすことを可能にしているのである。
勤労国民の諸階層 資本主義社会には、資本家階級と労働者階級のほかに、そのどちらにも属さな
い人々がいる。農民や都市の自営業者(小商工業者や自営の専門的・技術的職業に
従事する人たち)がそうである。この人々は、農地や農機具、商店など生産や営
業の手段を所有している点では資本家に近いが、主として自分と家族の労働で暮しをたて、
他人を搾取しているわけではない、という点では労働者に近い。
この人々は勤労者であると同時に、小所有者であるという二面性をもち、その立場も労働
者に比べれば中間的、動揺的である。そこからこの人々は労働者や資本家とは区別されて、
「中間階級」「勤労国民層」とか呼ばれる。
勤労国民層は、労働者のように、直接生産の過程で搾取されているわけではないが、今日
の政治・経済のしくみのもとでは、流通の過程を通じて独占資本から搾取され、経営を圧迫
されている。そのため、独占の法外な搾取と圧迫に反対して闘うようになっており、その条
件は日増しに拡大している。
農民 とりわけ農民は、生産労働に従事しており、日本では数の上でも多数をしめる重要
な勢力である。農民はかつては労働力人口の過半数を占めていたが、年々急テンポで域少し
て七四年には六三四万人(12・3%)となった。これに対して、農業収入より賃金収入が主と
なっている兼業農家(この人々は労働者として分類される)は激増した。これはアメリカの余剰
農産物の受け入れ、大企業による農業用資材価格の吊り上げと、低い不安定な農産物価格の
押しつけなどに加えて、自民党農政が農民を土地から追い出し、大企業に安い労働力と工業
用地を提供する政策をとったからであり、農民の経営と生活が破壊されたためである。農民
の劣悪な生活条件と農村からの労働力の流出は、労働者の低賃金の原因のひとつとなってい
る。こうして農民の大多数は労働者と共同して独占資本と闘う条件をもっている。
都市の自営業者 商工業やサービス業を営んでいる勤労市民層は絶対数では増大し、比率で
は横ばいを続けている。都市の自営業者もまた、独占資本から原材料の供給、単価の決定、
支払い方法などで過酷な条件をおしつけられ、小売やサービス部門へのスーパーや百貨店の
進出、現金や金融などにより経営を圧迫されている。この層もまた労働者とともに、独占資
本に反対して闘える条件をもっている。
(以上の点については三一ページの表「階級構成の推移」を参照のこと。なお、軍人、警察官などは、
その主な役割が階級支配を維持するところにおかれているので、生産手段をもたない点では労働者と
似ていても、労働者階級とは区別して分類される。)
2 階級のない社会から階級社会へ
だが、このように人間が搾取するものと搾取されるもの、支配するものと支配されるもの
にわかれ、区別され、差別される階級社会は、人類社会の初めからあったものではなく、ま
たいつまでも続くものではない。数百万年の人類の歴史のなかで、その大部分は階級による
差別と対立など存在しない「原始共産制(原始共同体)」の社会であり、階級制度の発生は、
せいぜい数千年前のことにすぎない。
人類の誕生 人間の祖先は、いまから二八〇〇〜一二〇〇万年前に生棲していた類人猿の一種
族だといわれている。なんらかの理由で、樹上の生活から地上の生活に移った類
人猿の種族は、長い長い進化の末に、二本の足でしっかりと大地に立つようにな
り、からだを支えるという役割から解放された前足は、全く別の機能を担当する「手」にな
った。
自由になった手のおかげで、人間は初めて道具を使って労働することができるようになっ
た。人間以外のけだものでも、例えばチンパンジーは、高いところにあるバナナを取るため
に、手近にある棒を使ってたたき落したりはできるが、人間のように道具を作り、使うこと
はできない。そして、手はこのように労働の器官であるばかりでなく、何百何十万年という
労働のなかで、しだいに発達しきたえあげられた労働の産物でもあるのである。
このように、猿から人間への進化にあたって、決定的な役割を果したのは労働であった。
人間は労働を通じて自然に働きかけ、自然を人間の生活に必要なものに作り変えて生きて
ゆく。こうして人間は、環境の変化に順応し、自然の法則に従って生きる他の動物とは違っ
て、自然の状況からわが身を抜き出し、人間の社会をつくりあげたのである。
原始共産制社会 猿から進化したばかりの原始社会では、根棒や粗末な石器などの労働用具しか
