第9回 「週刊金曜日ルポルタ−ジュ大賞」の報告文学賞  清水 靖子著
                       「週刊金曜日」の2001年5月18日号 掲載

日 商 岩 井 が 汚 染 し た マ タ ネ コ ・ ク リ ー ク 
                               
                                         
豊 か な 水 源 郷 マ タ ネ コ 
 パプアニューギニアのブルマ村のマタネコ集落は、赤道直下五度のニューブリテン島北岸、日商岩井の子会社ステティンベイ・ランバー社の丸太積み出し港の西端に位置する。 家々の前を巨大な丸太を積んだ車が縦横に走り回っている。積み出し港にはニューブリテン島の奥地から伐りだされた丸太の山また山が見渡すかぎりつづく。
 集落の住民は破れた木材を張り合わせた家々にひっそりと暮らしている。 荒れ果てた大地と強烈な日差し、丸太運搬車の埃から家々を守るものは何もない。
 マンゴーの木々だけが、ぽつねんと座っている老人たちに優しい日陰を与えている。
 ブルマ村の総人口は約二四〇〇人ほどである。その中のマタネコ集落は約二〇〇人に過ぎない。大集落からも離れて、忘れ去られたかのように存在している。
 家々の前にクリークがある。いつも黄褐色に淀んでいて流れはほとんどない。幅は二メートルほどで、淀んだだまま目と鼻の先の海に注いでいる。
 名前は“マタネコ・クリーク”と言う。
 “マタネコ”とは「マタ=出口、ネ=属する、コ=クリーク」、いわば「泉の口、クリークが湧き出る豊かな水源郷」だと老人たちは誇らしげに語る。でも今は、枯れそうなひとつの泉と、黄褐色のマタネコ・クリークしかない。
 私が初めて現地を訪れたのは一九九一年のことであった。

日商岩井の現地子会社、SBLC 砒素・クロム入り薬剤

 ニューブリテン島は四国の二倍ほどの島である。その深い原生林の多様で華麗な独自の生態系は他に類を見ない。住民はその森から衣食住の糧を得てきた。
 日商岩井はその中央にステティンベイ・ランバー社(SBLC)を現地政府との合弁(日商岩井出資比率八三.三%)で一九七〇年に設立した。以来30年間原生林の伐採と丸太輸出を操業の中心にしてきた。親会社の日商岩井はSBLCからだけではなくパプア全域から丸太を買っては日本・韓国・中国・インドなどへの輸出をしてきた熱帯材貿易の最大手である。日本に来るパプア材はピーク時は年間二〇〇万立方メートルにもなり、その六十%はニューブリテン島からのものであった。日本では主に建築用合板として浪費されてきた。
 SBLCの保持する伐採権の面積は五〇万ヘクタール以上で山梨県より広く、政府から直接入手したものが多い。かつてオーストラリア植民地政府役人が字も読めない地主の老人たちに圧力をかけて二束三文の金で獲得したものを、独立後のパプアニューギニア政府が保持し、企業に伐採権を許可したものが中心である。
 住民の慣習的土地所有制度は憲法が保障している。伐採権はその立木を伐る権利に過ぎない。しかしひとたび伐採が開始されれば破壊を止めることは不可能となる。薬の樹やカヌーの樹の森も食料源も水源も壊される。大地は荒廃する。その見返りの伐採権料は破壊された環境の価値と見合うものではない。住民が環境破壊を訴えて企業に行っても「政府に行け」と言われ、政府に行くと「企業に行け」と言われる。そのどちらからも無視される。交渉が不可能になると住民は道路封鎖などで抵抗せざるを得ない。あるいは企業に依存し自立を失っていく。ブルマ村のマタネコ集落とても同様であった。
 さらには、群がる企業群が丸太輸出に関する不適正な売買と価格移転操作を行っていたことや、賄賂の横行、私たちの税金が日系伐採企業の伐採道路・橋・ユーカリ植林にODAとして融資されていたことなどを調査過程で知った。(注:1)◆ 
 その間伐採量は増加の一途を辿り、SBLCの乱伐も各地の地主の抗議行動を頻発させていた。そうした中で伐採を憂慮する仲間たちが集まって「パプアニューギニアとソロモン諸島の森を守る会」(以下、「森を守る会」)を結成した。

「 こ れ は C C A ( ク ロ ム ・ 銅 ・ 砒 素 ) だ ! 」

  SBLCは操業の一部として製材と防虫処理業も行なっていた。製材は国内外に販売されていた。 一九九一年に私は製材所の塀から集落側に溢れ出た濃い黄褐色の池を見ていた。「これは何だろう?」と不思議に思い写真に収めていたのだが・・。

