1.1997.12/29〜1998.01/02 北アルプス 赤沢山 針峰槍沢側正面壁 大スラブルート 〜 槍ヶ岳


北アルプス 赤沢山 針峰槍沢側正面壁 
大スラブルート

たらっぺ山の会/福田・井上
深谷山岳会/加藤
JACSEM(駿大山岳部)/田岸・成田



< 記 録 > 加藤富之     1998.1/5


<山行日>1997年12月29日()〜1998年 1月 2日()

冬山合宿報告
1 目 的  海外登山に向けての強化トレーニング(登山技術の向上・チームワークの強化)
2 山域山名 北アルプス:赤沢山(針峰槍沢側正面壁大スラブルート)より槍ヶ岳
3 参加者  CL福田 M加藤・井上・成田・田岸
4 日 程  1997年12月29日 〜 1998年 1月 2日

5 概 要
 1998年のマカルー遠征の強化合宿として、人の入っていない静かな山域で、ラッ セル訓練と岩登り(ユマーリング練習)のできる山、としてこの赤沢山が選ばれた。  12月28日  夕方、川越より成田、入間より田岸が東松山に集合。吉見の井上が車で拾って、群馬 の私(加藤)の家に来る(午後8時)。家族に見送られ、本庄の福田宅に迎えに行って 全員集合。ここより藤岡インターで上信越道にのり沢渡をめざす。しかし、大学4年の 田岸の生まれ年と同じ昭和50年製の三菱ジープは、高速道路上で故障。まるでパキの ジープと同じである。早くも遠征なみのアクシデント。結局、怖いながらも高速上を約 1000メートル押して東部湯ノ丸サービスエリアに入り、ゆっくり直そうとするも突 然高速のパトロール車が現れ、とうとう出口まで引っ張られてしまう。パトロールの車
はそこでお役ごめんで消えてしまい、寒い中ほったらかしにされるが、高速の灯りの元 ゆっくり治したらエンジン始動。第一の関門を突破した。その後は高速には乗らず、昔 ながらの254号線で松本に出て、深夜の沢渡村営駐車場に到着。一杯やって寝る。  12月29日 快晴  バスの時刻が8時55分ということで、7時半頃起きて朝食、食糧・装備分け。しか し、タクシーが5人を乗せるというので、2710円で釜トン入り口。指導所で計画書 を出し、注意(既に後立山で事故発生。一般ルート以外に踏み跡を付けて他のお客さん を惑わすな!……やっぱり俺たちゃお客じゃないよな)をうけて出発(9時10分)。 天気は快晴。「こんなに天気が良いと、後が怖いね。」とみんな。安房トンネル開通で、 いつもより登山者が多そうである。(カメラマンやカップルのハイカーなどが目に付い た。)  上高地で大休止をとり、徳沢園の冬期小屋でビールを頂いたら歩くのが辛くなったが、 一ノ俣までは頑張ろうと歩き、橋のたもとで幕営(16時05分)。初日の夜は豪勢に? 鴨鍋。夜空は、快晴で星がきれいだった。  12月30日 雪  昨夜の星空は何だったんだと思わせる降雪。深々と降る雪ではなかったが、ずっと舞 っていた。冬壁を一気に完登とは成らず、徳沢ロッジまで行って様子を見ることにする。  1時間で徳沢ロッジ。雪は止む気配なし。沈殿を決めるが、夜を待ちくたびれて、壁 にフィックスロープを張りに行く(12時)。1時間で旧槍沢小屋跡。ここより右手に 見える岩壁が針峰槍沢側正面壁。屏風には負けるが約400メートルの壁。傾斜はある 程度緩やかなので雪が付着している所もあるが、3つのハングをもつ立派な壁。縦走用 の装備を担いでの登攀は厳しそう。チリ雪崩が時々見られる。小屋跡よりブッシュ帯を 深いラッセルで抜け、急登して基部に到着。アイゼン、ハーネス、ヘルメットを付け登 攀開始。井上がトップで3ピッチ延ばし、ザイルを固定し全員下降。