なく、人々は自然にあるがままのものを、狩猟や採集で手に入れて暮しを立て
ていた。きびしい自然条件のなかで生き抜いてゆくためには、集団の力だけが
頼りだったから、労働用具や土地などは共同で所有され、働けるものはみんな共同で働き、
収穫物は共同で平等に分配した。その日その日の、飢えをしのぐのがやっとで、ある人間が
特別に多くとる余裕などなく、従って一部の人間が他人の労働の成果をただどり(搾取)する
余地もなかった。これが最初の人間社会、原始共産制社会の生活のしくみである。
共同の労働を有効に行うために、経験や知識の豊かなものがリーダーに選ばれたが、支配
者ではなかった。搾取がなく、根本的な利害の対立がなかったから、指導者の権威は認めら
れても、権力による強制・抑圧は不要だった。
日本では縄文式土器文化の時代がこれにあたるが、発掘された住居跡や墓地、埋葬品をみ
ても後世のような優劣の差はなく、階級のない社会だったことが立証されている。
しかし、原始共産制社会は決して「理想社会」ではなかった。平等は、慢性的な飢餓状態
のもとでの平等であり、共同、協力は狭い共同体の内部にかぎられていた。他の共同体との
間には、獲物やなわばりをめぐつて闘争が行われた。
奴隷制社会 長い年月を経て、人間の労働は進歩しつづけた。労働用具も石器から金属器へと
進歩し、農業や牧畜が行われるようになった。こうした生産力の発展の結果、そ
の日その日の生活に必要な以上のもの=剰余生産物が確保されるようになり、共
同体の財産として蓄えられた。用具の発達とともに、労働もしだいに家族ごとの個別経営へ
移っていった。リーダーの役割や権限も拡大した。
共同で働き平等に分配した共同体の内部にも、こうして、貧富の差や私有制、搾取や支配
の関係が生ずる条件が生まれてきた。原始共産制の社会では、生物をめぐって集団間の争い
が起っても、勝った集団が負けた集団の人間を、奴隷として働かせることはなかった。剰余
生産物がなかったのだから、そんなことをしてもなんの得もなかったのだが、いまや条件は
違っている。負けた集団の人間と土地が勝った集団の所有物となり、捕虜は奴隷としてこき
使われるようになった。奴隷もふくめて、増大した共同体の財産の管理は、共同体のリーダ
ーである首長にまかされていたが、やがて彼らはそれをわがものとして私有化する。平等だ
った人間の間に、土地や奴隷を所有し、その剰余生産物をわがものとする奴隷所有者と、一
切の人格を認められず、「ものをいう道具」として、強制労働にかりたてられる奴隷との差
別が生まれた。私有財産を自分の子孫に伝えるため、リーダーの地位は世襲とされた。こう
して、搾取と支配の関係が生じると、それは共同体内部にもはねかえり、かつての共同体の
成員からも、没落して奴隷となるものがでてきた。
このような奴隷制が、もっとも発達したのはギリシャ・ローマの古代社会である。日本で
は、平安の末期までが奴隷制社会であり、奈良・平安時代の「律令制国家」では、人口の
一〇〜一五%を占める奴牌(やっこ、めのやっこ) とよばれる奴隷が存在した。そのほか公民
とよばれた農民の大部分も、実質上奴隷的な扱いをうけていた。
階級と国家の発生
私有財産と階級 こうして人類最初の階級社会=奴隷制社会が生まれた。階級
というのは、奴隷主と奴隷のように、社会のなかで占める地位が、支配者と被
支配者、搾取者と被搾取者というように、大きく違う人間の集団のことである。
こうした階級は、社会の一部の人々による生産手段(道具や機械、土地や工場などの労働手段と
原材料などの労働対象を合わせたもの)のひとり占め=私有財産の発生によって生じた。生産手
段の所有者は、生産手段をもたない勤労者を働かせて、その労働の成果の一部(剰余生産物)
を、ただどりするのである。額に汗して働く勤労者(直接的生産者)こそ、社会の真の主人公
であるにもかかわらず、階級社会の現実では、自分が作りだした生産物の一部を手にするだ
けで、その多くの部分を生産手段の所有者によって搾取され、政治的にも支配されている。
国家とくに 奴隷労働の搾取を可能にしたのは、鎖とムチ、つまり直接の暴力であった。
またさけがたい奴隷の抵抗、逃亡や反乱を鎮圧するためには系統的な暴力が必要だった。国
家はこうして人間の社会が利害の対立する階級に分裂し、その対立が激化してくるなかで、