1991年に撮影した製材所外側の汚水 黄褐色のマタネコ・クリーク

 一九九七年になって「これはCCA(クロム・銅・砒素)だ!」と断言したのは「森を守る会」の代表の辻垣正彦氏だった。私は愕然とした。前述の塀のちょうど中側である。加圧式防虫処理場があり、壊れた加圧処理釜が放置されていた。青緑色の廃液が土場を染めていた(注:2)◆  
 「日本では現在、製材用防虫・防腐剤にCCAを使用していない。垂れ流しも厳禁ですよ」と言う。同氏は建築設計事務所を主宰し、熱帯材を使用せずに国産材を使用して来た専門家である。防虫処理にも詳しい。(注:3)◆
 辻垣氏と共に現場を回り、もうひとつの防虫処理場も見た。こちらは材木を薬剤プールに浸して引き上げる方法である。猛毒髑髏マーク貼付のドラム缶が蓋が開いたまま放置されていた。砒素とクロム入り薬剤であった。土場に薬剤漏れの跡が広がっていた。ずさんな操業がうかがえた。
 現場の証言を聞いた。     
 「防虫処理のときに材木から薬剤が垂れ流される。また廃液溝に入った薬剤が雨といっしょに溢れ出て塀の外の道路へ、マタネコ・クリークを汚染してきたんだ」と言う。
 「労働者の方も裸足または草履、素手で作業し、防護服もつけていない」。当時のSBLC側に聞くと「ブーツや手袋を支給しても彼らはどこかへやってしまう。身につけない。履かない」と言う。
 つづいてマタネコ集落に行って、マンゴーの木の下で老人たちから話を聞いた。
 一九九七年のマタネコ・クリークは、水涸れで黄褐色の物質がべったりと川底に粘着していた。
「昔は清らかな流れだった。飲み水用、炊事用、洗濯、身体洗いをした」と住民は昔を思い出して言う。「でもカンパニーがケミカルで、このクリークを破壊した」と怒る。
 後年の聞き取りを含めるとクリークの変遷が見えてくる。
 「泉も深くて泳げたわ」「魚もいっぱいいたわ。焼いて食べるとそれは美味しいの」
 「“マタネコ”の名のとおり湿地や泉があちこちにあったのよ」
 「でもSBLCが来て丸太集積場をつくるときにマタネコを埋め立てて行ったの」。
 「(奥地の森の伐採が始まってからは)クリークの水量が減ってきた」「最後はケミカルでこんなになってしまったの」と言う。女たちは詳しい。水汲みの役は女たちだからだ。「いつ頃から生活用水として使えなくなたっの」と聞くと「1985年頃から」との答えが返ってくる。防虫処理開始の時期と重なってくる。「そうだったのか」私は唸った。 老婆は「雨でクリークのケミカルが溢れて村を水浸しにする。私たちはその上を歩くんです」と叫ぶ。多くの人びとが「ケミカルのおかげで手や足がシゲラップ(痒い)」と言う。皮膚の潰瘍や糜爛状態の人びとも多い。住民はその“ケミカル”の名前も知らない。 防虫処理場は塀に囲まれた製材所の中にあり、集落よりも三メートルほど高い位置にある。その高低差で防虫処理からの廃液が集落方面に下る。マタネコ・クリークは、その廃液の“側溝”になっていたのだ。               
      

