長善寺縁起
長善寺タイトル

 当山は寄居町鉢形に築城されていた鉢形城主北条氏邦の三男光福丸 」の菩提寺として知られ、和歌山県高野山の「金剛峰寺 」を本山とする高野山真言宗の寺院です。
 鉢形城は天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東攻めの際小田原城主北条氏直の弟氏邦が城主であったが前田利家らの猛攻を受けて落城。氏邦は利家に従い、加賀金沢に赴き優遇されていたがかの地で病没しました。
 氏邦には三人の男子がいたが長男は幼逝、二男は仏門に入り、三男
光福丸が養育係町田土佐守に守られていたが落城後小前田に落ち 、慶長4年(1599年)13才で病没しました。
 
光福丸の菩提のため長善寺が創建されたのは翌慶長5年(1600年)であったが後に火災で焼失しました。寛保3年(1743年)現在の本堂が完成し、安永7年(1776年)総欅造りの鐘楼門(しゅろうもん)が建立されました。
 鐘楼門はその構造のめずらしさから、文豪幸田露伴の「秩父紀行」(知々夫紀行)に出てくるが、昭和41年の台風で倒壊し惜しくも失われ現在はその当時の建物跡のみ残り現存しません。
 なお、当山の創建について異説もあるが、その根拠の一つとされている
境内入り口の真言塔に刻されている「長興善寺」なる寺号は不空三蔵法師(真言八祖大師の一人)の住した「大興善寺」にあやかった美称と考えられます。
     
真言宗宗紋五三の桐紋
五三の桐紋
真言宗 宗紋

境内入り口真言塔と本堂(真言塔詳細画像へ) 高野山真言宗宗紋三つ巴紋
三つ巴紋
高野山真言宗 宗紋
境内入り口真言塔と本堂

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