少数の搾取者が多数の被搾取者を支配するための権力機構として成立した。
このような、階級支配のための人為的な社会機構としての「国家」の本質は、いまも変っ
ていない(この点では、第三課でふれる今日の日本の経済と政治の実感をみれば明らかである)。自分
たちが住んでいる国土や自然、そこに暮している人間やことば、文化などを意味する「く
に」と階級支配の強制機構である「国家」とは、ことばは似ていても別のものである。支配
階級はこの区別をあいまいにし、私たちの間にある自分の「くに」への愛着を利用して、独
占資本の国家への忠誠を誓わせようとしているので、注意が必要である。
奴隷制社会の矛盾 奴隷制社会は以上のような非人間的な特徴にもかかわらず、人間の歴史のうえ
では、生産力の一層の発展が行われ、科学や技術や芸術など社会の文化が開花
するという一定の進歩性をもつものであった。
古代のエジプトのビラミッド、中国の万里の長城、ローマ・ギリシャの神殿や競技場、日
本の古墳や大仏などの巨大な建造物は、そのために動員された奴隷労働の苛酷さを示すとと
もに、土木工学などの技術や、分業・協業による生産力の進歩をも物語っている。また文化
の面でも、今日、人類のすぐれた文化遺産とされている古代文化の発展は、奴隷労働の搾取
のうえに、一部の人々が生産労働から離れ、科学や芸術などの仕事を、専門にやれるように
なった結果であった。
このように、最初は生産力や文化の発展を促す条件であった奴隷制は、やがてその発展を
阻害する条件に変る。
「ものをいう道具」としてこきつかわれる奴隷にとって、労働は全くいとわしいものであ
り、精巧な道具など使わせてもすぐにぶちこわしてしまうので、不細工で頑丈な能率のわる
い道具しか使わせられなかったからである。また、最初は奴隷主も指揮、監督などの形で生
産労働に参加していたが、しだいに生産から遊離し、生産や科学の発展に関心を失っていっ
た。そのうえ、たえず増大する奴隷の反乱が社会の基礎をゆさぶり、末期には十数万人から
数十万人におよぶ大規模な暴動が起った。
こうした諸矛盾の深まりのなかで、奴隷制社会は崩壊し、封建制社会が成立する。
封建制社会 封建制社会では、おもな生産手段である土地は封建領主が所有し、生産者である
農民はその土地の使用権を認められ、その代償として労役に服したり、生産物の
一部を年貢として納めることを強制された。封建費民は土地にしばりつけられ移
住や転職などの自由を認められず、領主に隷属させられていたが、奴隷とは違って一定の人
権を認められ、農具などを所有して自分の経営をもっていたので是政とよばれる。このよう
な農奴制の芽生えは、奴隷制社会のなかで、奴隷制経営が行きづまった結果生れてきた(古
代ローマのコロヌス制や日本の荘園制度など)。農奴は自分の経営をもち、領主に年貢として納め
た残りを、たとえわずかなものにせよ蓄えて、生活の改善や経営の拡大にふりむける望みが
あったので、奴隷に比べれば、はるかに労働意欲をもち技術の向上に関心を示した。
日本の封建社会の始まりについては、普通、源氏が、古代貴族国家の武力という立場にあ
った平氏を倒し、鎌倉に武士=封建領主階級独自の国家機構(幕府)をきずいた鎌倉時代から
とされている。
封建制の社会機構に特徴的なことは、自分の所有地に農奴を代々しばりつけておくために、
「士農工商」などの世襲的な身分秩序がつくりあげられ、これを合理化する宗教や封建道律
(中世のキリスト教や信教、「長いものにはまかれろ」「泣く子と地頭には勝てない」などのことわざ)
が利用されたことである。
3 封建制社会の崩壊と資本主義の発生
封建制社会の矛盾 封建制社会での生産力の発展は、労働用具の生産を中心とする手工業の成立を
促し、剰余生産物の増大によって各地で商業が興隆した。手工業と商業は、閉
鎖的な自給自足をたてまえとする封建制社会の基礎をゆさぶりながら、封建領
主もまきこんで発展し、そのなかから商人や手工業者の新しい身分が形づくられ、その居住
地としての都市が発達してくる。他方、絶えまない戦争とぜいたく三昧で財政難におちいっ
た領主は、農民に対する搾取をぎりぎりの限度をこえて強め、その結果領主と農民の階級闘
争は激しくなり、大規模な逃亡(逃散)や蜂起(一揆)が頻発するようになった。
封建社会の支配階級である僧侶(第一身分)と貴族(第二身分)に対して「第三身分」とよ
ばれた商工業者の階級(ブルジョアジーは、こうした農民の闘争を利用しながら都市を足場