環 境 保 全 省 か ら 勧 告
 
 SBLCの防虫処理は一九八五年以来継続して行なわれてきた。一つは加圧型の釜にCCA(クロム・銅・砒素入り薬剤)を注入して木材を蒸す方法で「加圧処理」という。一九九四年に釜が壊れて放置されたが、SBLCは二〇〇〇年にこれを再開し防虫処理量を急増させた。処理後の木材は青黄色を呈する。
 もう一つはFormula7(砒素・クロム入り薬剤)をコンクリートのプールに溜めて製材を浸して引き上げる方法で、「ディップ・ディフージョン処理」(以下DD処理)で長年の防虫処理の中心になってきた。処理後の木材は黄褐色を呈する。
 一九九四年にすでに私は“ユニテック発展コンサルタント社”によるSBLCの環境調査報告書を入手していた。それによると「製材所防虫処理の廃液(加圧処理場の廃液)が、未だに古いタンクの中に貯められている。ここからの漏れを防止する方法はとられていない」と記されていた。塀の外の濃い黄褐色の池は、ここからの流出だったのだ。
 さらに「現在の防虫処理(DD処理)による廃液処理の改善も必要」と記されていた。垂れ流しを認め改善の必要を書いたものである。
 パプアニューギニアではコンサルタント企業が政府と企業の橋渡しの微妙な役割を担うことが多い。コンサルタントの報告書次第で企業も政府も動く。あるいは企業がそれを利用する。三者が癒着することもある。
 前述のコンサルタント社は、レイにあるユニバーシティ・オブ・テクノロジー大学の教授が副業として行っていた。SBLCの依頼で環境調査も行い、SBLCの広大な伐採権獲得にも有利な役割を果した。
 しかし前述の垂れ流し調査はかなり厳しい。それに対して環境保全省はどう動いたのであろうか。 
 一九九七年には環境保全省の役人が現場を視察して報告書を書いた。「DD処理場からの廃液処理を改善すべきである。Forumula7というドラム缶空き缶の無毒化。危険という標識を薬剤使用場所に立てること」「クリークの水源にこれ以上の汚染が起こらないように原因を除くこと」とある。環境保全省も垂れ流しを認め改善策を勧告していたのである。パプアニューギニアでは有害物質の垂れ流しについて法律で厳しい規制を行っている。違反には罰則がある。(注:4)◆             

ディップ・ディフージョン施設 加圧式防臭処理

干 ば つ の 中 の 乱 伐 
 私たち「森を守る会」は日商岩井との対話を大切に積み重ねてきた。特に日商岩井本部の木材部副部長で、その後SBLCの最高責任者・代表取締役会長に就任した松山清氏は「立場は違うが相互に意見を交換し合おうではないか」と積極的に会合の場を設け、資料の提供もしてくれた。私は彼の開いた姿勢を高く評価した。しかし同時に会社の操業問題の核心にはしっかりと迫った。松山氏もそのことを知っていた。
 SBLCの社長の太田靖朗氏の方は「何でSBLCだけ問題にするんですか。法律に沿ってきちんとやってますよ」と言う。山中に寝泊まりして「樹木に輝く蛍を見てきた」と嬉々として語る熱帯雨林の経験者で、現場の伐採総指揮をとってきた。
 両者は常々私に語る。「SBLCは模範企業として政府から高く評価されている。マレーシアの会社は“ヒット・エンド・ラン”て言ってね、乱伐して儲けては逃げていく“ひどい”伐採ですよ。日商岩井はそうではない」。しかし“ひどい”マレーシアの企業から丸太を大量に購入・輸出をしているのが日商岩井だから矛盾した話でもある。
 一九九七年はパプアニューギニアの大干ばつの年であった。一〇〇万人が飲み水と食べ物不足に苦んだ。伐採地の住民の水不足はさらに深刻であった。山火事も多発していた。 SBLCは飲み水に困らなかった。深井戸から貯蔵タンクに汲み上げた水を自社用に使用していたからである。私はその美味しい水を御馳走になったこともある。
 干ばつの中でもSBLCは伐採を続行していた。雨のない故に伐採・搬出が容易という稼ぎ時であったからだ。伐採現場を回った時の土埃は猛烈で私は気管支炎に苦しんだ。
 私は松山氏にそっと聞いてみた。「SBLCによって森を裸にされた住民が飲み水がなくて苦しんでいる、その責任をどう負っていくのですか」 
 彼は笑いながら答えた。「水不足と言いますけれどもね、この異常気象はそもそもトヨタなんかの自動車産業の出す二酸化炭素の結果で、熱帯林伐採のせいではありませんよ。それにね、今アフリカなんかで行なわれている伐採はパプアニューギニアよりも、もっとひどいんですよ。これも日本に運んできますけれどね」
 マタネコ集落には住民の要求もあって前年から水道補給を開始していた。ただし蛇口は一個、時間制限で朝六時から昼までと午後六時から七時までのみだった。この時間以外は飲み水なしと言う(一九九七年の段階の住民からの聞き取り)。集落全体に足りない水補給のため、住民は現在も濁った泉の水を飲みつづけている。