基部に登攀具をデ ポし、16時40分帰着。その夜は、登攀に向け荷物を減らそうとたくさん食べる。が、 一名食欲無し。  12月31日 雪後晴  5時45分、小雪の中、ヘッドランプをつけ出発。小屋跡で休憩し、ビバークなしの 完登を目指す。昨日下降に使ったブッシュ帯を登り、基部で登攀具を着け、準備できた 者からユマーリングして、昨日の最終地点まで登る。そこから今日の登攀が始まる。こ のルートを20年位前に登ったという井上が今日も終始トップにたち、加藤がビレーす る。4本の50メートルザイルをどんどん前に出し、フィックスして後続はユマーリン グして登るというパターンにする。当初は、トップのザックは軽くする予定だったが、 荷物の移動をする間もなく、登攀再開(8時10分)。4p目は、3p目から続く草付 きのスラブ。しかし、所々現れるうっすらと雪の乗った一枚岩は、ホールドが細かく微 妙なバランスを要する。また、約3メートルの逆層のギャップは、一瞬の瞬発力が必要 で考え込んでいると力つきて落ちてしまう。上部のブッシュを一気に掴かんで乗っ越す。 5p目は、鎌形ハングとよばれるハング左の変形チムニーを登る。ここで初めて、トッ プはザックを置いて登り吊り上げるが、これは大変だった。後続の学生二人がなかなか 登ってこないので休憩。逆層のギャップで苦労している様子で姿が見えず。いくら待っ ても来ないので、先にザイルを延ばす。ブッシュまじりのスラブを右上するが、雪に隠 れた一枚岩の乗っ越しで、出っ歯を蹴り込んだらアイゼンが外れてしまう。態勢を整え、 なおも右上すると帯状ハングと呼ばれる第2のハングに突き当たる。ダケカンバで確保。 トップは20メートルトラバースし、核心部のハングを越す。記憶では2〜3ピンのア ブミ掛け替えと言っていたが、現実は4ピンで、2セット持ってきて良かった。アブミ 4本を残置して、尚も急なスラブを登り、ハーケンを打って確保。そして、ハング下の ザックを吊り上げるが重い。滑車をつけて二人で引くが、何とハーケンが1本抜けてし まう。「これはヤバイ!」とまたハーケンを打とうとするか適当なリスが無く、また在 ったとしても初めは利いてるかな?と打っていると最後にブスとなってしまう。それで も3本うち足して、だましだまし引き上げた。4人が上ったところで、トップがリード していく。確保も辛い。何があっても抜けないようにと加重を下にして、ハーケンが抜 けないように細心の注意を払う。しかし、右にトラバースしてからのスラブの直上が難 しい。、ハーケンは見あたらず打てず、なかなか前進できない。一度は戻るが他に方法 はなく、覚悟して乗っ越す。そこから先、下から見たとき雪がなかったようなので心配 したが「あった!」の声。よかった。そして、大ハング下のテラスでハーケンをうち足 して確保。私は、怪しいハーケンを抜いてラストでユマーリングと思い、ハーケンのシ ュリンゲを引っ張ると3本とも引っこ抜けた。利いていたのは1本だけだった。「あ〜 良かった」と一息つく。大ハング下のテラスから少し登るとハイ松帯になり登攀終了 (15時)。ザイルを巻いて、奥壁のコルから頂上をめざす。  しかし、これからのハイ松漕ぎが厳しかった。雪が少なく何処へ行けどもハイ松の海。 それぞれてんでんに漕ぐが何時しか一つになる。岩壁よりも体力を使い、17時30分 やっとのことハイ松帯を抜けだし、頂上北の尾根上を整地しテントを張る。長い一日だ った。しかし、天候が幸いして、陽光の中登攀できたことは嬉しかった。また、ビバー クに成らなかったのもみんなが頑張ったからで良かった。