にしだいに社会の実権を握ってゆくのである。
資本主義的生産関係の発生
商工業の発達は、少数の富んだ大商人を生みだすと同時に、競争に負けた
手工業者や土地を失う農民を作りだした。大商人は、これらの没落した手
工業者や農民に、原料や労働用具を貸付けて仕事をさせ、手間賃だけ支払
ってその製品を自分のものとするようになった。このような生産方式を資本制家内工業と呼
んでいる。やがて、これらの働き手は一ヵ所に集められ、分業と協業にもとづく工場制手工
業(マニファクチュア)へと発展していった。マニファクチュアは、生産手段である工場・労
働用具・原材料を所有する資本家と、労働力を提供して賃金を受けとる賃金労働者とによる、
明らかに資本主義的な生産関係である。
こうしてますます発展する商品経済の拡大にとって、領国ごとに細分された市場は重大な
障害となり、関所などをとりはらった国民的市場の形成が、都市ブルジョアジーの要求とな
った。他方封建領主の側でも、商品流通の全国的な広がりにのった大規模な農民の反抗を弾
圧するため、中央集権的な国家権力を必要とした。こうして作りだされた中央集権的な国家
権力が絶対王政である。
資本の原始的蓄積 資本主義的生産関係は、一方の側に、一切の生産手段から切り離され、そのた
め他人に雇われて働くしかない無産者の大衆を、他方の側には、生産手段を購
入し、これらの無産者を雇い入れるのに必要な資本が少数者の手に蓄積されて
いることを、前提とする。こうした条件は、商工業の発展のなかで、しだいに形づくられて
くるのだが、これを一挙に、荒々しい力で押しすすめたのは、絶対王制の暴力であった。絶
対王制は、力づくで農民を土地から追いだし、重税と専売制度、植民地の略奪、奴隷貿易に
よって資本家が巨額の富を手に入れるのを助けた。このようにして、資本主義の前提条件が
暴力的に作りだされる過程を資本の原始的蓄積と呼んでいるが、この過程がもっとも典型的
な形で進んだイギリスでは、農民を住みなれた土地から追いだし、発展する紡績業の原料を
とるためヒツジの放牧地とする「囲い込み(エンクロージャー)」が行われた。
ブルジョア革命と農民一揆 原始的蓄積の結果、ますます強大になった資本家階級にとって、残された
課題は国家権力を手に握ることであった。資本主義の発展にとって障害と
なった、封建制の身分秩序による束縛と干渉、一部の御用商人や貴族に与
えられた特権的保護に対する批判は、財産権をはじめとする基本的人権の要求、「自由」「平
等」を旗印とする啓蒙思想として成立した。これらの民主主義的な思想は、資本家だけでな
く、封建制の重圧下に苦しむ農民の要求にも合致するものであった。
封建制の末期には、ロンドンを占領しイギリス国王と談判したワット・タイラーの農民戦
争(一三八一年)など、大規模な農民一揆がまきおこったが、農民の小生産者としての分散性
などのため、集中した指導と明確な綱領をもたず、封建社会をゆるがすエネルギーを発揮し
ながら、勝利を収めることはできなかった。
そしてブルジョアジーが、「自由、平等」の旗印のもとに、これらの農民の闘争を利用し、
絶対王制を打倒し、自分の手に権力を握るブルジョア革命を行ったのである。そのもっとも
典型的なものが、一七八九年に始まるフランス大革命である。
徳川幕府の崩壊と明治政府 日本でも江戸時代の後半には、商工業の発達によって、マニファクチュア
や一藩を越えた市場の形成がみられ、百姓一揆も頻発して一地方から他の
地方へと急速に波及する傾向を強めていた。同時に、黒船の来航(一八五三
年)に象徴される先進資本主義諸国からの外圧が、徳川幕府の崩壊を早める条件となった。
薩長両藩の下級武士階級は、こうした事情を利用して徳川幕藩制を倒し、中央集権の絶対主
義天皇制権力をうちたてる明治維新を行ったのである。明治政府は、外国資本主義の圧力の
もとに上からの資本主義化を進め、三井、三菱などの特権的資本家を育成する一方、江戸時
代と変らない重い地租を農民からとりたて、封建的な地主制度を温存する政策をとった。
産業革命と資本主義の成立 ブルジョア革命によって、商品経済の自由な発展が保証され、全国市場が
形成されると、増大する市場の要求を満たす必要から機械が発明・普及さ
れ、手工業から機械制大工業への変革が行われた。この産業革命は、一八
世紀後半のイギリスに始まり、紡績機の発明・改良から蒸気機関、工作機の発明・普及にす