マタネコ集落の泉 干ばつの年のマタネコ・クリーク


住 民 か ら の 汚 染 補 償 要 求
 
 翌九八年に再度「環境保全省からの勧告への対応」について松山氏に聞くが、「担当者も太田氏も不在」として、日商岩井からの若い社員を私に紹介した。彼は丸太買い付け係だった。「日商岩井はパプアにおける日本商社の丸太買い付けのトップで二五%も占めている。でもね、おおかたニューブリテン島の時代は終わったんですよ。ほぼ伐りつくしてきたからです」と言う。奥地の斜面しか伐採すべきものはなくなり、積み出し経費もかさむ時期に入っていたのだ。その後松山氏からは「SBLCは赤字つづき、撤退をするにも借金で動きがとれない」という話が出始める。          
 原生林伐採で利益を得た日商岩井が、赤字の子会社SBLCを切り離そうと言うのだろか。そして砒素汚染されたクリークはどうなるのだろうか? 私は複雑な気持ちになった。
 「垂れ流しは今も続いている」「カンパニーに言っても、ケミカルを流すのを止めない」と住民は強調する。
 海辺に出ると、魚を釣って戻ってきた子どもたちの笑顔に出会った。嬉しそうに魚を紐で吊るして歩いている。「いつもここで魚を取っているの」と見せてくれた。

 一九九九年にマタネコ集落住民は、SBLCに対して汚染の補償として一五〇〇〇キナを要求した(当時一キナ=四五円)。
 社長の太田氏は環境保全省長官ワリ・イアモ氏宛に次の書簡をしたためた。 「製材所の廃液によってクリークを汚染しているとの抗議を住民から受けてきた。その申し立ては根拠のないものであると思います。CCA処理施設は数年来運転していないし、DD処理も良好に管理されてきた。しかしながら私たちは申し立てを受けている環境と水の検査鑑定を、会社とは別の所にお願いしたい。そうすればこの件は落着するでしょう。適切な役人を派遣してください」とあった。イアモ氏は「経済的に環境保全省としてはその費用がないので、民間コンサルタントに依頼するように」と返答した(二〇〇〇年二月)。         
 ここで“民間コンサルタント”としてジョン・ダグラス氏が登場する。同氏は環境保全省に勤めていたが、ちょうど“ダグラス環境サービス社”を設立する前後であった。その設立に長官のイアモ氏自身が何らかの形でかかわっていたのである。

高 濃 度 の 砒 素 汚 染 が 判 明
 
 二〇〇〇年二月、私はいよいよマタネコ・クリークの水の採取に踏み切った。住民の協力で採取した瓶二本を携えて、太田・松山両氏に会いに行った。太田氏は「もう垂れ流しはしていませんよ。防虫処理剤後の廃液は外に出さないようにしていますから」と言う。 私は「ではクロス・チェックしましょう。一つはSBLCとして、もう一つは「森を守る会」として検査機関に出しましょう」と提案する。SBLC側は独自採取を約束した。 私は首都のポートモレスビーに飛んで、政府公認の機関であるナショナル・アグリカルチュラル・リサーチ・インスティトウ ートのケミストリー・ラボラトリー(NARI)に砒素検出を依頼した。結果は、クリークの水から一・一〇ppm 、日本とWHO(世界保健機関)の飲み水・環境基準(〇.〇一ppm)の一一〇倍!の砒素値が検出されたのだった。
 一方SBLC側はダグラス氏に依頼して三月に採取行い、松山氏からダグラス報告の一部分が送られてきた(重要な勧告部分は省かれていた)。クリークは私の検出値より低かったが、「泉の水の砒素値は〇.〇〇八二ppm で、飲み水のためには砒素値が高すぎる」と記していた(注:5)◆ 
 私たち「森を守る会」は、松山氏の帰国を待って六月に公開質問状と「森を守る会」側の検出結果を提出した。質問状では「防虫剤の成分と使用料のデーター、CCA使用の実態、砒素対策」を聞き、さらに「今後SBLCが取るべき汚染源の除去、汚染除去、住民への謝罪と補償などの責任」を問うた。  
 松山氏は「ダグラス報告の値は“安全であった”とSBLCのスタッフが言っていましたよ」と鼻を高くする。私が「そうではありません」と、「飲み水のためには砒素値が高すぎる」という報告書の文書を指摘した。松山氏は「これは大きな恥ですわ。いやあ、たしかに、飲用には砒素値が高すぎるとありますね。これは私として手落ちでした。スタッフの言うままに信じて」と自分のうかつさを認められた。
 さらに氏は言った。「実は日商岩井はSBLCを売り渡して、撤退することを検討しているんです。相手は今のところマレーシア企業で」「二〇〇一年の初めには去る予定です」 
 いよいよ事態は動き出していた。日商岩井は乱伐と猛毒物質の垂れ流しをして汚染除去も補償もせずに去っていくのだろうか。
 その後私はダグラス報告の重要な“勧告部分”を別方面から入手した。 「DD処理場の廃液が雨の時に道路側溝に流れるシステムになっている。これが低レベルの砒素値を村の泉と下流にもたらした原因であろう」「汚染された雨水が側溝に入ることのないように改良されなければならない。加圧処理場からの排液路の改良、廃液を集落方面に垂れ流すのではなく、丸太積み出し港方面への廃液路をつくること、村への水道管の延長、定期的な水質検査の必要性など」などだった。ダグラス氏も廃液垂れ流しを認め、防止措置を勧めていたのである。
 二〇〇〇年一〇月になってやっと松山回答が届いた。
 「フッ化砒素ナトリウムが微量ながら検出された原因は、薬剤のしずくが側溝に流れ込み、雨の日によっては海に流出したことにある」と事実上垂れ流しを認めるような表現があった。
 さらに「ダグラス氏のアドバイスでDD処理場にプールを作った。薬剤を含んだ雨水がプールに流入してオーバーフローするのを防止するために作業場の屋根の拡張工事を実施中である」とあった。
 公開された薬剤(CCAとFormula7)の使用量は実に大量であった。一九九〇年の七二〇〇キログラム(日割にすると二〇キログラムの大量!)を筆頭に、毎年数千キログラムから数百キログラムであった。

