忍城跡

 忍城は文明年間(1469〜1486)に成田顕泰によって築城された。 天正18年(1590年)頃、豊臣秀吉の配下の石田三成は荒川,利根川の水を引き入れて水攻めを行うが、落城せず。水かさが増えても落城しないのは城が浮くためとだと言われ、別名「浮き城」とも言われた。

江戸時代、徳川家康は、松平忠吉を忍藩十万石の藩主とした。

 明治時代、忍藩は徳川幕府の中でも格式の地位にあり、東京に近いとの理由で取り壊された。

 昭和63年再建。城の内部は行田市郷土博物館になっており、行田市の史料が展示してある。