すみ、汽車・汽船による交通手段の変革、鉄鋼業や石炭業の発展が急テンポで進んだ。産業
革命の結果、成立した機械制大工業は、旧式な手工業者を没落させ、工業と農業の分離を進
め、資本家階級と労働者階級という対立する二つの階級を基本とする資本主義制度を支配的
なものとした。
日本における産業革命は、寄生地主制を基礎とした農民からの激しい収奪と「殖産興業」
「富国強兵」をスローガンとする上からの産業革命の強行をテコに進められた。日本の機械
制工業は、軍需工業を中心に、ついで、鉱業、造船業における官営工場と民間の軽工業、と
りわけ繊維工業を柱に発達した。これらの官営工場は基礎が確立するとともに、軍需産業を
のぞいては、三井、三菱、住友などの政商に、ただ同然で払い下げられたのである。
4 自由競争から独占へ−資本主義の発展
資本の集積・集中と独占の形成
一八世紀後半に生まれた資本主義は、一人ひとりの資本家の自由競争が
原則であり支配的であった。しかし大規模企業のほうが生産、販売、信
用、なんでも有利だから、資本は労働者から搾取した剰余価値をつみあ
げて資本の規模を拡大し、競争にうち勝とうとする(資本の集積)。また他資本を支配下に入
れ、また相互に合同合併して、より大きな力をもつ資本となっていく(資本の集中)。このよ
うにして、資本主義の発展とともに少数の大企業が勝者としてますます巨大になり、多数の
小企業は没落していった。これらの現象を「生産と資本の集積・集中」とよんでいるが、そ
れが一九世紀の最後の四分の一の時期に急激に進行したのである。
「生産と資本の集積・集中」が極度にすすんでくると、社会の生産量の大部分が少数の巨
大企業によってにぎられるようになる。このような巨大企業どうしの競争は、規模が巨大で
相手を叩く力も強いだけに、下手をするとお互いに破滅的なものになりかねないし、そのう
え企業の数も少ないので協定を結びやすい。こうして競争していた巨大企業どうしが、こん
どは商品の生産量、販売量、販売価格、販路の割当て、原料資源の配分などについて、お互
いに競争を制限する協定を結び、すなわち独占を形成して、生産と市場全体を支配するよう
になる。このように独占を形成している巨大企業の結合体のことを、独占体または独占資本
という。
資本の海外進出と帝国主義
独占資本は単に一国の生産と市場を支配するだけではない。独占的高利潤
を求める独占資本は、他国、とりわけ後進国の安い労働力や資源、市場をめ
あてに海外に向って資本を輸出し、世界市場の支配をめぐつて巨大独占資
本どうしの協定がむすばれ、国際的独占体が形づくられる。こうして、世界はいくつかの独
占資本主義国家によって分割支配されることになる。このような経済的特徴を基礎にして、
独占資本主義の段階では、対外政策における他民族の抑圧(植民地主義・侵略主義)、領土の
獲得・再分割をめぐる戦争、国内政治における民主主義の制限と政治反動、軍国主義などが
強められる。これが帝国主義である。
戦前の日本の独占資本 明治政府の政策により上から育成された日本資本主義の発展過程では、異常
な早さで、三井、三菱、安田、住友などの大財閥が発展し、日清・日露戦争
を通じて独占が形成された。しかし、それは西欧のように重工業を中心とし
た資本と生産の高度な集積・集中のうえに形成されたものではなく、官営工業と軽工業を中
心としたいびつで未発達なものであった。日本の資本主義は、こうした基礎の弱さを、半封
建的な農村を基礎とした低賃金労働力の活用、天皇制警察による労働運動の徹底した弾圧、
朝鮮・中国などからの植民地主義的略奪などで補いながら、「銃後の利益」を独占した第一
次世界大戦を通じて、本格的な独占資本、帝国主義として確立された。
社会主義の成立と発展 資本主義は、封建制とはまったく比較にならないほど、早いテンポで生産力
を発展させ、科学や技術、文化や思想などの面でも、いちじるしい進歩を可
能にした。このように進歩的な社会制度として出現した資本主義も、独占資
本主義の段階にはいるとともに、初期の若々しさを失って反動的性格をあらわにしはじめる。
独占資本と労働者・勤労国民、帝国主義と植民地・従属国、帝国主義諸国家間の矛盾が激し
くなる。
これらの矛盾は、生産力が発展し、生産がますます社会化されるにもかかわらず、その成
果がひと握りの独占資本によってひとり占めにされる、という資本主義の基本的矛盾に根ざ