マタネコ・クリークの水の採取 現地NGOも水質調査に協力


環 境 基 準 四 八 四 倍 の 砒 素 値 
 二〇〇〇年一一月、九ヵ月ぶりで現地に赴いた私は仰天した。集落のマタネコ・クリークが“なくなっていた!”のだ。SBLCは汚染物質をクリークの底に“残して閉じ込めたまま”ブルドーザーで埋め立ててしまっていた。目撃していた住民は「ケミカルを残したままカラマッピム(覆い隠した)」と言う。閉じ込められた砒素は必ずや地下水を汚染しつづけるだろう。目の前が暗くなった。「もうクリークからの水の検査もできない」
 しかし子どもたちが私に言った。「あるよ!」それはクリークが再度地上に姿を現している波打ち際近くの地点だった。汚染の凝縮した濃い黄褐色を呈している。
 現地NGOとSBLCのナクタウ氏の協力で黄褐色の水を採取した。会社側は「別に汚染隠しをしたわけではない。橋の架け替えの際にクリークをブルドーザーで埋め立てた。汚染除去はした」と言う。
 しかし実際にはその水の砒素値は想像を絶する四・八四ppmで、飲み水基準と環境基準の四八四倍! クロムは〇・二四五ppmで環境基準〇・〇五ppm の五倍だったのである。                               
 私は急遽日本の砒素専門家(注:6)◆から情報収集をした。「地下水の流れは年間数ミリから数センチで、砒素で汚染された地下水は数十年は元には戻らない。クリークや土壌にも汚染が残っていると考えられる。SBLCは汚染源を早急に断つこと。継続的な汚染調査、労働者と住民の健康被害調査が早急に必要であること。SBLCは自分の責任で汚染を除去すべきこと」と言う意見を得た。
 砒素の人体への被害はどうなのだろう?「鼻や喉や目が爛れる。皮膚に白斑、色素沈着、皮膚ガン、角化症、糜爛、ボーエン病(表皮内細胞ガン)が起こる。肝臓・胃・喉などのガンの原因になる」。クロムも皮膚や呼吸器の障害を起こしや発ガン性を有することなどを聞いた。
マタネコ集落の人びとは「皮膚が痒い痛い」から皮膚の糜爛と潰瘍、喉や目まで複雑な症状を訴える。専門家による今後の徹底調査が必須である。
 私は丹念にビデオと写真に皮膚被害の状況を収めた。
 子どもたちは、インタビューをしている私たちの喉が渇いているだろうと、マンゴーの木に登って実を取ってそっと差し出す。村の子どもたちの優しさに頭が下がった。