北尾根の上に三日月と星が煌 めき、静かな夜だった。  1月1日 雪  昨日の疲れもあったので朝が遅くなり、起きたのが7時30分。期待とは裏腹に雪。 今後の天気と行動計画が心配になる。当初は、西岳から槍ヶ岳を往復し、大天井岳から 燕岳に縦走して中房温泉に下山と考えていたが、槍ヶ岳をカットして縦走に入るか、槍 ヶ岳へ縦走するかを選択することにする。「西岳の小屋は使えない」と信じ込んでいた ので、大天井岳の小屋か槍の肩の小屋に泊まりたいものだと考えたり、やっぱり目標の 槍ヶ岳のピークを踏まなければ……等、色々考える。結論は、まずは西岳に着いてから と言うことで9時05分出発、西岳ヒュッテに10時10分着。何と狭いながらも小綺 麗な解放小屋があった。昨日の登攀やハイ松漕ぎで疲れた者は、ここに泊まろう、とか 大天井に、と小声で言っていたが、槍ヶ岳を目指すことにする。  夏道もはっきりと分かったが、最後のクサリ場や梯子が嫌らしいというので、忠実に 尾根を通ることにする。まずは西岳のピークを踏んで水俣乗っ越しを目指す。下りはか なり急で灌木を掴んでの下降やまたもやハイ松帯の下降があって難渋する。11時30 分水俣乗っ越し着。この頃より雪は深々と降りだす。早く肩の小屋に着きたいと思うも 雪が前進を阻む。一カ所20メートルの懸垂をしてラッセル態勢に入る。雪深く、風も 出、疲れもピーク達し前進速度が極度に低下したため、肩の小屋をあきらめ2800メ ートル地点、ヒュッテ大槍手前のピークで幕営することにする。  この夜は大荒れ。強風でテントが飛ばされそうになるが持ちこたえる。今まで一番元 気だった学生が一睡も出来なかったと。    1月2日 晴 昨夜の強風は幸いして、稜線の雪を飛ばしてくれた。雪面は大部分クラストして歩き やすくなる。午前中は、雪が残るのではないかと心配したが、ラッキー。今日は、出来 ることなら下山と、4時30分起床。朝日の昇る7時出発。20分も登ると小屋の脇に 飛び出し、その後も風が強くリッジ状の尾根でバランスをとるのが大変だったが、耐風 姿勢をとりつつ、風の息する隙間に前進し、8時30分肩の小屋到着。ここより、1名 を残し槍ヶ岳にアタック。フィックスロープがあるという情報で(昨夜の小屋は満員だ ったそうだ)、 ハーネスを着けて出発。強風の槍ヶ岳に登頂。記念写真を撮ってすぐ下山。なれない学 生はエイトカンで懸垂下降。慣れた者はヒマラヤ式の腕巻下降?。  小屋でハーネスを外し、大喰岳西尾根を目指す(9時45分)。強風で飛ばされそう になり、耐風姿勢を取ること度々。10時20分大喰岳通過。すぐ下降にかかる。初め は、まだ風が強かったが徐々に影響を受けなくなり、快適に下る。右下には飛騨乗っ越 しから下った者の姿が見える。やっぱり下っておれば良かったと思いつつも、こちらも あと少しで追い付く。大きなダケカンバの元で大休止して(11時む25分〜12時)、 槍平らに直行。12時30分着。またまた大休止して最後の1本のガスに火をつけラー メンを食べる。京都の林さんと話す。  13時30分、もう何処にも泊まれない槍平出発。途中、群馬の吉田夫妻に会ったり、 ガイド中の小西浩文に会ったり、最後は近藤和美夫妻にも会う。16時05分新穂高温 泉着。さっそく帰りの車を探すが、沢渡へのバスはない。交渉の末、9人乗りの高山の タクシーを捕まえ、松本までの3人グループと相乗りする。一人2000円にトンネル 往復の1500円を人数割で約200円。安房トンネルを越えて40分で沢渡着。  帰郷する。
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