すものであったから、その根本的な解決は、生産手段の資本家私有を廃止し、社会全体の共
有に返す以外になかった。社会主義社会というのは、もっとも基本的な意味では、このよう
に生産手段が社会全体の所有のもとにおかれ、人間による人間の搾取が廃止され、働く人々
が名実ともに社会の主人公となる社会のことである。社会主義のもとでは、生産は資本家の
利潤のためでなく、社会の成員全体の福祉を増大させるために、計画的に発展させられる。
独占資本主義段階の諸矛盾が爆発的な形で現われた第一次世界大戦のなかで、世界資本主
義の弱い部分であり、矛盾の結び目であったロシアで、社会主義革命が勝利を収めた(一九
一七年)。戦争による矛盾の深刻化と、社会主義革命の勝利をうけて、各国の労働者・勤労
国民の闘いは高揚し、資本主義は全般的危機とよばれる段階にはいりこんだ。その後社会主
義は第二次大戦後の東ヨーロッパ諸国や中国、朝鮮、ベトナムなどのアジアで勝利し、さら
に中南米でのキューバ革命、インドシナの解放などを経て、今日では地球面積の四分の一を
占める世界体制となった。世界人口の三分の一の人々が社会主義のもとでくらしている。
国家独占資本主義の登場 資本主義も人間の一生と同じで、青年期には恐慌もたいしてこたえないが、
老年期つまり独占資本主義の時代、ことに老衰した時期つまり第一次大戦
後の「資本主義の全般的危機」といわれる時代になると、経済恐慌は命が
けの問題になる。一九二九〜三三年の大恐慌の下では、アメリカ一三〇〇万人、ドイツ五〇
〇人万、日本三〇〇万人以上といわれる失業者の大群があふれ、企業倒産、低賃金、労働強
化、すさまじい貧困が資本主義社会をおおいつくした。労働者や勤労国民の苦しみはどうに
もならないほどひどくなり、抵抗が強まり、資本主義体制は動揺した。
この資本主義体制の危機をきりぬけるために、独占資本は経済力にものをいわせて政府=
国家を自分の配下としてだきこみ、国家の権力としくみを利用して二つのことをやってのけ
た。一つは国家の権力機構をフルに使って労働運動を弾圧すること。もう一つは低賃金で不
足する購買力を人為的に強引に増大させることである。これを国家独占資本主義とよんでい
る。労働組合の機関紙などによく「政府・独占」と書いてあるのは、正確にいうとこの国家
独占資本主義のことである。
右のように、国家独占資本主義は一九二九〜三三年の大恐慌の下での、資本主義の動揺に
たいする反動的対策として登場してきたものであり、その武器は、労働運動弾圧、インフレ
政策と経済の軍事化である。それが集約的に現われたのが、日本、ドイツ、イタリアの侵略
戦争であり(たとえばわが国は大恐慌からぬけでるために一九三一年満州事変をおこし、三七年日中
戦争、四一年太平洋戦争をおこしている)、第二次世界大戦である。
5 日本における階級構成の変化
以上のような明治維新以降の日本資本主義の形成、発展を通じて、社会の階級構成にどん
な変化がみられ、労働者階級がどのようにその勢力を増大させてきたかをみておこう。
明治維新から資本主義の確立まで
明治維新により近代社会への一歩を印した当時の日本では、まだ支配
階級のなかでは地主階級が優勢であり、被支配階級のなかでも小作貧
農が圧倒的多数を占めていた。一八七二年(明治五年)の有業人口で占
める農民の比率は八四%、商工業者は一一%にすぎない。
支配階級のなかで資本家階級が優勢になり、労働者階級が無視することのできない社会勢
力として登場するのは、維新政府による上からの産業革命を通じて日本資本主義の形成が進
む明治末から大正初めにかけてである。労働者階級は一八八八年(明治二一年)の二二万六〇
〇〇人から、九九年には一〇・五倍の一四二万と急増した。しかし、一九一四年(大正三年〕に
至ってもなお労働者階級は三〇三万人で、被支配階級の圧倒的多数は小作貧農で占められて
いた。しかも、労働者階級の中心は紡績工場で働く女子労働者であり(全労働者中紡績労働者が
六三万、女子労働者が五五%)、労働組合の結成もようやく金属・鉄道・印刷労働者により緒に
ついたばかりであった。
独占資本の成立と労働者階級の増大
日本は日清・日露戦争から第一次世界大戦をへて本格的な独占段階に
入るが、それとともに、支配階級のなかでは、三井、三菱、住友、安
田、浅野、大倉、古河、川崎の八大財閥による支配が確立し、被支配