皮膚病に冒された子ども


垂 れ 流 し を 放 置 し て 撤 退 
 日本の多国籍企業が第三世界で原生林の乱伐と猛毒物質の垂れ流しをして、補償も汚染除去もせずに去って行く。       
 二〇〇一年の初頭に日商岩井はSBLCを売却し切り離して現地から完全に姿を消そうとしている。丸太貿易は継続する。
 少し詳しく見れば日商岩井は、南洋開発(日商岩井子会社でSBLCへの技術・人材派遣会社)の非常勤社長に松山氏を送り、SBLCの最高責任者とした。最後は総合商社である日商岩井が生き残るために、現地子会社SBLCをマレ−シア企業に売却し、南洋開発を整理し、最前線の松山氏や太田氏は会社を去る。
 企業による切り捨て構造がここにある。
 砒素の汚染、苦しむ住民たちは放置されてようとしている。 何万年、何億年の生命の営みの結果である原生林は失われた。もう二度と戻ってくることはない。 
 企業は全力をあげてその破壊の責任を負うべきではないか。
 21世紀には企業が真の情報公開をし、被害住民に謝罪と汚染除去や補償を行い、原生林の伐採や有毒物質の使用などを中止していくことが、企業自身にとってもいっそう重要な意味を持つようになることを強調したい。
 同時に私たちは、多国籍企業の運んでくる衣食住の材ではなく、日本の身近な地域で育まれたものを大切に使う暮らしに転換していく必要がある。日本の地元の材での建築もそのひとつである。
 地球の果てから奪う暮らしも、その不正義の仕組みも止めなければならない。
 
追 記   二 六 二 pp m  の 砒  素 値 が 泉 か ら 
 二〇〇一年二月に子どもたちの美しい瞳と笑顔に再会する。雨期でクリークが溢れて集落は浸水状態だった。今回はアジア砒素ネットワークのベテランの濱部和宏氏が豪雨の中で採取にあたり、高濃度の砒素汚染が広範囲に拡がっている事実が確認された。特に泉の湧き出し口の底に堆積していた泥から二六二ppm !という超高濃度の砒素が検出された。この汚泥がクリークに溶けだすと、飲み水の環境基準(溶出基準〇・〇一ppm)の一〇〇倍に相当する一ppm に達する。「この泉の水は飲んではならない高い砒素値である。この砒素汚泥は徐々に水に溶けだす」と検出機関から指摘された。(注:7)

 泉の水の砒素値は二・一八ppm で、これも高いかった!
 太田社長の案内で新設廃液溝プールや大屋根の増築・加圧処理場の床の改善の現場を回って改善部分を知った。しかし防虫処理量が増えている中で薬づけの材木が大量に豪雨に晒されており、「新設廃液プールの穴からの漏れ、処理場からの漏れと垂れ流し」証言もある。太田氏は強く否定したが、採取結果はそれらの近辺に高濃度の汚染を発見したのである。(注:8)◆ 
注1:「日本が消したパプアニューギニアの森」明石書店 清水靖子
注2:銅は青緑色。クロムは黄色。砒素は無色だが土壌の鉄分などと結合すると黄褐色を呈する。     注3:日本の国立公衆衛生院はCCAについて「長期間の人体との接触で皮膚・喉・肺などに障害を起こす。クロムと砒素は遺伝子に損害を与え、砒素には発ガン性も指摘されている」「CCA処理の木材の廃材を再加工するときにもこれの物質が溶出する恐れがある」と発表した(朝日新聞一九九六年九月一〇日)。業界は翌年自主的に使用を中止して現在に至る。
注4:「環境汚染法」で規制。「水資源法」で「汚染物質を環境中に出すことについては環境保全省からの許可がいる」。違反は制裁を受ける。SBLCは許可なしだった。
注5:パプアニューギニアでの砒素の飲み水基準値は〇・〇〇七ppm と厳しい。
注6:アジア砒素ネットワークの横田漠教授他。
注7:福岡市保健環境研究所廣中博見検出。
注8:DD広場土壌一三・八ppm 。DD処理新設廃液プール下土壌九・三四ppm 。DD処理崖下道路際土壌二・三四ppm (同地点水一・〇八ppm )。加圧処理CCAタンク塀外土壌二・九八ppm 。 
    

プロフィール 
しみず やすこ・メルセス会修道女。社会科の教師を経てミクロネシアに派遣される。帰国後は太平洋住民の視点から日本による伐採・戦争・ODA等の調査執筆活動を継続。著書に「日本が消したパプアニューギニア の森」明石書店、「森と魚と激戦地」北斗出版他。

受賞の言葉
 インタビューしている私に“喉が渇いているだろうから”とマンゴーの実をそっと手渡してくれたマタネコ集落の子どもたち。その優しさに心を打たれて投稿を決意をしました。帰国の飛行機の窓から夕暮れの空を見て「書きなさい」と囁く“声”を聞いたようにも思います。受賞できたのは子どもたちからもらった力かもしれません。 
     

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