階級のなかでも、労働者階級が小作貧農を追い越して急増し(一九二〇年)、一九三〇年(昭
和五年)には八五八万人、被支配階級の六三%を占めるようになった。労働者階級の内部で
は、工場・鉱山労働者が一九一四年の一四五万人から三〇年の二九二万人と激増、五〇〇人
以上の大工場の労働者の比率も二五年には三八%七五万人と増大した(一四年は二五%四二万
人)。まが軽工業が大きな比重を占めてはいたが、重工業労働者は一四年の二九万人から一
〇〇万人と六倍以上になった。
こうしてこの時期には、労働者階級は日本でも最大の社会勢力となり、その中心的位置を、
大工場、とりわけ重工業部門の男子労働者が占めるようになったのである。労働組合運動も
一九一九年の日本労働総同盟友愛会の発足を契機に新時代を迎えた。
日中戦争から第二次大戦に突入する三〇年代の後半期には、戦時の国家統制のもとで巨大
工場への資本と生産の集中がすすみ、敗戦時の一九四五年には労働者総数は一、三七三万人
をかぞえ、その四割が五〇〇人以上の大工場労働者であった。しかし、労働組合は徹底的弾
圧をうけ、一九四〇年の総同盟解散以降、事実上壊滅させられてしまった。
戦後の階級形成 戦後日本の階級構成で重要な変化が生じたのは、「高度成長」政策にともなう
就業者数の増加がもっとも著しかった一九五五〜六○年にかけてで、この時期
に労働者階級は労働力人口の過半数をこえ、農民と都市自営業者からなる中間
階級は五〇%を割った。また、産業別構成でも、六九年には、重化学労働者の比率が過半数
を上回り、戦前の紡績労働者に代って金属機械労働者が数のうえでも、中心となった(六九
年四三%)。この傾向はその後もつづき、七四年にはついに六六%、三、四〇〇万人に達した。
他方、今日の日本を政治的・経済的に支配しているのは、独占資本家層、保守政党の政治家、
高級官僚などであり、その数は約四万人にすぎないと試算されている(大橋隆憲氏)。その中
心にすわっているのは、巨大企業の最高経営者三一六家族(一九六三年)である。
労働者階級が日本社会の今日と明日の動向を左右する主導的な勢力であることは、数が増
大したことだけでなく、その中核となる工業労働者が労働者階級全体の増勢を上回る勢いで
増大したこと、労働者階級の組織された大衆的部隊である労働組合や、革新政党の力が増大
したことに、示されている。
労働者階級の増大と中間階級の減少−減少部分の労働者階級へのくり入れと残存部分の労
働者階級への接近−は、革新勢力の強大化と社会変革の客観的条件がますます成熟しつつあ
ることを示すものである。
6 労働者階級の団結
資本主義のもとでは生産手段をもたない労働者は、生きてゆくためには自分の労働力を資
本家に売るほかはなく、資本家による搾取と抑圧を受け入れざるをえない。しかし、労働者
はいつまでも非人間的な労働・生活条件に甘んじているわけではない。賃金の引上げや労働
条件の改善を要求し、人間としての権利を表して、闘いに立ち上がるのである。一人一人
の労働者は無力だが、団結した労働者は、すばらしい力を発揮する。労働者の団結の力は、
自分たちの生活条件をよりましなものに改善することに役立つだけではなく、矛盾と不合理
に満ちた社会の現実を改革し、働くものが真に主人公となるような、一切の搾取と抑圧に終
止符を打つ社会の実現へ向って、歴史を動かしてゆく力なのである。
社会を支える労働者 生産活動が止まれば、どんな社会も存続しつづけることはできない。とりわ
け今日のように、一つの製品でさえ何万人という労働者の労働を経て完成さ
れ、数多くの産業部門が網の日のようにからまり合って社会全体の生産を形
づくっている条件のもとでは、重要な一工場、一産業部門の生産がストップしただけで、社
会生活がこうむる打撃ははかりしれない。そして、この生産の担い手である労働者階級こそ、
この社会の真の主人公なのである。労働者なしではなにもできないが、高い労働能力を身に
つけた今日の労働者は、資本家なしでも立派にやっていくことができる。
労働者こそ社会を支える真の主人公であるということ、このことに多くの労働者が気付く
ことを支配階級がどんなに恐れているかは、家永三郎氏が執筆した教科書の鉄鋼労働者の口
絵写真につけられた「歴史をささえる人々」という説明に対し、文部省が削除を要求したと
いうエピソードが、雄弁に物語っていることである。
多数の力と団結
一人一人の労働者が資本家に対して無力なのは、資本家が何千、何万人という
労働者の共同労働の結晶である生産手段を所有しているからである。このよう
な「集積された社会的力」である資本に対抗して、労働者がもっているただ一
つの社会的力は、自分たちが多数なことである。だが「烏合の衆」ということばもあるとお
り、ただ数が多いというだけではだめである。労働者がもっている「多数の力」を現実に資
本に対抗しうるものとするためには、組織が必要である。仲間のなかにある競争や反目−多
数の力を分散させる不利な条件を、自分たちの自覚と規律によって克服し、「多数の力」を
「団結の力」に高めなければならない。「数は団結によって結合され、知識によって導びか
れる場合にだけものをいう」(マルクス)のである。ここでマルクスが「知識」といっている
のは、いうまでもなく労働者階級の立場に立った科学的な理論・方針のことである。労働者
を資本の利益に従属させるような誤った理論・方針に導かれた組織は、無力であり、時には
有害な役割を果すことになる。
労働者のすばらしさとは、自らの力を自覚し、団結した労働者のすばらしさである。労働
者を団結と闘いへ導くバネとなるのは、資本家の苛酷な搾取や不当な圧迫に対する人間とし
ての怒りである。そして労働者は団結して闘うときに、自分たちがもっている本当の力を自
覚し、人間としての自分をとりもどすのである。「労働者は、資本家に対して怒りを感じて
いるあいだだけ、人間なのである」(エンゲルス)。
労働者は団結する しかし、職場のなかには、団結を妨げるさまざまな事情がある。資本家の宣伝
にまきこまれ、あるいは弾圧に屈服している仲間もいる。労働者は、本当に団
結することができるのだろうか、と思うこともあるだろう。だが、労働者は、
闘いのなかで驚くほど成長し、変るのだ。それはもともと労働者のなかに、あらゆる困薙に
うちかって、全ての働く仲間と統一し団結することのできる、すぐれた素質があるからであ
る。
第一に労働者は、資本主義の大規模な機械制工業のもとで、一カ所に多数結集され、互い
に仕事を分担し協力しあいながら、一定のきまりにしたがって働いているので、ほかのどの
階級にもみられない集団的規律と組織性、計画性、連帯性などの素質をもっている。ストラ
イキ闘争や大衆的なデモストレーション、きびしく困難な闘いの局面などで、こうした労
働者の素質がいかんなく発揮されることは、多くの人が経験していることだろう。
第二に労働者は、資本家によってもっともきびしく直接に搾取されている階級であり、毎
日の労働と生活を通じて、自分たちの生活を守るためには、資本家と闘う以外にはないとい
うことを、いやというほど思い知らされている階級である。だから労働者の団結は、強固な
一貫したものなのである。
第三に労働者は、事実をありのままに見つめ、率直に真実をかたり、自分たちの誤りや欠
陥についても率直に自己批判する、もっとも科学的なものの見方、考え方をすることのでき
る階級である。それは、労働者階級の利益が歴史の真実、科学の結論と一致しており、自己
の階級的な利害から真実に目をふさぎ、科学の結論をねじまげる必要がないからである。
勤労国民との連帯
労働者のこうしたすぐれた素質は、労働者階級の問の団結と連帯において発揮
されるだけでなく、資本主義のもとで圧迫され、搾取されている全ての勤労国
民の要求を支持し、国民的団結の中心勢力としての役割を果すときにこそ、一
層力強く発揮されるのである。それはなによりも、労働者階級の歴史的使命が、人間の人間
に対する一切の搾取と抑圧に終止符を打つことにあるからである。労働者階級は、他の勤労
国民の正当な要求を実現する闘いと結びついてこそ、自分たちの要求をも真に実現できるの
である。
【設 問】
1 労働者階級とは、どんな人々のことをいうのか。資本主義社会にはどんな階級があるか。
2 原始共産制社会から奴隷制社会への移行によって、人間の社会にはどんな変化が生じたか。
3 封建制社会から資本主義社会への移行はどのように行われたか。資本の「原始的蓄積」とは?
4 現代の資本主義にはどんな特徴があるか。
5 労働者の社会的力とはなにか、それはどんなときに発揮されるか。
目次 学習のはじめに
第一課
第二課
第三課
第四課
第五課
第六課
第七課
第八課
第九課
むすび
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